第7話 沼
翌日。2週間後までに合奏に混ざれるようにならなければならない響は、地結季に教わりながら個人練習をするべく、別教室に楽器などを持ちながら移動した。
「じゃあ、まずは安定して音を出せるようになるところからだ。俺が書いてきたノートにある指使いを見ながらロングトーンをさせたいんだが、その時にメトロノームがあると便利なんだよ。だから、これやるよ。」
ついに本格的な個人練が始まった響。練習方法を聞き、早速始めようとした時、地結季からとある小さな四角い機械を渡された。
「何?これ。」
「これは、チューナーっつってな。チューニング…、音を合わせる時に使う。ほら電源つけると、メーターみてぇなの出てくるだろ。これのど真ん中に今動いてる棒を合わせて、音が合ってるかの確認をする。和音の中であえてピッチをずらすこともあるが、それはまた後でだ。」
「へぇ……。すごいね。この機械。」
「だろ。んでだ。これにはメトロノームもついててな。ほら。」
そう言うと地結季はチューナーのメトロノームをつけた。電子音が規則正しく鳴っている。
「え、すごい。こんな機能もあるんだね。」
「ああ。吹奏楽部員は1人1台マストで持ってる。これ姉ちゃんのなんだが、もし気にならなかったらもらってくれ。」
「いいの?」
「もちろんだ。」
そうして地結季から譲り受けたチューナーを使い、ロングトーンの練習を始めた。その間、地結季も自主練をする。練習を重ねるうちに、響は少しずつ下のドからソまで安定して出せるようになった。それを聞いて地結季が立ち上がり響に近付き、ソから上のドまでを練習するよう告げた。響は言われた通りにソから上を練習し始めたが、ラとミの指が一緒なため、なかなか狙った音を出せずにいた。すると、それを見て地結季がアドバイスをする。
「俺の真似してみろ。」
そう言うと地結季は、ラとミの音をリップスラーで往復した。それを響は、1オクターブ下の音で真似る。すると徐々に狙った音が出せるようになってきて、ついに、1オクターブは安定してロングトーンが出来るようになった。
「よし。いけたな。そしたら次のフェーズだ。合奏に混ざるには、楽譜を読めなきゃいけねえ。今からそれを教える。まず、チューバはヘ音記号の楽譜でな。難しい説明は一旦省くが、五線譜の一番下の線の音はチューバの調でラだ。つまり、そこから辿っていくと音がわかる。その音の指は俺が譜面に書いておいた。」
「ありがとう。1番下がラなんだね。」
「ああ。お前は音楽の成績はいいから音符の大体な読み方はわかるだろ。細かな音楽用語や奏法記号は後でやる。今は、頭から試しに歌ってみろ。」
「え?歌う?」
音が出せるようになった響に説明する地結季。次は何故か歌えと言われ、困惑した目で地結季を見上げる。
「ああ。頭の中でちゃんと楽譜上の音が鳴らせてねえのに、楽器で吹けるわけねえからな。だから歌う。自分の声で楽譜を読むんだ。最初の音だけ楽器で吹いて、続きからは歌ってみるんだ。まずは、AからBまでを歌ってみろ。」
響は言われた通り最初の音を楽器で吹いたあと、楽器を置き、メトロノームを鳴らし、続きを歌い始めた。そうして突っかかりながらも一通り歌い終えた響は、地結季を見る。
「ああ。大体はいいが、一部リズムが違う。ここはな………………、」
地結季に教わりながら歌い続け、AからBを歌えるようになった。そしてついに、
「よし。まずいいな。ここまで来たら実際吹いてみるぞ。」
「分かった。」
楽器に息を入れ、楽譜の音符どおりに音を鳴らす。先程までしっかり歌い、音とリズムを頭に定着させたおかげで、すんなり吹き始めることができた。AからBまでなら、まさか入って2日目の部員の演奏とは思えない出来だった。
それは何より、響の飲み込みの速さと、地結季の教え方の上手さがカンストしている証拠だった。その調子で、BからC、Dから、Eと着実に進めていった。そして、拍子が変わるところまで一通り吹くことができるようになったところで、次に進むことを一旦やめ、今日はAからEをひたすら繰り返させた。
それから時間が経ち、部活の時間が終りに近付く。楽器を持って、ミーティングをするために音楽室に戻った。そしてミーティングが始まった。ミーティングでは、今日の反省点が言われていた。さすがにまだ混ざれない響は、疎外感を感じていた。そして2週間後へのプレッシャーで、それは複雑な心境だった。すると、部長から地結季に話が振られる。
「それで、碧。今日はどうだった?」
「ああ。これは盛ってない本当の話なんですが、細かい技法は置いといて、AからEまで、一通り吹けるようにできました。」
その言葉を聞いて、部内がざわめく。部長や先生も目を見開いたが、すぐ場を締める。
「お前ら、静かに。いいペースだな。流石だ碧。そして紫ノ月。お前もよくやっている。」
すると急に、天崎が立ち上がり話し出した。
「ならせっかくだー!荒削りでも下手でも構わない。部活時間が過ぎたら俺と水無先生で怒られてやるから、AからEまでだけ、紫ノ月も混ざって合奏してみないか?」
「え!?」
「ええ!!いいじゃん!やろーやろー!!!」
急な提案にまた部内がざわめき、響すら声を上げたが、莉蘭が先陣を切って乗り気になったおかげで雰囲気が明るくなり響が混ざりやすくなった。そして響の席を用意した。入部二日目にして、指揮者側から見て右端に部員皆と椅子を並べて座る響。その初めての視点に、緊張と期待と不安を織り交ぜて肩に力が入る。だが、隣に陣取っている地結季が声をかける。
「大丈夫だ。何もベストを出そうとしなくていい。さっきやった練習の復習だと思えばいい。あまり気負うなよ。今は練習以上のことなんてする必要は無い。」
響は地結季の言葉を受け、肩の力を少し抜いた。いよいよ天崎が指揮台に乗る。そして指揮棒を振る。
「響ー!俺の動きに合わせろよ〜!それじゃいくぞ〜。3、4!」
鳴り響く音。そこに響の音が混じった。それは、今までよりも確実に音の厚みを増し、全体的に迫力を帯びた曲になった。今はただ音が出せるだけというレベルの響だが、その音だけにフォーカスしても、まだまだ荒いものの、磨けば全てを底上げすると確信させるようなものだった。
天崎は薄ら笑いを浮かべ、地結季だけが勝ち誇ったような目をしていた。部員もそれぞれ、演奏しながら目などであからさまな困惑を見せた。だが、全体の演奏自体のレベルが落ちない、さすがの演奏だった。それに今、響が混じっている。
天崎が拳を握り、音を止めた。一部とはいえ合奏を終え、響は、そのあまりの一体感の快感に目を輝かせた。
「はあ……!はぁ……っ!すごい……これが……合奏……!!」
「いいもんだろ?」
「うん……っ!!」
酸欠でクラクラする頭を抑えながらも、分かりやすく今の合奏を噛み締めている響に地結季が話しかける。響は即答した。
「こりゃ磨くだけ光る原石だわー!磨き甲斐あるぞ〜!!」
天崎が今の合奏で確信したように、響に向けて賞賛の言葉をかけた。
まだ唇は今まで経験したことがないほどヒリヒリしている。響は今の合奏で、ますます音楽の沼に沈んでいくきっかけを得てしまった。
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