第3話 ようこそ、王立魔法学園アストレギアへ
目が覚めると、視界の先には白い天井と石造りの壁が広がっていた。
鼻をくすぐるのは、薬草のような独特の匂いだ。
「……病院……ではないよな、ここ」
上体を少しだけ動かして窓の外を見る。見慣れない塔や、石造りの建物が並んでいる。
今まで住んでいた日本とは、明らかに違う景色だった。
あたりを見回すと、俺のことを庇ってくれた金髪の少女が、隣のベッドで眠っているのが目に入った。右腕には包帯がぐるぐると巻かれていて、その下に隠れた傷の深さを想像させる。
「まだ寝てるのか……。でも、よかった。生きててくれたんだ……」
胸を撫で下ろした、その時だった。
「お目覚めかなー」
ノックもなく、扉が開く。制服らしき服の上に白衣を羽織った女性が、ひょいっと部屋に入ってきた。
「はっ、はいっ!」
思わず声が裏返る。
「おや、起きたのはキミだけか」
白衣の女性は俺のベッドのそばまで歩いてくる。二十代くらいだろうか。俺より頭一つ分は高い、すらりとした長身。肩までの髪を後ろでまとめ、整った顔立ちはどこか中性的で、涼しげな目元が印象的だ。
「起きられそう? 気分はどう?」
声は意外なほど柔らかく、そのギャップに少しだけ安心してしまう。
俺は布団を押しのけて、上体を起こそうとする。
「あれ……?」
さっきまで全身が痛かったはずなのに、不思議と痛みはほとんど残っていなかった。
(あんなに痛かったのに……)
戸惑いを抱えたまま、白衣の女性に問いかける。
「ここは、どこなんですか?」
「ここは、王立魔法学園アストレギアの救護室。キミたちは、うちの生徒に運び込まれたの」
魔法。
頭の中でその単語を反芻する。聞いたことがないわけじゃない。でもそれは、本やゲームの中だけのものだったはずだ。
「魔物に襲われたって、大慌てでね。キミは軽傷。あっちの子は重症だったわ。
キミは傷自体は軽かったけど、ひどく力を消耗していたから、回復魔術をかけさせてもらったの」
回復魔術。やっぱり、現実とは思えない言葉だ。
それでも、この人が俺を助けてくれたことだけはわかる。
「ありがとうございます。その……助けていただいて」
礼を言うと、彼女はふわりと口元を緩めた。
「その言葉は、キミを庇ってくれた彼女に言ってあげて」
視線の先で、金髪の少女が静かに眠っている。
「私はね、こうやって怪我した生徒を治すのが仕事だから。
キミみたいなの、ここにはいっぱいいるわよ?」
そう言って、彼女は少しだけ顔を近づけてくる。
(近っ……!?)
思わず体がびくっとなる。切れ長の澄んだ瞳に真正面から見つめられ、心臓が妙な音を立てた。
「でも、キミ。うちの生徒じゃないよね? その変わった服装、どこからどう見てもここの制服じゃないし。どこから来たの?」
当然の疑問だ。
けれど、どう答えるべきなのか。ここが「外国」だとしたら、なぜ言葉が通じる? そもそも、俺はいまどこにいる?
頭の中にいくつもの疑問が一気に溢れかえっていく。
「まぁ、そのあたりは学園長に任せよっか。あの人、キミに会いたがってるから。詳しい話はそっちでね」
彼女は軽い調子でそう言うと、部屋の奥にある扉の方を指さした。
俺はベッドから降り、促されるままに立ち上がる。扉へ向かう途中で、ふと思い出したように問いかけた。
「あ、そういえば……あなたの名前は?」
我ながら、少し情けないくらい弱々しい声だった。
「あっ、ごめん。自己紹介、まだだったね」
彼女は軽く額に手を当ててから、にこりと笑う。
「私はセシリア・グレイス。この学園の治療と医療を担当してる教師よ」
「セシリア先生……。俺、星宮蓮っていいます」
「蓮か。いい名前ね」
そう言ってから、彼女は扉を開けてくれた。俺は小さく頭を下げ、廊下へ踏み出す。
しばらく歩くと、重厚な扉の前に辿り着いた。扉の横には「学園長室」と書かれた札がぶら下がっている。
セシリア先生が扉をノックする。
「学園長、少年をお連れしました」
「入れ」
低く、よく通る声が中から響いた。
一瞬、足がすくむ。そんな俺の背中を、セシリア先生がぽんと軽く押した。
「じゃ、がんばってね。終わったらまた救護室に戻ってきて」
「うわっ——」
よろめきながらも、俺はどうにか学園長室の中へ足を踏み入れた。
部屋の奥の椅子に、一人の老人が座っていた。
「あなたが……学園長さん、ですか?」
緊張と不安を押し隠しながら尋ねると、老人は短くうなずいた。
「うむ」
その一言だけで、なぜか背筋が伸びる。
「私はイザーク・アストレイル・グランツ。この学園の学園長をしている者だ。
君が——担ぎ込まれてきた“謎の少年”で間違いないな?」
重みのある声だった。その存在感だけで、この老人がただ者ではないと理解できる。
「はい。星宮蓮といいます」
名乗りながら、改めて老人を観察する。鋭い目つきに、短く整えられた髪。口元には立派な髭を蓄え、身にまとったローブは先ほどのセシリア先生のものよりもさらに重厚だ。
その横には、謎の生物がふよふよと浮かんでいた。
小さなマスコットのような姿。どこか可愛らしいのに、この部屋にいるせいか妙な圧も感じる。
「気になるかね」
学園長が問いかけてくる。
「あっ……すみません」
咄嗟に謝ると、彼は小さく笑った。
「こいつは私の使い魔だ。身の回りの手伝いをしてくれる、優秀な相棒でね」
そう説明してから、改めて俺を見据える。
「星宮蓮。単刀直入に聞こう。——君は、この世界の者ではないな?」
真正面からの質問に、息が詰まる。
そうだ。見たことのない怪物。魔術という言葉。石造りの街並み。
ここは外国なんかじゃない。俺の知っている世界とは、違うどこかだ。
説明できる言葉は、ひとつしか思いつかなかった。
「……はい。おそらく俺は、こことは違う世界から来ました」
嘘をつける状況じゃない。それに、そうとしか考えられなかった。
「やはり、そうか」
学園長は一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「——君は、これからどうしたい?」
「俺は……」
言葉に詰まる。
普通に学校へ通って、家族と暮らしていた。なのに、気づいたら見知らぬ世界に一人きり。
怖い。不安。何もかもが未知だ。
それでも、心の奥底にあった答えは、意外なほどシンプルだった。
「……元の世界に、帰りたいです」
学園長は、わずかに目を細める。
「ならばまず、この世界について知ることだ。
私としては、この学園に籍を置き、学ぶことを勧めるが——どうだ?」
提案というより、道しるべのように静かに告げられる。
ここ以外に頼れる場所はない。少しの間だけ目を閉じてから、俺はうなずいた。
「……この学園で、学ばせてください」
「決まりだな」
学園長が指を鳴らすと、使い魔がふよふよと飛んできて、小さな器具を運んできた。
「これは血の濃さを測る魔道具だ。本来なら大ホールで正式な儀式として行うのだが……すでに入学式は終わっていてね。
簡易的なものだが、見届け人が私一人でも問題はあるまい」
そう言いながら、机の上に器具を置く。
円盤状の金属の表面には紋章が刻まれ、中央には小さな宝石。その縁に、ごく細い刃が仕込まれている。
「これは……何のための儀式なんですか?」
思わず尋ねる。
「詳しくは授業で学ぶことになるが、この国には“竜禍”と呼ばれる災いが存在していてな。その対策のために、あらかじめ血の性質を調べておく必要があるのだ」
ちょうど準備が整ったらしい。
「さ、始めたまえ」
促されるまま、俺は指先を小さく切り、宝石の上に血を垂らした。
次の瞬間——器具が脈打つように眩く輝いた。
「おお……」
学園長が、わずかに目を見開く。
だが、その光はすぐに落ち着き、紋章だけがぼんやりと淡く光を放つだけになった。
「あの、俺の血……どうでした? 何かマズい感じでした?」
さっきの驚き方が気になって、不安になった俺は思わず聞いてしまう。
「いや、問題ない。むしろ——薄い方だな」
学園長は先ほどより少し砕けた口調で言葉を続けた。
「何も心配はいらん。星宮蓮——君の入学を正式に許可しよう」
そして、重々しく告げる。
「ようこそ、王立魔法学園アストレギアへ」
俺は大きく息をついた。どうやら、とりあえず“危険人物”扱いは免れたらしい。
「手続きはこちらで済ませておこう。君は先ほどの救護室に戻りなさい。私もすぐに向かう」
学園長が書類に手を伸ばしたのを見届けてから、俺は一礼して学園長室を後にした。
****
異世界から来た少年がいなくなった学園長室は、すぐに静寂を取り戻した。
部屋に残っているのは、老人と、その肩のそばを漂う使い魔だけだ。
学園長は窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……異世界からの風が、吹き込んだか」
その声音は、どこか楽しげでもあった。
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