魔女の棲む街〜死体から木製人形にされた私

三原B太郎

0日目

 ある冬の日に、私は目を覚ました。


 薄暗いどんよりとした曇り空。


 視界の端には木の先が風に揺られてちらちらと見え隠れする。


 目の前では白い綿毛のようなものをお尻につけて飛ぶ雪虫が円を描くように旋回していた。


 私はしばらくそれを見守っていた。


 起き上がる気力は、なかった。


 そもそも――


 なぜ起き上がらなければならないのか――


 それが私には分からなかった。


 何をしていたのか。


 何をしなきゃいけないのか。


 それが私の中からすっぽりと抜け落ちてしまっている。


 過去と未来とが切り離されて今だけが取り残された……そんな気持ち。


 私はすでに死んでいたんだ。


 宙を漂っていた雪虫が降りてきて、私のおでこ辺りに止まる感覚があった。


 雪虫はしばらく額の上を歩き回ると、眉間を通り抜け、開きっぱなしになった私の左眼に遠慮なしに乗ってきた。


 痛みはない。けれど、動かせない。


 左眼は動き回る虫の腹を映し続ける。


 嫌悪感も不快感も、何もない。


 死んだ私の冷え切った身体はたとえ数ミリの虫にされるがままになっていても抵抗する気力をこれっぽっちも持ち合わせていない。


 熱が過ぎ去った世界で死体にできることはきっと朽ち果てるのを待つことだけ――。


「目を覚ました? えっと……死体さん?」


 気怠さを感じさせながらもしなやかな、どこか芯のある声がどこからか聞こえた。


 ――誰だろう?


 聞き覚えのない落ち着いた女性の声。


 でも、待ち望んでいたような、そんな気分にさせてくる声だった。


 土を踏みしめる足音がゆっくりと近づいてくる。


 歩みが止まると私の視界にすっと見慣れない顔が飛び込んできた。


 まず目についたのは、細い線で結ばれた顎先と血色が良いわずかに盛り上がった唇だった。


 耳元から黒髪が絹糸のように垂れる。


 それを鬱陶しそうに掻き上げると、そのまま座り込んで顔をさらに私の方へ近づけてきた。


 目の焦点が、ゆっくりと、私のと重なり合わさる。


 冷たい海に浮かぶ孤独な氷河のような透明感のある青い瞳が、顔の表面より奥側を覗き見るように、私の目を捉えて離さない。


 私の身体は熱を持たない。


 だけど、胸奥に残ったわずかな水溜りにひとつの波紋が浮かんだような小さな疼きを覚えた。


 いますぐ両腕を持ち上げて、その首元に触れてみたい。


 そんな衝動に駆られるような気がしたけれど、それは遠い誰かの記憶のような気がして、私はただ目の前の彼女を見つめているだけに留めた。


 そもそも私の心臓はとっくに動くのを止めているので、腕を動かせるわけではなかった。


「うん、まだだね」


 彼女が目を細めて呟いた。


「でも、あともう少し――もう少しで動けるようになるから」


 人差し指で私の額をコツコツと叩いた。


 硬いものを叩いたような乾いた響きが体内のうちに響く。


 その反動で私の身体に纏わりついていた雪虫がフッとまた宙へと帰っていった。


「キミの身体の四割くらいは元のカラダだけど、残りは全部ここの木で作ったんだ」


 飛び立った雪虫を見送りつつ、彼女は思い出すような口ぶりで話す。


「元々の可愛らしい少女の姿に似せて作るのになかなか苦労したんだ。でも、上手くいきそうで良かった」


 何を言っているのか分からなかった。


 私は動かないと分かりつつも疑問を口にしようとした。


 けれど、その前に彼女はすくっと立ち上がってしまう。


「また明日来るよ……その時に名前も決めてあげよう」


 踵を返して、彼女はこの場を立ち去っていく。


 見送ることもできないまま私はただ遠のいていく土を踏む音に耳を傾けていた。


 目の前に広がる空は相変わらずどんよりとした曇り空だった。


 冬が始まったばかりの、初雪はまだ遠い静かな1日だった。

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