第1節-6章【葛藤】
公園を出るころには、
雪はさっきよりも静かになっていた。
降っていないわけじゃない。
ただ、勢いが少し落ちただけ。
彼女は俺の隣を歩いている。
足取りはゆっくりで、
さっきよりも無理をしていないように見えた。
「……送るよ」
そう言うと、
彼女は一瞬だけ迷ったあと、頷いた。
「ありがとうございます」
声は、いつも通りだった。
元気そうに聞こえる。
だからこそ、余計に分からなくなる。
――俺に、何ができる?
そんな疑問が、
歩くたびに胸の奥で膨らんでいく。
「さっきの番号」
沈黙に耐えきれず、俺は口を開いた。
「……何かあったら、すぐ連絡する」
彼女は、きょとんとした顔をしてから、
少しだけ困ったように笑った。
「そんなに心配しなくていいですよ」
「でも」
言いかけて、言葉を止める。
“俺にできるのか”
“責任を持てるのか”
どれも、
今の俺には重すぎる。
「大丈夫です」
彼女は、
まるで俺の考えを遮るみたいに言った。
「ちゃんと、よくなりますから」
その言葉は、
驚くほどまっすぐだった。
根拠なんて、
きっとない。
それでも、
疑っているのは俺だけで、
彼女は一度も下を向いていなかった。
「……強いな」
そう言うと、
彼女は首を振る。
「強くないですよ」
「じゃあ、なんでそんなふうに言えるんだ」
少し、きつい言い方になったかもしれない。
彼女は、雪を踏みしめながら、
少しだけ考えてから答えた。
「冬、始まったばかりじゃないですか」
「……え?」
「ほら」
そう言って、
空を指差す。
雪はまだ、
きれいな形で落ちてきている。
「終わりを考えるには、
早すぎます」
その言い方は、
まるで自分に言い聞かせているみたいだった。
「冬は、長いです。
きっと、その間に、
いいこともあります」
その“きっと”に、
俺は何も言えなかった。
彼女の家の前に着く。
「今日は、ありがとう」
「……無理、するなよ」
そう言うと、
彼女は少しだけ、いたずらっぽく笑った。
「それ、さっきも言われました」
「言われ慣れてるのか」
「はい」
あっさりした返事。
それが、
胸に刺さる。
「でも」
彼女は一歩だけ近づいて、
小さな声で続けた。
「心配してもらえるのは、
嫌じゃないです」
そう言って、
一歩引く。
「だから……
今日は、これで」
玄関の灯りが点く。
彼女は、ドアの前で振り返った。
「また、雪が降ったら……
会えますよね」
疑問形だった。
でも、
期待が含まれている。
「……ああ」
それだけで、
十分だった。
ドアが閉まる。
俺は、
しばらくその場から動けなかった。
ポケットの中で、
スマホがわずかに重い。
連絡先が増えただけ。
たったそれだけなのに。
――俺に、そんなことができるのか。
守るとか、支えるとか、
そんな言葉を使うには、
俺はあまりにも普通で、無力だ。
それでも。
雪は、まだ降っている。
冬は、始まったばかりだ。
彼女の言葉が、
胸の奥で、静かに残っていた。
「きっと、よくなりますから」
その“きっと”を、
信じていいのかどうか。
答えは出ないまま、
俺は家路についた。
雪を踏む音だけが、
やけに大きく響いていた。
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