第2話 初めてのお砂糖
しばらくVRChatから離れようかと思ったが、暇な時間ができるとネガティブなことばかり考えると思い、気を紛らわすためにいつものようにフレンドと遊んでいた。しかし、どうしても彼女のことが頭によぎってしまう。フレンドと遊んでいても、なぜか寂しさが募り、彼女に逢いたくて胸が苦しくなる。彼女のところにjoinしたいが、彼女は人気者でいつも周りに人が集まっている。だから彼女のいるインスタンスに行っても埋もれてしまう。やはり俺は彼女にとって有象無象の一人でしかないのだろうか。たしかに彼女は大人気のイベントキャストで、俺は無名の一般人でしかない。彼女とは仲良くなれたと思っていたが、それは俺の思い上がりだったようだ。彼女がキャストをしているイベントの日がやってきた。さて、どうするか。基本的に彼女と会うのはイベントのときだけのため、行きたいのは山々だが、気まずさを感じて躊躇してしまう。やはり告白してしまうと、二度とそれ以前のように付き合うことはできないのだと痛感した。表面的には同じように見えても、内面では相手に対して抱く感情は不可逆的に変化してしまうのだと。しかし、俺はイベントに行くことにし、彼女のいるインスタンスにjoinした。すると、いつものように受付で彼女の名前を出し、席に案内される。
彼女は俺が告白してからも、フレンドリーに接してくれた。しかし、それだけでは俺はどこか満足できなかった。彼女への思いは落ち着く様子が無く、どうにかして彼女の気を惹きたかった。やはり、ただのフレンドという関係ではおれは満足できなかった。俺は彼女にとっての一番になりたかった…
どうすれば彼女は振り向いてくれるのだろうか。彼女の普段のVRChatでの行動を思い返すと、彼女はよく大人数のいるインスタンスにいることが多い。そして、それらのインスタンスには所謂界隈の有名人や人気者の誰かしらがいた。なるほど、数多のVRChatterの例に漏れず、彼女も有名人が好きなのだろう。ならば、俺もVRChatのなかで有名になれば彼女は振り向いてくれるかもしれない。向こうから俺のところにjoinしてくることはほとんど無かったが、コロッと態度を変えて俺に会いに来るだろう。俺は有名人になる方法を考えた。
タイムラインを見ていると、あいつはよく有名人や人気なイベントスタッフのところにjoinしている。どうせあいつは有名人や人気者が好きなんだ。なら、俺も有名人になればいい。そうすれば俺に対する態度も変わって向こうから俺に会いに来るだろう。とりあえず接客イベントをやれば人が来るだろう。
しかし、自分で新しくイベントを開いてそこのスタッフをやるか、既存のイベントのスタッフになるか、どちらがいいだろうか。前者はコストがかかる上に人気が出る保障もない。それに比べ後者は労力が低い上、イベントの人気にあやかることができる。でも俺はイベントのスタッフなんてやったことないから他のスタッフに埋もれてしまうかもしれない。
自分で運営したほうがイベントをコントロールできるし。それに、一つだけじゃなくて複数のイベントを主催して数打てば俺の知名度も上がりやすくなるだろう。ただのイベントの一スタッフよりもイベント主催者のほうが肩書に箔が付く気がするし。
***
本オープン当日、遂に接客イベントが開かれて、俺は初めて接客ロールプレイをすることになった。イベント時間は1時間で、キャストは20分ごとに席を移動する。
イベント終了後、TLには参加者の感想が流れてきて、好評の様子だった。俺が相手をした客の一人に、かのんという人がいた。どうやら俺の接客はその人にウケたらしくて、毎週イベントに来てくれた。イベント中に俺が接客できなかったときは、わざわざアフターで俺に会いに来てくれた。俺は初めて人から推されるという体験をした。
ある時、イベント外でたまたま同じインスタンスに居た時に、今はイベント中ではないということでフレンドになった。かのんさんはよく会いに来てくれて、最近だと一番よく顔を合わせているかもしれない。今まで人に推されることなんて無かったけど、これはなかなか気分がいい。俺のことを承認してくれて、俺の言動を全肯定してくれる。なるほど、これは複数のイベントを掛け持ちしてキャストをしている人の気持ちがわかる。ファンに推されているあいだは自分が世界の中心にいるかのような全能感に浸ることができる。
HMDを外し、寝る前にスマホを見るとかのんさんからDMが届いていた。
「こんばんはー!アールさんのイベントのときの改変の写真撮りたいんですけど、よろしいでしょうか?もしよろしければ都合のいい日を教えてください。」
え、これってまさかデート?
い、いや早まるな。
これはただ、写真を撮るだけ。
こんな誘い受けたの初めてだから動揺してしまった。
それにおれはあの人以外に興味は無い。
しかしまあ、それは別としてこのお誘い自体は純粋に嬉しいので喜んで承諾しよう。
「いいですよ!直近だと明日の二十三時からが空いていますがどうですか?」と、返信をした。
するとすぐさま返信がやって来た。「では明日の二十三時からよろしくお願いします!」と。
さらっと決めてしまったが、イベント以外でかのんさんとサシで話したことないからいつも通りに振舞えるか心配である。
***
そろそろ約束の時間だからVRCに入る。
目の前がいつも見慣れたホームワールドになり、時間になるまでボーっとしていた。
すると、視界の左下に水色の封筒のマークが表示されていることに気づいた。
ハッと我に返り、時間を確認すると予定から5分過ぎていた。
急いでメニューを開き、かのんさんの元へ向かった。
「どーもどーもー!」
「どーもー、遅れてすみません!」
「いえいえ!私なんかのために時間取ってくれてありがとうございます!では早速始めましょうか!」
かのんさんが移動し始めたので彼女の後ろをついて行く。ワールドを見渡すと、そこは薄暗い幻想的な空間だった。色は青から紫へとグラデーションし、空を見上げると無数の星がきらめき、足元は鏡のように空の景色を写し取っていた。そこに地平線は無く、空と大地が融解し、俺は地面の上に立っているのか、空を飛んでいるのか分からなかった。
「えーと、じゃあここに立って貰っていいですか?」
「わかりました。ここですね。」
「そうそう、じゃあ撮りますねー」
彼女はそう言ってパシャパシャと俺を撮り始めた。「わー!」とか、「かわいいー!」とか言いながら完全に自分の世界に入っていてずっとカメラのシャッターを切り続けていた。10分ほど経つと、彼女は次のワールドに移動しようと言った。それから、いくつかワールドを巡り、被写体になっていると、一時間が過ぎていた。
「よし、満足した!」
「ふう、やっと終わりか…」
「ごめんね、つい夢中になっちゃって」
「そんなに良いですか?俺の改変」
「そりゃもちろん!一目惚れですから!」
うう…素直な好意が眩しい…
嬉しいが、一部の人間に推されてもしょうがないんだよな。俺は人気になるのが目的だから。だとすると今日みたいにこうやって一人のファンに時間を割くのは非効率だな。
「嬉しいけど、そんなに人に褒められたことないから照れるな」
「イベント中のロールプレイとのギャップもあってそういうところも好きですよ!」
「…!!」
なんだこの人、本気で言っているのか?いや、そんなわけない。どうせお世辞だ。それにこれから人気キャストになるならこんな言葉いちいち真に受けちゃいけない。余裕を持ってファンに対応しないとな!
「ありがとう。そう言ってもらえると来週の営業も頑張れるよ。」
イベントの時のキャラでかのんさんの頭を撫でながらお礼を言った。
***
10月31日、ハロウィン当日、この日は特別営業が行われた。俺たちキャストはこの日のために、それぞれ思い思いのハロウィン改変をしていた。次々とやって来るお客さんを捌いていく。今日は特別営業でキャストと客の交流が目的なので、普段のように一対一の接客ではなく、不特定多数の相手との雑談がメインとなる。だからいつもは落ち着いた雰囲気のイベントだが、今日はとても賑やかだ。かのんさんのフレンドも来ているようで、彼女の周りに人だかりができている。
気付いたら四つあるインスタンスの全てが満員になっていて、なんだか感慨深い気分になった。アフターになってもインスタンスの熱は冷めることを知らず、俺はこのイベントを作って良かったと心から感じた。しかし、そこにあの人の姿は無かった。
「アールさん、この後時間ある?」
急にかのんさんが話しかけてきた。何だろう、と疑問に思いながら特に予定は無かったので俺は二つ返事をした。
「いいですけど、なんかあるんですか?」
「いやー、特に何かあるわけじゃないんだけどね」
「そうなんだ」
まだこのインスタンスにいたキャストのみんなにも挨拶を済ませ、かのんさんのところに移動した。
「ごめんね待たせちゃって、みんなに挨拶していたら時間かかちゃって」
「ううん、そんなこと無いよ。それより今日は楽しかったね!いっぱい人が来てたし、私のフレンドも来てくれたし」
「そうだね、かのんさんは多分すぐに人気キャストになれると思うよ。俺も負けないように頑張らないと!」
「そうかなー、私よりアールさんのほうが魅力的だと思うけどな。キャストなんて初めてだし…」
先程までの喧騒とアルコールで身体が火照っている。このワールドの夜風が熱くなった身体の表面を撫で、鈍い頭に多幸感がじんわりと流れ込んでくる。ボーっとしていると、先程よりかのんさんが近くにいるような気がした。彼女はこちらに顔を向けて何か言いたげにしながらジッと黙っていた。彼女のアバターに表情の変化は無いはずだが、心なしか目尻が下がり、頬を赤らめているように見えた。ふと邪な考えを浮かべている自分に気付いたが、そんなことあるわけないと考えを切り捨てる。
「ねえ…」
恐る恐る彼女は沈黙を破った。いや、まさかそんなこと、俺が勘違いしているだけだ。彼女に限ってそんなこと…
確かに彼女は俺のことを推しているが、それとこれとは話が違うはずだ。
俺が必死に動揺を隠していると彼女は言葉を続ける。
「私、アールさんのこと推しって言ってたけど、実は…」
「…!」
「推しとかじゃなくて、好きなんだ… アールさんのことが…」
「そうなんだ…」
「うん、だから… 私とお砂糖してくれませんか?」
「…!!!」
どうする!いや、正直俺もまんざらでもない。だが、かのんさんとお砂糖したらサクヤさんのほうはどうする…
いや、可能性の低い女より目の前の女を選ぶほうが得策か。おいおいおい、俺は何を考えているんだ、もっと目の前の相手に真摯になれよ!どうするんだ俺。かのんさんとお砂糖するのかい?しないのかい?どっちなんだい!
「いいよ。実は俺もかのんさんのこと気になってたんだ」
ああ、言ってしまった…
もう後には引けないぞ。どうなっても知らないぞ。でもこれを機にサクヤさんのことを忘れるってのもありかもしれない。
「そうだったんだ、嬉しい!」
かのんさんは頭を俺の右肩に預ける。サクヤなんてかわいいんだろう。彼女の告白を引き受けてから、自分の中の彼女に抱いていた愛おしさの感情を素直に受け入れられたような気がする。この日は彼女の顔を撫で続けていた。
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