第2話 勇者が店を破壊した。普通なら許すが、私は「損害賠償」を請求する。


「アルバート様! た、大変です!」


 自室で領地改革の第一歩――という名の「支出削減の一覧作成」に勤しんでいた私の元へ、セバスチャンが転がり込んできた。

 普段は冷静な老執事が、今日はやけに慌ただしい。


「騒がしいな。借金取りなら、さっき追い返しただろう?」


 私が作成した『猶予特約の適用申請書』を見せると、男爵家の使いは顔を真っ青にして帰っていった。

 彼らは法を知らないわけではない。単に、今までのアルバートが馬鹿すぎて、法を使う発想がなかっただけだ。

 相手が法を知っているなら話は早い。こちらも法で殴り返せばいいだけのことだ。


「ち、違います! 街です! 街で冒険者が暴れていると報告が……!」


「冒険者? 衛兵に突き出せばいいだろう」


「それが……相手は『勇者』を名乗っているらしく、衛兵たちも手が出せないと……」


 勇者。

 その単語を聞いた瞬間、私のペンの動きが止まった。


(……来たか。予定より早いが、間違いない)


 ルーカス・ブレイブ。

 この世界の主人公にして、やがて魔王を倒す運命にある少年。

 そして、3か月後に私を断罪し、処刑台へ送る張本人だ。


「被害状況は?」


「酒場の壁が半壊。店主が大切にしていた樽も粉砕されたそうです。怪我人は出ていませんが……」


「なるほど。店の破壊と、商売の妨害か」


 私は立ち上がった。

 重たい腹が揺れるが、不思議と足取りは軽かった。


「馬車を出せ、セバスチャン。現場へ向かう」


「えっ? し、しかし旦那様、相手は勇者です。下手に刺激すれば、何をされるか……」


「何を言っている。領主として、無法者の監督不行き届きを謝罪しに行くだけだ」


 私はニヤリと笑った。

 ポケットの中で、計算用に持ち歩いている「羊皮紙のメモ帳」を握りしめる。


 勇者ルーカス。原作ゲームでの彼は、正義感が強いが猪突猛進な熱血漢だった。

 悪を許さず、困っている人を見れば報酬度外視で助ける。

 ……聞こえはいい。だが、それはあくまで「ファンタジーRPG」という箱庭の中での話だ。


 ここが現実である以上、そこには必ず「コスト」が発生する。

 壊した壁は誰が直す? 割れた樽の代金は? 騒ぎで客が逃げた店の損失は?

 正義の味方が暴れたツケを払うのは、いつだって泣き寝入りさせられる市民だ。


(だが、私の領地でそれは許さない)


 馬車に揺られること数分。

 現場の酒場に到着すると、そこには既に人だかりができていた。


「おい、離せよ! 俺は悪くない! あいつがスリを働こうとしたから!」


 人混みの中心で、金髪の少年が叫んでいた。

 ルーカスだ。まだ10代半ばの、あどけなさが残る顔立ち。

 だが、その腰には不釣り合いなほど立派な聖剣――ゲーム初期装備としては破格の性能を持つ『暁の剣』――が提げられている。


「だからって、店を壊していい理由にはなんねぇぞ!」


 店主と思しき男が、涙目でルーカスの胸倉を掴んでいる。

 周囲の野次馬たちも、勇者相手に怯えつつ、その視線は冷ややかだ。

 当然だ。彼らにとって勇者など、ただの「武器を持ったガキ」でしかないのだから。


「弁償しろ! この店は俺の命なんだぞ!」


「だ、だから払うって言ってるだろ! 出世払いで!」


「出世払いだと!?」


「俺は勇者だぞ! 魔王を倒せば、国から報奨金が出るんだ! そうしたら百倍にして返してやるよ!」


 ルーカスが悪びれもせず言い放つ。

 典型的な「勇者特権」の乱用だ。ゲームならここで店主が「お、おう、頼んだぞ」と折れて好感度が上がるイベントだが、現実はそう甘くない。

 店主の顔が絶望に歪む。その日暮らしの彼らにとって、未来の報奨金など紙切れ以下だ。


「……野蛮ですね」


 私は呟き、人混みを割って入った。


「そこまでだ」


 声を張り上げる必要はない。

 貴族特有の、腹の底から響くような声音。それだけで場が静まり返った。

 人々が振り返り、私を見る。

 その目に浮かぶのは「恐怖」と「嫌悪」。

 当然だ。私はこの街で一番嫌われている悪役領主(ヴィラン)なのだから。


「ア、アインホルン様……?」

「げっ、悪徳領主……」


 店主が震え上がり、ルーカスが露骨に顔をしかめる。


「よう、出たな悪党。お前がこの街の人間を苦しめてる元凶か?」


 ルーカスが聖剣の柄に手をかけた。

 いきなり臨戦態勢か。話が早くて助かる。

 私は彼を一瞥もせず、まずは店主に向き直った。


「店主。被害状況を」


「は、はい……壁の修理費に、樽が三つ。中身は仕入れたばかりの高級ワインで……」


「なるほど。営業再開には何日かかる?」


「だ、大工の手配も含めれば、三日は……その間の売り上げがなくなれば、俺たちは……」


 店主が泣き崩れる。

 私は懐から羊皮紙を取り出し、サラサラとペンを走らせた。

 壁の修繕費、什器備品代、ワインの仕入れ原価。

 そして、過去の帳簿から推測される「三日間の休業損失」。

 さらに、「精神的苦痛に対する賠償」を少々色をつけて。

 店主の名で請求書を作る。私は代筆するだけだ。


「……締めて、金貨50枚といったところか」


「は?」


 店主が顔を上げる。

 私は書き上げた請求書を、店主ではなく、ルーカスの鼻先に突きつけた。


「聞こえなかったか、勇者くん。これが君の支払うべき『損害賠償金』だ」


「はあ? 金貨50枚!? ふざけんな、たかが壁と樽だろ!」


「たかが、ではない。これは彼の生活であり、人生だ。それを君は『正義』という名の暴力で踏みにじった」


 私は冷ややかに見下ろした。


「君は言ったね。『出世払い』と。だが、壊した以上、賠償は義務だ。ここで形にしなければ、ただの踏み倒しだぞ」


「な、なんだよそれ……難しくてわかんねぇよ!」


「分からなくていい。分かるのは一つだけだ」


 私は一歩踏み出す。

 勇者がたじろぐ。抜剣しかけた手が止まる。

 剣気でも殺気でもない。

 ただの「大人」としての圧力が、彼を圧倒していた。


「払うのか、払わないのか。……今、ここでだ」


「い、今すぐなんて無理だ! 俺には金がない!」


「王立銀行券でも構わんぞ? 最近の冒険者は、現金の代わりに持ち歩いているそうじゃないか」


「だから、ねぇもんはねぇんだよ!」


 ルーカスが叫ぶ。

 その言葉を、私は待っていた。


「……そうか。なら、“約束”ではなく“契約”にする」


 私は羊皮紙をもう一枚取り出し、店主に向き直った。


「店主。あなたは、この件で正式に申立てを行う意思はあるか」


「あ、あります……! でなきゃ、俺たちは……!」


「よろしい」


 私はルーカスへ視線を戻す。


「勇者くん。選べ。――今ここで賠償の契約に署名するか。拒むなら、衛兵に引き渡し、店主の申立てで手続きを進める」


「なっ……脅しかよ!」


「脅しではない。拒否する権利はある。だから“選べ”と言っている」


 私は淡々と告げた。


「断っていい。その場合は、店主の申立てで正式手続きに移る。……そして手続きが始まれば、衛兵は君を確保するだろう」


「くっ……野蛮なのはどっちだよ!」


「手続きだ。野蛮なのは君の方だ」


 私はさらさらと条文を書いた。分割払い、期限、そして――担保。


「支払いが滞れば、君の装備を担保として引き渡す。契約庁に登録する。逃げ道はない」


「……くそっ」


 ルーカスは歯噛みし、震える手で署名した。

 そして、朱肉に親指を押し付け、乱暴に羊皮紙へ拇印を押す。

 ――契約は成立した。


 私は店主へ向き直り、小袋を置いた。


「修理と当座の仕入れに充てろ。金貨50枚。今日の損は、今日止める」


 金貨50枚。屋敷の不用品を売り払って作った虎の子だ。痛いが、領の信用を買う方が安い。

 店主の目から、堰を切ったように涙が溢れた。


「あ、ありがとうごぜえます……!」


 周囲の野次馬たちが、信じられないものを見るようにざわめき始める。

 私は、ルーカスにだけ聞こえる声で言った。


「歓迎するよ。ようこそ、大人の世界へ」

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