第2話

 退廃。

 アパートに帰宅してベッドの上にごろんしました。鍵は閉めておりますでしょうか? 曖昧でございますが、ここは一人暮らしのワンルーム。盗むものもございません。

 荷物の整理はいたしましょう。

 本日使ったスーツは洗濯可能なものですので籠に投げ入れましょう。外れて床に落ちました。仮面はさすがに隠しましょう。この家にまともな棚などございませんでした。ビン・缶用のゴミ箱にでも突っ込んで隠しましょう。ベッドに転がったまま手を伸ばし……届かない。床に投げ捨てます。

 ままならない。

 テレビの電源をつければドキュメンタリー。『異界よりもたらされた魔術 その研究を追う』とのこと。生真面目さを伊達眼鏡で飾った天使と悪魔が並んでお話してらっしゃる。その内容、三年前ならゲームや漫画やライトノベルに相応しい、荒唐無稽な魔術理論。そして彼らが元々住んでいたとされる異界、天国と地獄の話。

 流行りの異世界転生とかさせていただけないものでしょうかね、こんな世界になったのですから。

 ありえませんね。

 チャンネルを変えましょう。あらま、ニュース番組に見知った風景。新宿の駅前にある細やかな広場にて魔術生物が大暴れとの見出し。死者ゼロ人、負傷者三人、建物の損害が多数。さすがに魔術生物の死体は映っておりませんか。けれど満身創痍の少年少女がインタビューに応えている。

 正義感に満ちた彼は、広畑祐希ひろはたゆうき君ですね。見た目でわかる。彼は少年漫画の主人公に相応しい人材なのでしょう。

 そしてどうやら【勇者協会】なるものが結成されているようです。あの場にいた少年少女は、そこに所属する勇者達だったそう。ニュースキャスターだかコメンテーターだかはおっしゃいました。

『頻発するモンスター被害に備えて、魔術適性のある人材を募集しているそうです』

 魔術生物被害対策? おやぁ? そんなもの生み出してるの、わたくし以外に知らないのですよねぇ。ということはつまり?

 わたくし専用の部隊が結成されたと!

「ぎゃははははは! すっげー!」

 はぁーそんなものが用意されているとは光栄でーす。

 あー。口調を間違えましたね今。外出するとしばらくこうなって嫌ですねぇ。だる。

 テーブルの上に手を伸ばしました。朝に入れたままの水を飲みました。けれど間違えたという感覚は消えません。

 彼らが勇者ならば、わたくしは魔王と呼ばれるのではありませんか?

 わたくしはこの一年ほど、気紛れにあれらを生み出しては野に放ち、ニュース番組に取り上げられるのを見て喜ぶのを繰り返しています。そして今日は遂に姿を表すという遊びにも手を出しました。黒幕と思うでしょうし、実際にわたくしが諸悪の根源です。『ギート』というそれらしい名すら本日名乗りました。『Gott ist tot』、略して『GIT』。

 えー。四天王とか作った方がいい感じで?

「んー……」

 管理職、向いてないんですよねぇ。

 駄目ですね、振る舞い方が迷走しております。はて、迷走? 『神の死』により正道が消えたのですから迷走も何もございませんよ。

 『わたくしの神』が居れば、お叱りいただいたのです。そんなことしちゃ駄目だよ、と言っていただけたのです。それが無くなるとは、そういうこと。

 神が死ぬとはそういうこと。

「あ。【愉】、そこ退いてくださーい」

 ぬっと現れた可愛い子はテレビの前に立ちました。邪魔。

 その振る舞いは視線を集めたがる猫のよう。では表情は? 目を凝らさずともよく見える。ムッとすました猫のような眼差しと、拗ねたように尖った唇。

「こちら、いらっしゃい」

 手招きするとツンとそっぽを向かれてしまいました。あらま、悪い子。

 なんて、善悪の基準も神無き世では消えました。叱る人が居なくなったのですから。

 食事でも摂りましょうか。

 土産物を開けてしまっても良いのですが、あれは日持ちいたします。昨日購入した惣菜の消費が先でしょうね。スーパーで半額だったメンチカツ。今日食べなければ傷んでしまう。さてと、立ち上がりまして。冷蔵庫から取り出しますがこれだけでは足りません。主食を取りましょう、炭水化物。

 冷蔵庫横の段ボール箱からパスタを拾い上げます。半分に折ってタッパーに。水と一緒にレンチンセット。

 ついでに同じ箱から缶チューハイを取り出す。缶を開ける。ベッドに戻る。メンチカツのパックを開ける。箸を忘れたことに気が付く。テーブルの上に手を伸ばす。テレビで魔力の話をしている。自然の持っていた魔力を使うのが魔法です。体内を流れる魔力を使うのが魔術です。転がっていたカッターナイフを持つ。出しっぱなしの刃を下に持つ。左手に添える。

 手首を切った。

「おー……」

 真っ白な傷口にぷつぷつと赤い液体が現れて、見る間に真っ赤になった後、つぅっと垂れていった。

 やば、深いですねこれ。いやまあこんなものですかね。なんか笑えてきますね。ふふっ。

 腕を下げる。手首から溢れた血液が手の平と指を通ってフローリングの床に滴り落ちる。ぽたぽた。くすぐったいなー、なんて思いながら放置。

 何でこんなことをこのタイミングでしたのでしょう?

 さあ、そこにカッターがあって、テレビで魔術のお話をされていたからじゃないですかね。

 体内を流れる魔力をどうにかして外に出し、自在に操るのが魔術らしいです。外に出す方法は様々で、基本的には呪文の発声や独自のポージングが使われます。これにはコツがいるようで、未成年の間に挑戦し、魔力が外に出るための道を作っておかなければ術として成立しないことが多いようです。また、個人差が非常に大きいとのこと。

 わたくしの場合はもっと物理です。

 ぐちゃり。血の落ちる音が変わりました。粘性と質量のある音。目を向ければ血溜まりが蠢いている。

 血の塊が丸まって、起き上がり、細長く。これは何になるのでしょう、と見ていれば子猫のように形が作られました。赤黒いそれは、ゆっくりと色付いて三毛猫に。じんわりと育って成猫に。

 これって幻覚じゃなくて現実なんですねぇ。

 カラン、と音がする。

 見れば【愉】が持つランタンを床に置いた音でした。相変わらず優しいロウソクの灯りを抱えたランタン。

「飲みますか?」

 言って、わたくしは【愉】に手首を差し出しました。

 彼女は部屋の隅に三角座りをしてテレビなんかを眺めておりましたから。寂しそうに見えたのですよ。そんなこと、貴方は思ってなどいないでしょうけれど。

 【愉】はわたくしの方へ、膝を擦りながら寄ってきました。そしてその細い指先で手に触れて。手の平を伝う血液へ、赤い舌を這わせる。

 くすぐったいですねぇなんて思いながら、左手は彼女に委ねて。右手で酒を煽りましょう。缶チューハイを喉に流し込みます。あー……甘い。おつまみと合わないんですよねぇこれ。やっぱり単体でいただくべきでしょうか。

 ピピピッ。

 あ、レンチン終了。放置すると水吸ってぐにゃぐにゃになるんですよね。でもすぐ取り上げるのも硬くてあまり好みではございません。

 まあいいかだるい。

 手の平をくすぐるように舐め取られながら、特に内容の無いテレビ画面を眺めましょう。やる気が湧き起こるまではこんなものです。やる気が起こらずレンジの中で腐らせた食品はここ三年で数え切れません。

 ところで【愉】は実在しておりましたでしょうか?

 いいや。彼女は俺の幻覚。

 だから止血はわたくしがしなければならないのですよ面倒ですよねぇ~……ああ貧血になりそ。そろそろ止血しましょ。テープ、テープ……。

 どっちにしろ立たなきゃいけないんでした。じゃあパスタも食べましょう、なんて座りながら考えます。味付けはコンソメと塩コショウとー、ええとー。

 ケチャップ切らしてたんでした。

 血じゃ代用にならないんですよね。んー。

 今何時でしたっけ。二十二時。近所のコンビニは時間なんて関係ございませんね。

 ふふ。ままならないものですね。

「【愉】、わたくしの代わりにおつかいなど頼まれてくれません?」

「にゃあ」

 【愉】は幻覚ですので返事はなく、おつかいなど無理な話。

 彼女の足元で猫みたいに鳴いてる魔術生物は現実というのは本当におかしな話。

 ぴんぽーん。

 は?

 うちのチャイムです。来客予定なんて――いやいやいややばいやばいやばい隠せ隠せ血と怪我を隠しなさい。いや居留守を、待てわたくし鍵閉めておりましたか? 否!

豊和とわくーん、泊めてー」

 女の声。誰ですか。心当たりが多すぎるんですよ誰ですか。それより早く片付けて服で隠してそしてそれから。

 がちゃり。

「あれ? 鍵開いてる……」

「あー!」

 なんでしたっけ! ああそうだ顔見てわかった。街歩けばどこにでもいる安い量産系女子。口を開けば仕事の愚痴ばっかの子。

 玄関に駆けて行って女に笑いかける。

「なんだよ梨花」

「鍵開いてたよぉ?」

「閉め忘れてた」

 女は当たり前に玄関に上がる。靴を脱いで押し入ってくる。

 床の血は拭った。手首は袖で隠した。

 バレるな。

 暴かれるな。

 俺が自傷癖持ってることは絶対誰にも。

「家さー、逃げてきた~」

「またぁ?」

「だってママうるさいんだもん」

 ああ、嗚呼! 気が付かれずに済みそうです! 彼女はわたくしのことなど気にかけないでしょうから!

 ほっと一安心したら空気が抜けるみたいに笑い声が喉から漏れて。

 吐き気がする。

「ごめん気分悪ぃ~……」

「ウソ。お腹痛い?」

 立っていられなくなりましてずるずると壁伝いに座り込んでしまいました。目眩やら吐き気やら。焦りで乱れた心拍やら。全てがわたくしを苛んでいるのです。これは真実でございました。

 顔色が悪いわたくしを気にかけて、女は膝を折り顔を覗き込みました。ああこれはチャンスでしょうと、わたくしは彼女の頬に手を伸ばし、両手で包んで引き寄せて。口付けして離しました。

「酒」

「あははっ、ばーか!」

 これで問題ございません。いつも通りでございます!

 それからは簡単。幻覚の【愉】は邪魔しないようカーテンの隙間なんかに潜んでおりますし、シャワーを浴びると言えば手首の処置もできましょう!

 そういえばスーツと仮面。まあ見付かっても構いませんね。すっかり存在を忘れていた魔術生物。ベッドの下にでも逃げましたか。見付かれば拾った猫とでも言いくるめましょう。

 あとは酒の残りと菓子と映画。飽きたら体温を混ぜ合わせて眠り、朝が来るのを待てばいいだけ。

 普通の夜を過ごすだけ。

 【勇者協会】の人々も。魔術生物被害を受けた人々も。今日、街を救った少年少女も。まさか敵がこんな人間だなんて思いもしないでしょうね。

 こんなにも人間だなんて、思ってないんでしょうねぇ。

 ……人間らしいですよね? この生活は。


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