第44話 現実の話をしても隣にいる

イルミネーションから数日後。

バイト終わりに部屋に戻ると、ドアの前に小さな紙袋がかかっていた。


「……?」


紙袋には、深雪さんの字でメモ。


『今日バイト遅いって言ってたから、

 差し入れ置いときます

 中身:あったかいやつ

 ——深雪』


中を覗くと、小さなカイロと、ドリップパックのコーヒーと、一口チョコ。


(……ありがたすぎる)


苦笑しながらも、胸のあたりがじんわり温かくなった。


その週末。


「就活の話、ちゃんと一回しとこっか」


と、深雪さんから切り出された。

場所はいつもの部屋。

テーブルには、マグカップと、それぞれのノートパソコン。


「ちゃんとですか」


「うん。今までもちょこちょこ話してたけどさ」


「“会社説明会行ってきた”とか、“OB訪問した”とかの断片ですよね」


「そうそう」


彼女は、少しだけ息を整えて続ける。


「そろそろ、“どの辺を本命にしようとしてるか”とか、

 ちゃんと共有しといた方がいいなって」


就活の公式スケジュールは、三月解禁。

でも、準備や業界研究はその数ヶ月前から始まる。

(つまり今が、そのタイミングなんだ)


そう思うと、背筋が自然と伸びた。


「で」


深雪さんは、自分のノートPCをこちらに向ける。

画面には、いくつかの会社のページがブックマークされていた。


「このへんを、本命〜準本命ゾーンにしようかなって」


「……多いですね」


「まだ絞り切れてないからね」


「業界でいうと?」


「ざっくり言うと、“人と話す仕事”と、“誰かの生活を回す仕事”」


「深雪さんっぽいです」


「でしょ?」


くすっと笑ってから、真面目なトーンに戻る。


「具体的には、人材系とか、教育サービスとか、少しだけ不動産管理とか」


「幅は取りつつ、人と生活の軸はあまりぶらさない感じですね」


「そう。“とにかくホワイトならどこでも”ってわけじゃなくて」


「“自分が頑張りたいと思えるところ”?」


「そう」


短く頷く。


「勤務地は?」


そこが、一番気になるところだった。


「今のところ、“この街か、その周辺”を第一希望にしてる」


「……やっぱり、そうなんですね」


「もちろん、会社によっては転勤もあるから100%とは言えないけど」


「はい」


「“最初から全国転勤前提です”ってところは、あんまり考えてない」


理由を聞かずとも、わかってしまう。


「それは」


「“ただいま”って言える場所を、少なくとも数年単位で固定したいから」


「……」


胸の奥が、また少し熱くなる。


「それに」


彼女は、少しだけ照れたように笑う。


「悠人くんがこの街で働きたい/進学したいって言ってたの、

 ちゃんと聞いてるからね」


「……聞かれてましたか」


「聞いてた」


「忘れられてなくてよかったです」


本当に、そう思った。


「もちろん、こっちの進路だけで悠人くんの選択を縛るつもりはないけど」


「はい」


「“一緒にいられる可能性が高い選択”を、

 こっちもちゃんと取りたいなとは思ってる」


その一言に、どこまでも救われる。


「……すごく嬉しいです」


素直にそう言った。


「悠人くんは?」


「はい?」


「悠人くんの今のところの進路のイメージ」


「今のところのですね」


「うん。確定じゃなくていい」


少し考えてから、言葉を探す。


「この街で就職するか、大学院に進学するか、まだ迷ってます」


「うん」


「でもどっちにしても、“ここからそう遠くない場所”を

 最初の候補にしたいです」


「それは」


「……深雪さんのそばにいたいからです」


言ってから、自分で少し笑ってしまう。


「“将来のこと”って言うと、大きい言葉になりすぎるかもしれませんけど」


「うん」


「“一年後、二年後にここで一緒にご飯食べてるイメージ”を

 持てる場所にいたいなって」


「それはさ」


彼女は、目を細めて笑う。


「かなり“将来のこと”を言ってる気がするよ」


「そうですかね」


「そうだよ」


それでも、否定される気配はどこにもなかった。

一通り“進路”の話をしたところで、ふっと空気が緩む。


「こういう話、してみてどう?」


「どう、ですか」


「うん」


「……思ったより、怖くなかったです」


「お」


「むしろ、ちゃんと話せて、少し安心しました」


「それは、よかった」


「“就活”“進路”って言葉だけ聞くと、重いし、

 近寄りたくない感じだったんですけど」


「わかる」


「“ふたりでどうしたいか”って話としてなら、

 意外とちゃんと考えられるんだなって」


「それが一番大事だと思う」


深雪さんは、静かに頷いた。


「で」


彼女が、少しだけいたずらっぽい顔をする。


「“かなり現実的な話”した後で、もう一個だけ現実的な話していい?」


「なんでしょう」


「同棲の話」


きた。

心臓が一拍遅れて跳ねる。


「もちろん、“今すぐ”じゃないよ」


「はい」


「でもさ」


彼女は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「就活が落ち着いて、悠人くんの進路も固まって。

 お互いの親にもちゃんと話して」


「はい」


「その先に、“同じ家に帰る”って選択肢があるのかどうかは、

 今から少しずつイメージ合わせしておきたいなって」


「……すごく、したいです」


即答だった。


「同棲ですか?」


「同棲です」


彼女は少し笑って、頷く。


「“いつか、できたらいいな”じゃなくて」


「はい」


「“本気でそこを目指す”って意味でね」


その“本気で”という言葉が、ずしりと重く、でも心地よく響いた。


「だからさ」


「はい」


「ここから先の選択は、“同棲したときに困らないかどうか”って軸でも

 ちょっと考えてみてほしい」


「困らないかどうか」


「うん。例えば、“通勤通学の距離”とか」


「確かに」


「“家賃相場”とか」


「現実味が」


「あと、“親にどう説明するか”とか」


「……一番の山場ですね」


「そう」


彼女は、苦笑しながらも真剣な目をしていた。


「そこを全部“まあ、なんとかなるっしょ”で行くのはさすがに危ないから」


「はい」


「でも逆に言えば、ちゃんと一個ずつ考えていけば

 “なんとかなる”範囲だと思ってる」


「それが聞けただけで、だいぶ心強いです」


本当に。


「じゃあ、とりあえず今日は」


深雪さんは、ノートPCの画面を閉じる。


「悠人くんは、私と同じ家に住む未来を」


「はい」


「私は、悠人くんと同じ家に住む未来を」


「……真面目にイメージしておきます」


「よろしい」


彼女は、満足そうに笑った。


帰り際。


玄関で靴を履きながら、ふと彼女が言う。


「今日さ」


「はい」


「けっこう“現実の話”したじゃん」


「しましたね」


「それでも、ちゃんと隣にいてくれてるの、けっこう嬉しかった」


「こっちのセリフです」


「そう?」


「“現実の話をしても、隣にいてくれる人なんだ”って

 改めてわかったので」


「あー……」


少し照れたように笑う。

ドアノブに手をかけて、いつもの一言。


「お疲れさま、悠人くん」


「……お疲れさまです」


今日はその言葉に、“就活”“進路”“同棲”の全部が

少しだけ優しく包まれている気がした。

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