その木、勇者に転生す。——亡き彼想う、少女ら惑う——

富士月愛渡

プロローグ 「その木、勇者と出会う」

 ——その日、その木は勇者になった。


 木が目を覚ましたのは、遠くに石のお城が見える森の中。

 あのお城を、木は知っていた。自分はかつて、あのお城のそばにそびえ立っていた。

「グ〜……」

 ——身体が養分を求めている。

 木は這うようにして動き出した。

 草木と土の匂いを感じながら、木はかつての光景を思い出していた。


 ——木のもとには、かつて何人もの子供たちがやってきていた。

 木の下で楽しそうに遊んでいる子供達、それを見ると木は嬉しい気持ちになった。

 流れる季節の中で、木は何人もの子供達と出会った。彼らは皆、木に優しくしてくれた。だから木は、彼らのことが大好きだった。

 彼らが笑顔でいること、それが木の喜びだった。


 ——けれどあの日、少女達は涙を流していた。

 四人の少女は、毎晩入れ替わるようにして木の根に大粒の涙を落としていった。

 それは、あの『少年』がいなくなってからのことだった。

 かつて四人の少女たちと遊んでいた一人の少年。四人の少女に好かれていた優しい少年。

 少女たちは涙を流すようになったのは、彼がいなくなってからだった。


「——主よ、我らの願いを聞き入れたまえ。我らの兄弟、偉大なる『勇者ゆうしゃ』を、あなたの国へ受け入れたまえ。この者はこの地にはびこる『魔獣まじゅう』から我らを守り、その命と引き換えに、その親玉おやだまを封印してくださった。我らの偉大なる勇者を祝福し、永遠の命に導いてください」

 城からやってきた神父は、木の下でそのような言葉を口にした。

 神父の後ろに集まった大勢の人々は皆、あの少女達と同じように涙を流していた。

 ——木はそこで、あの『少年』が死んだことを知った。


 ——まただ。木は思った。

 これまでも、木は多くの死を見届けてきた。木の下で過ごしていた子供達は、やがて大きくなると、木の前から姿を消す。

 けれど、そんな彼らが再び姿を現す時があった。

 ——大切な誰かが、死んだ時だ。

 そんな時、かつて子供達だった彼らは皆、木のもとに現れては涙を流していくのだった。


 神父がやってきたこの日の晩も、四人の少女達は木の下で涙を流していった。

 木は少女たちの涙を止めたかった。彼女たちを笑顔にしたかった。

 彼女たちだけではない。ここで涙を流してきた全ての子供達の涙を、木は止めてあげたかった。その笑顔を、取り戻す手助けがしたかった。

 けれど、木にできることなど何もなかった。

 ——やがて少女たちは姿を現さなくなり、あとには木だけが残った。


 それから時が流れたある日、落雷が木を引き裂いた。

 木は燃え、炭となり、その意識は永遠に消えるはずだった。


 ——けれど、そうはならなかった。

 木は森で目覚めた。そうして今、気づけば食事を求めて『歩き』はじめている。木にはなぜだか、それができた。何が起こったのか、それを考えるより先に、木は歩いていた。

 しばらく歩くと、木は一人の男に出会った。

 男は、小屋のそばで火を焚いていた。その火にかけられている『ナニカ』が放つ魅惑的な香りが、木をこの場所まで連れてきた。

「……お客さんとは珍しい」

 顔に白い髭を生やした白髪の男が、そう言って振り返った。

 男の話す言葉が、木にはわかった。木には子供達と過ごした長い長い日々があり、それが木に人間の世界を伝えていた。

 木が立ち尽くしていると、男が手で木を招き寄せた。

 そばに行くと、男は木に、湯気の立った器を差し出してきた。

「……食うといい。だいぶお腹を空かせているらしいからな。ただし、長居はするな。それを食ったら去れ。……後で服もやる」

 男に言われ、木は器を口につけた。そのあまりの美味しさに、木は夢中でそれを頬張った。

 それは、木の初めての食事だった。

「……あ、ありあと……」

 食事が終わった時、木はそう口にした。まだ、言葉は思った通りのカタチにならなかった。

「……別に構わない。俺だってこの国の人間だ。あんたの顔を見て、ただ追い返すことはできないさ」

 男の言葉に、木はわずかな引っかかりを覚えた。

 だが、それについて木が男に聞くことはなかった。それより前に、木はその答えを知った。


 ——ガラスの窓に、自身の姿が映し出されていた。

 栗色くりいろの短い髪に、若葉色わかばいろの瞳。どこか幼さの残る中性的な顔立ちの少年。

 四人の少女達に慕われ、そして消えたあの少年。木も大好きだったあの少年。

 ——窓に映る自分は、それと全く同じ姿をしていた。


「……あんたが生きて帰ったと知ったら、きっと大騒ぎになる。早く行ってやれ。会えて光栄だったよ……、勇者様」

 どこか湿り気を帯びた男の言葉は、木の耳を通り抜ける。


 その瞬間、木の脳裏によぎっていたのは、四人の少女たちの姿だった。


 ——木は、少女たちの涙を止めたかった。

 けれど、木には何もできなかった。木にはただ、見守ることしかできなかった。


 木はずっと知りたかった。

 あの子供たちは——かつて木の下で涙を流していった大勢の子供たちは、あれから笑顔を取り戻すことができたのだろうか。あの涙の結末を、木は知りたかった。

 けれどそれも、木には叶わぬ夢だった。木には、彼らに会いにいく力がなかったから。


 ——しかし今、木にはその力が与えられた。

 木は人となり、彼女たちのもとへ歩ける足を手にした。想いを届ける、言葉を手にした。

 彼女たちの前から永遠に姿を消した、あの『少年』の姿を手に入れた……。


 ——その日、その木は勇者になった。

 窓に映ったその姿の前で、木は静かに、彼女たちに会いに行くことを決めた。

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