レベル1の理外者 〜神の加護(システム)を捨て、三百万回の素振りで得た「物理演算」で世界を粉砕する〜

@gdragon24

旅立ちの序曲

第1話 虚飾の加護と、千日の鉄槌

 世界は、神が設計した巨大な演算式(システム)の籠の中にあった。


 空を流れる雲から、足元に芽吹く雑草、そして言葉を解する人間に至るまで、あらゆる存在は『ステータス』という名の数値によって定義される。魂の核に刻まれたその序列は絶対であり、レベルが上がれば、その存在は世界から「重み」を与えられ、物理法則すら超越した恩恵――加護(ギフト)を享受する。

 レベル百の少年が振るう錆びた鈍色は、レベル一の農夫が磨き上げた名刀を、理屈を介さず粉砕する。それがこの世界の絶対不変の摂理であり、神が定めた唯一の秩序だった。


 だが、その秩序という名の歯車から、零れ落ちた「異物」が存在する。


 辺境の村リンド。その北端に広がる、打ち捨てられた荒れ地。

 夜明け前の、まだ星が冷たく瞬く時刻。そこには、ただ黙々と「鉄塊」を振るう一人の少年の姿があった。


 アルト・ウォーカー。

 かつて騎士の家系に生まれながら、加護の儀において「レベル固定」という絶望を宣告された、理外の徒。

 彼の網膜には、三年前から一歩も動かない非情な文字列が焼き付いている。


【名前:アルト・ウォーカー】

【種族:人間(理外者)】

【レベル:1(固定)】

【筋力:5】

【敏捷:5】

【耐久:5】

【魔力:0】

【加護:なし】


 底辺ですらない。生物としての生存権を疑われるほどの脆弱な数値。

 通常、この世界の人間は鍛錬や魔物の討伐を通じて「経験値」を獲得し、魂の器を拡張させる。だが、アルトの器には底が存在しなかった。どれほど血の滲む努力を重ねようと、獲得された経験は器の縁から溢れ、虚空へと霧散していく。

 神は彼に、強くなるための「計算式」を与えなかったのだ。


「――九百、九十、一」


 アルトの吐息が白く、鋭く夜気を切り裂く。

 彼が握っているのは、刃すら付いていない無骨な鉄塊。重量にしておよそ四十キログラム。通常のレベル一の人間であれば、持ち上げることすら困難な「物体」だ。

 それをアルトは、流れるような動作で頭上へ掲げ、そして垂直に振り下ろす。


「九百、九十、二」


 ドォォ、と重厚な衝撃音が大気を震わせる。

 レベル一。筋力五。

 その数値が真実であれば、これほど重い鉄塊を振るえば、遠心力によって自身の腕が引き千切られるか、腰の骨が砕けているはずだ。

 だが、アルトの肉体は、ステータスという名の「嘘」を、その実数値(リアル・パラメータ)によって否定していた。


 三年前、絶望の淵で彼は気づいた。

 システムが力を与えないのなら、システムを介さない力を積み上げればいい。

 神が定めた補正値を無視し、純粋な物理法則――質量と速度、そしてベクトル。その合算のみで、世界と対峙する道を選んだのだ。


 朝靄の向こう、アルトの脳内には精密な回路図が展開されていた。

 彼が独自に構築した思考演算装置『理の回路(ロゴス・マップ)』。

 

(足裏の接地圧、均等。腓腹筋から大腿四頭筋への筋連鎖、同期。脊柱を軸とした捻転トルクを肩甲骨に転送――連結(リンク)開始)


 壱段:連結。

 それは、システムによる自動的な身体制御を完全に遮断し、自らの意思だけで全身の筋肉繊維、神経、骨格を一本の「線」として繋ぎ合わせる技術。

 加護による筋力補正が「掛け算」だとするなら、アルトのそれは、体内の全細胞を直列に繋ぎ変える「足し算」の極致だった。


「九百、九十、九――」


 アルトの全身から蒸気が立ち上る。

 レベル一の貧弱な器の中に、千日の素振りによって練り上げられた「圧倒的な実数値」が圧縮され、逃げ場を失って咆哮を上げている。

 そして。


「――一、千」


 最後の一振りが放たれた。

 瞬間、周囲の空気が爆ぜた。

 ただの鉄棒の軌道上にあった空気分子が急激に圧縮され、断熱圧縮による白光が散る。衝撃波が同心円状に広がり、地面の岩盤を深々と抉り取った。

 それは、スキルのエフェクトではない。

 ただの物理現象だ。

 一千日の間、一日一千回の素振りを欠かさず。計百万回を超え、アルトは世界という名の壁に、己の存在という事実を叩き込み続けてきた。


 システムは彼を拒絶したが、慣性の法則は彼を裏切らなかった。

 重力加速度は、彼を差別しなかった。

 三年間、一度もステータスは上がらなかったが、彼の骨密度は岩石を凌ぎ、腱は鋼のワイヤーへと変質していた。


「……ふぅ……」


 アルトは鉄塊を地面に下ろした。

 ズシン、と重い音が響く。

 彼は自身の右腕を見つめる。皮膚は硬く、血管が浮き出ている。ここには、神が与えた輝かしい『オーラ』など一片も存在しない。

 ただ、死に物狂いで鍛え上げられた、醜くも強靭な「肉」があるだけだ。


「ギャァァァアアン!」


 不意に、朝靄の中から不快な咆咆が響いた。

 茂みを掻き分け現れたのは、三匹の『グレイウルフ』。

 灰色に濁った毛並みに、血走った眼。レベル五相当の魔物。

 通常、村の衛兵が三人掛かりでようやく対処できる捕食者だ。レベル一の人間など、彼らにとってはただの移動する生肉に過ぎない。


 先頭の一匹が、弾かれたように地を蹴った。

 鋭い爪が、アルトの顔面を切り裂こうと迫る。

 神の加護を受けた者であれば、ここで『直感』や『回避』といったスキルが発動し、自動的に身体が最適解を選択するだろう。


 だが、アルトには何もない。

 あるのは、三百万回の反復によって培われた、冷徹な観察眼だけ。


(個体識別:グレイウルフ。推定質量、四十二キログラム。初速、時速四十八キロメートル。接触まで、零・三二秒――回避の必要なし)


 アルトは、瞬きすらしなかった。

 迫りくる凶刃を前にして、彼の心拍数はむしろ低下していく。

 

 アルトは、右手に持った鉄塊を無造作に、まるでハエを叩き落とすかのように横へと振った。

 

 ――グシャッ。

 

 あまりにも短い、しかし重苦しい破壊音。

 空中で跳躍していたウルフの頭部が、鉄塊と接触した瞬間に消失した。

 いや、消失したのではない。鉄塊が持つ圧倒的な運動量に耐えきれず、頭蓋骨ごと全身の構造が崩壊し、霧のような血飛沫となって後方へ吹き飛んだのだ。


「グル……ル……?」


 残された二匹が、困惑に足を止めた。

 彼らの原始的な脳では、目の前の事象が理解できない。

 眼前の餌(人間)からは、何の強者としての波動(レベル)も感じられない。数値は間違いなく「一」だ。

 なのに、なぜ同胞が一撃で、塵に変わったのか。


「お前たちが驚くのは正しい。この世界のルール(計算式)に、今の攻撃は含まれていないからな」


 アルトは冷徹な口調で告げ、一歩、踏み出す。

 その一歩だけで、地面の土が爆ぜた。

 

(脳内演算、第二フェーズ移行。目標二。衝突ベクトル、上方四十五度。――連結開始)


 アルトの肉体が、陽炎のように揺らぐ。

 二匹のウルフが恐怖に駆られ、逃走を図ろうと背を向けた――その時。


 ドォン!!


 大気を踏み抜く音が炸裂し、アルトの姿が消失した。

 否、あまりの加速度に、魔物の動体視力が追いつかなかったのだ。

 

 アルトは逃げるウルフの直上に現れ、その巨大な鉄塊を、垂直に叩きつけた。

 ただの重力加速度に、アルトの全背筋力を上乗せした、純粋なる質量の暴力。


 地響きと共に、荒れ地の地面がクレーター状に陥没する。

 そこには、もはや魔物の形をしたものは残っていなかった。

 鋼鉄のプレス機にかけられたかのように、ウルフの肉体は石畳の深層まで押し潰され、ただの紅い染みへと変わっていた。


「……レベルを上げれば強くなる。神はそう言った」


 最後の一匹が、恐怖のあまり失禁し、動けずにいた。

 アルトはその頭部を、万力のような力で掴み上げた。


「だが、レベルを上げなければ強くなれないとは、神も言っていない」


 アルトの手が力を込めると、魔物の頭蓋が、乾いた音を立てて砕け散った。


 朝焼けが、荒れ地を赤く染めていく。

 三匹の魔物を屠りながらも、アルトの視界に『経験値を獲得しました』というシステムメッセージは表示されない。

 彼にとって、この戦いはレベル上げ(レベリング)ではない。

 己が積み上げてきた「事実」が、依然としてこの世界で有効であるかを確認するための、単なる検算(テスト)に過ぎなかった。


 アルトは静かに、村の方向へと歩き出した。

 背負った鉄塊が、朝日を浴びて鈍く光る。

 

 これから始まるのは、神への反逆ではない。

 ただ、システムの空白に堕ちた男が、実数値という名の凶器で世界を正していく、冷徹なる記録。

 

 レベル一の理外者。

 その歩みが、世界という名の演算式を、根底から狂わせようとしていた。

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