第五章 「空へと昇る涙」その4
首を大きく傷つけられた亀は、最後に激しい断末魔を放ち、それから大きな石となった。肉体の部分は消え、残った甲羅だけが、大きな大きな石となった。
「やった……、やりましたね、ミゾレ様‼︎」
「よっしゃぁ‼︎ やったぜ! 見たかオラァ〜‼︎」
ハナコとカイザーが駆け寄ってきて、私たちは甲羅のすぐそばでハイタッチをした。
どういう仕組みか、亀によって放たれた周囲の火は自然と鎮火し、残った煙だけが空にわずかな軌跡を残した。
ハナコとカイザーは、どちらがよりこの戦闘に貢献したかについて、他愛のない言い合いを始めた。私はそれに少し笑みを漏らすと、まだ少し煙が残る大空を見上げた。
「ヒノデ、私はあなたを忘れない……。あなたを忘れぬまま、あなたの居場所を覆っていく。新たな出会いで、覆っていく……。それって、もしかして変なのかな……?」
自分がどんな表情をしているのか分からなかった。見てみたい気もしたが、見たくないような気もした。
ふと、私は我に返ったように大切なことを思い出す。
「——そうだ! 戦場の方は⁈」
私がそう言って戦場の方を振り向いた瞬間——
「お〜い! ミゾレ〜‼︎」
森の中から、ヒノデの姿をした『彼』が姿を現した。
「ツミキ! 無事だったか……。戦場の方はどうなった?」
私が尋ねるよりも先に、カイザーが私が一番知りたいことを訊いてくれる。
カイザーの質問に、ツミキは笑って答えた。
「バッチリだよ! 使役獣は全部倒して、戦いも終わった。僕が王都軍に戦いをやめるよう言ったら、皆んな武器を下ろしてくれたんだ。今は、両軍共に怪我人の手当てに当たってる」
ツミキの言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「確かに……、あのレベルの魔獣四頭を一人で倒してしまう人が相手じゃ、従うしかないね」
「さすがだぜ! ツミキの旦那!」
「想像以上だ。まさか貴様に、救われることになるとはな」
実際の状況はわからないし、失われた命が帰ってくることもない。それでも私は、ひとまず戦いが終わったことに、そっと胸を撫で下ろした。
「あの仮面の男には……、逃げられちゃったんだ」
ツミキは暗い顔をして、そう言った。
その言葉は、少なからず私の心にも影を落とした。あの男は、あの無意味な戦いを引き起こした張本人なのだから。
けれど私は、首を振った。あの戦いを止めてみせた功労者に、それ以上の成果を求めることなどなかった。私の胸はすでに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ううん、十分だよ。本当ありがとう……。こっちもちゃんと、勝ったよ!」
私はそう言って、ツミキの前にVサインを突き出した。その姿を見て、彼もどこかホッとしたように笑顔を見せた。
「——まさかこんなことになるとはな」
その瞬間、黒い影が私たちを覆い、竜の魔獣が私たちの上に飛来した。
「ミゾレ様っ⁈」
「っ、おいツミキっ‼︎」
刹那、竜の爪が私とツミキの胴を掴み、その身体を大空へと連れ去った。ハナコとカイザーの姿がみるみるうちに小さくなり、もといた大地が遥か遠くに見えた。
「まったくの想定外だ……。だが目的は果たした! 貴様らにはここで消えてもらう……‼︎」
「っ! あんたは‼︎」
竜の背中から聞こえてきた声に、私はそこにいる人物を睨みつける。そこにいたのは、仮面をつけた男、あの憎き大臣だった。
「っ! お前……‼︎」
その姿に、もう一方の手に掴まれたツミキも鋭い表情を浮かべていた。
大臣はそんな私達に嘲るような笑みを向けると、竜の魔獣をさらに上空へと移動させた。
「くっ、この竜が使役魔獣でなければ、私の力で追い払えるのに……‼︎」
私のつぶやきに、大臣は楽しそうに口を開いた。
「残念ですが、使役されていなかったとしても、あなたの力はこの竜には及美ませんよ……。この竜は、かの有名な勇者どもにも怯むことがなかった、超上位クラスの魔獣! 貴様らは下の人間もろとも、ここで消しとばしてくれるわっ‼︎」
その瞬間、竜の爪が私たちの身体を離れた。竜は手を離し、私たちを同時に、拠り所のない空中に放り出した。
「なっ……⁈」
次の瞬間、竜の口から光が漏れ出した。何かを溜めるようなその光。本能的に、それが尋常ではない威力の攻撃につながっていると分かった。
「神域を消し飛ばすほどの熱光線! いくら木の力で防いだとしても、関係ない! 全てを焼き尽くしてやる‼︎」
大臣が叫ぶ。隣にいる彼も、木を展開して構えるが、その威力を予期して引きつった表情をしていた。
——ドクンッ!
その瞬間、大地が揺れた。いや、その表現は適当ではない。私たちがいるのは空中だ。だから正しくは、——空間が揺れた。
「なんだ……? これ……」
隣にいるツミキが、独り言のようにつぶやいた。その声で、私は彼の方に目を向ける。
「え? ねぇそれ、大丈夫なの⁈」
目を向けた先、ツミキは青い気に包まれていた。だが、私が心配したのはそのことではない。
——ツミキは、凍っていた。
まるで彼自身がものすごい低温であるかのように、空気中の水分が彼に触れて凍りついていた。
「なんだ……? 貴様、それはどういうことだ? なぜ貴様がそれを——」
その瞬間、竜の熱光線が放たれた。
同時に、ツミキが反射的に手を前に突き出す。それは、迫り来るものを防ぐような防御の動作。しかし次の瞬間、その両腕から木の枝が伸びた。青い気をまとった、冷たく凍った木の枝が……。
より合うようにねじれ、一本となったその枝は、迫り来る熱線を相殺し、その奥にいる竜の身体を貫いた。その直後、氷柱が竜の体内から突き出し、その身体を破壊した。
「なっっ⁈ そんなっ、バカなっ……⁈」
その衝撃で、竜から振り落とされる大臣。一方、竜は体内に溜め込まれていた熱が残っていたのか、まばゆく光り始めた。
「貴様、何者だ……! 貴様一体——」
「——僕はツミキ。彼女達を、守る者だよ」
次の瞬間、竜は大きな光と共に爆散した。竜のすぐそばにいた大臣は、その爆発とともに消え去った。
*
竜が爆発して消え、空中には私たち二人だけが残った。
私たちはなんとなく、スーパーマンのように両腕を前に伸ばし、その手を繋いだ。
「ハハ、やばいね! これ、大丈夫なの? 私たち」
私はなぜか、どこか興奮した様子でそう口にしていた。危機を乗り切った興奮からか、それとも助かる見込みがゼロのこの状況が逆に可笑しく感じられているのか、自分でもよくわからなかった。
「大丈夫。地上が近づいてきたら、僕が木で傘を作るよ」
正面にいるツミキは、私を落ち着かせるよう笑顔でそう言った。
「そっか、なら大丈夫だね」
応えるように、私も笑っていた。
先ほどまでツミキを包んでいた青い気は、竜の魔獣を撃破するのと同時に姿を消し、その氷もすっかり消えていた。繋いだ手からは、やや低い彼の体温がハッキリと感じ取れた。
「……そういえば、どこに行っていたの? 急にいなくなったから、ビックリしたんだよ?」
私がそう尋ねると、ツミキは少し困ったような表情を見せた。
「それは、君が戦わなくていいようにするために——、……ううん。結局僕は、君を守れなかった。結局、君にたくさんのものを失わせてしまった」
そう弱気につぶやくツミキの言葉を、私はハッキリと否定した。
「——そんなことない! 私、本当はずっと多くを持ってた……。何も持っていないと思っていた私にも、たくさんのものがあった! この戦いを通して、私はそれに気づくことができたの……。あなたは、それを守るために戦ってくれた! だから、私は——」
そこまで言葉にして、私は自分の中に、もう一つ不思議な気持ちがあることに気がついた。
「……それに、ね。私、嬉しかったの」
だから私は、少し戸惑いながらもその想いを言葉にする。
「あなたが戦場に現れてくれた時、嬉しかった。なんだか変だけど、あなたが戻ってきてくれたことが、嬉しかったの……。だから、ありがとう……!」
そう言って、私は笑った。散々拒絶した手前、少し恥ずかしい気持ちもあったが、それを笑顔で誤魔化した。
「……ミゾレのおかげだ」
「え?」
そんな私に、ツミキが口を開いた。
「ミゾレがいてくれたから、僕は帰って来れた。ミゾレが願ってくれたから、僕は帰って来れたんだ。だから……、ありがとう、ミゾレ」
その瞬間、私の肌が震えた。胸の奥が、ドクンと脈打った。
なぜだか分からない。けれどその瞬間、なぜか、重なってしまった。
——目の前にいるツミキの姿が、ヒノデの姿に重なった。その声が、重なってしまった。
それは、決して叶わなかった未来。
——彼が無事に、帰って来ることができますように……!
決して届かなかった、その願い。それが叶った、奇跡のような結末。
『彼』に、もう一度会えたという世界線。
——今、目の前にはない世界線。
『——ありがとう、ミゾレ』
それでもその瞬間、私は確かに聞いた気がした。ヒノデが私に、そう言ってくれた気がした。
それは、二度と聞くことができないと思っていた彼の声。二度と見ることができないと思っていた、彼の瞳。
いま目の前にある、声と瞳……。
——もう一度、彼に出会えた気がした。
「……好き」
私の瞳から、涙が溢れ出した。
「私は、ヒノデのことが好き……。ずっとずっと、好きだったの……」
それは、伝えられなかった想い。けれど、確かにここにあった想い。はるか昔から存在していた、決して消えぬ想い。
もう決して届くことはない、けれど今、確かに届けることができた想い。
——私は彼に抱きついた。ツミキが何か言うよりも先に、私は彼に抱きついた。
強く強く抱きついて、そしてそのまま泣き続けた。
変なんかじゃない……。
私はあなたを忘れない。忘れられるはずがない。
それでも私は、生きていく。消えぬあなたと、生きていく。
——これが、これからの私だ。
涙が風に舞い、深い青空へと昇っていった。
* * *
泣きじゃくるミゾレに、ツミキは困惑していた。
ミゾレがなぜ泣いているのか、先ほどの言葉の意味も、ツミキにはよく分からなかった。
ツミキは自分がまた何かしてしまったのではないかと、不安にもなった。
けれど、ツミキは何も言わなかった。
『これ以上泣かせたくない』と意気込んでおいて不思議な話だが、泣き続けるミゾレを見て、ツミキは「よかった」と思った。
——なぜだか、彼女は苦しみから解放されたのだと、そう思った。
胸に顔をうずめるミゾレを、ツミキはそっと抱きしめた。
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