第4話: 討伐者が泣いて感謝して帰るダンジョン、初めて見ました

第4話:

討伐者が泣いて感謝して帰るダンジョン、初めて見ました


薄暗いダンジョンの入り口。そこはかつて「呪われた墓地」と忌避されていた場所だった。 しかし、管理者がリリア・フォン・エルグレンに変わってから、その空気は一変している。


「……リリア。第一層、B区画に侵入者。冒険者パーティーが1組。ランクはC。平均的、かつ傲慢なタイプね」


頭の中に直接響くのは、ダンジョンコア――通称『コアさん』の、少し鼻につく理屈っぽい声だ。 リリアは手元の魔導端末(羊皮紙を加工したコア直結のモニター)から目を離さず、淡々と指を動かした。


「分析完了。彼らの装備は物理特化……精神耐性装備はゼロ。コアさん、スリープスライムの配置を3割増しに。それから、通路に『微細な鈍重(ヘヴィ)』の霧を。気づかれない程度の濃度で」


「了解。……ふん、相変わらず陰湿な手際だこと。褒めてるのよ?」


「数字に基づいた最適解です。殺すのは資源の無駄ですから」


リリアは静かに微笑んだ。その瞳には、かつて実家や婚約者から「役立たず」と蔑まれた時の悲しみはもうない。あるのは、効率と理詰めで構築された完璧な「管理」への情熱だけだ。


1. 「地獄」への招待状

ダンジョンに足を踏み入れた冒険者、ロルフは仲間に声をかけた。


「おい、気を引き締めろよ。ここは最近『安全だが、妙に厄介だ』って噂の場所だ」


「へっ、安全なら楽勝じゃねえか。魔物をぶった斬ってお宝回収、サクッと終わらせようぜ」


若手の戦士が笑いながら先頭を行く。だが、彼らは気づいていなかった。足元のタイルから、無色無臭の『鈍重』の魔法が、真綿で首を絞めるように彼らの体力を削り取っていることに。


曲がり角。そこには、ぷるぷるとした愛らしい『スリープスライム』が数匹、道を塞いでいた。


「なんだ、スライムかよ。……ありゃ? なんでか……急に、体が……重……」


「おい、どうした? ……あ、俺も……なんだか、眠気が……」


彼らが剣を抜くよりも早く、壁の隙間から『ミストウルフ』が姿を現した。狼たちは攻撃しない。ただ、彼らの周りを優雅に駆け抜け、美しい銀色の霧を吐き出すだけだ。


それは『幻覚』と『幸福感』を伴う、世界一優しい拘束。


「ああ……あったかい……。俺、本当は……冒険者なんて、向いてなかったのかも……」


戦士のひとりが、地面に膝をつく。恐怖ではない。あまりの心地よさと、自分の限界を静かに悟らされる絶望の不在。彼はそのまま、泥のように深い眠りに落ちた。


「……終了。コアさん、転送(デリバリー)の準備を」


リリアの声が静寂に響く。


2. 敗北という名の救済

数時間後。 ダンジョンの出口付近にある「帰還者待機所」。 そこには、怪我一つない状態で運び出されたロルフたちの姿があった。


「……目が、覚めたか?」


聞き慣れない、透き通るような声にロルフが顔を上げる。 目の前に立っていたのは、簡素なローブを纏った少女――リリアだった。彼女は手帳に何かを書き込みながら、淡々と告げた。


「あなたたちは第1層の40%地点で『戦闘不能』と判定されました。原因は精神耐性の不足、および疲労管理のミス。……はい、これは今回のリプレイデータと、改善策をまとめた表です」


リリアが差し出したのは、彼らの動きを完全に分析した「添削指導書」だった。


「……怪我は、してねえのか?」


ロルフが自分の体を触る。どこも痛くない。それどころか、睡眠魔法の副次効果で、長年の悩みだった肩こりや不眠が解消され、頭が驚くほどスッキリしている。


「はい。当ダンジョンの方針は『不殺』です。死なれては、次の入場料が入りませんから。あ、それからこれはドロップ品の代わり。道中であなたたちが『見逃した』魔力草です。収穫の手間を省いてくれたお礼に、換金の一部を還元します」


ロルフは呆然とした。 普通のダンジョンなら、負ければ死か、命からがら逃げ帰って大損をする。 だがここでは、自分の弱点を正確に指摘され、体調を整えられ、あろうことか「次はこうすれば稼げる」というアドバイスまでもらえるのだ。


「……嬢ちゃん。いや、管理者様。俺たち……アンタに、救われたよ。もし他のダンジョンで同じミスをしてたら、今頃は魔物の腹の中だった」


ロルフの目から、ポロリと涙がこぼれた。 挫折ではない。自分の未熟さを認め、それでも「次がある」と肯定されたことへの感謝だった。


「勘違いしないでください。私は、効率的にダンジョンを運営しているだけです」


リリアは冷淡に突き放そうとしたが、ロルフは彼女の手を握り、何度も頭を下げた。


「ありがとう……本当に、ありがとうございます! 俺、もっと勉強して、またここに来ます!」


彼らが泣きながら感謝して去っていく姿を、リリアは不思議そうに見送った。


「……リリア、人間っていうのは非合理ね。あんなに効率的に打ちのめされたのに、どうして喜んでいるのかしら」


「さあ。私には理解できません、コアさん。私はただ、アルベルト様に『攻撃魔法が使えない無能』と捨てられたので、別の方法を探しただけですから」


その時、ダンジョンの入り口に一人の男が現れた。 王国監査官、ハインリヒ。数字と実績のみを信じ、リリアの左遷を「妥当」と判断した冷徹な官僚だ。


3. 揺らぎ始める「常識」

「リリア・フォン・エルグレン。報告書の内容を確認しに来た。……死傷者ゼロで、収益が前月比400%? 馬鹿げている。捏造なら即刻、追放だ」


ハインリヒは冷ややかな視線でリリアを射抜いた。 だが、リリアは動じない。彼女は無言で、一冊の分厚い台帳を差し出した。


「ハインリヒ様。感情論は不要です。こちらの『冒険者リピート率』と『負傷治療費の削減推移』、それから『ダンジョン産麻薬原料の正規流通量』のデータをご覧ください」


ハインリヒは鼻で笑いながらページをめくった。 ……しかし、数分後。彼の指が止まった。


「……これは……どういうことだ。なぜ、これほどまでに『平和』な状態で、魔石が安定供給されている?」


「簡単な仕組み(システム)です。これまでのダンジョンは『恐怖』で人を遠ざけてきました。ですが私は『依存』と『教育』で人を管理しています。負けた冒険者は、次こそはと対策を練り、またここにお金を落とす。死なないので、熟練度だけが上がり、収穫効率が向上する。……これこそが、持続可能なダンジョン経営です」


リリアは淡々と、しかし確かな自信を持って言葉を重ねる。


「私には、人を殺す魔法は使えません。ですが、人を動かす魔法なら……この通り」


ハインリヒの額から汗が流れた。 彼は気づいた。目の前の少女が、王国の「魔力至上主義」という根底を、静かに、しかし確実に破壊しようとしていることに。


「……リリア。君は、自分が何をしているか分かっているのか。これでは、火力を誇るアルベルト殿のような魔術師が、ただの『野蛮な壊し屋』に見えてしまうではないか」


「あら。それは、私の関与するところではありません」


リリアは少しだけ口角を上げた。


「私はただ、自分にできることを、一番効率的な場所でやっているだけですから」


その頃。王都の公爵邸では、リリアの元婚約者・アルベルトが、部下を怒鳴り散らしていた。


「なぜだ! なぜ私の領地のダンジョンには冒険者が来ない!? 強い魔物を配置し、私の強力な魔法で間引いているというのに!」


「は、はあ……。冒険者たちの間では『アルベルト様のダンジョンは死ぬから損だ。リリア様のところは、負けても学べるし、健康になる』と噂でして……」


「リリアだと!? あの、役立たずの女が……ッ!」


アルベルトの叫びは、虚しく豪華な部屋に響くだけだった。 彼が「無能」と切り捨てた力は、すでに王国の経済を、そして人々の心を、静かに、優しく、完全に支配し始めていたのである。


【リリアの管理日誌より】


本日の収支: 黒字(過去最高)


本日の負傷者: ゼロ


特記事項: 王都より視察あり。監査官の心拍数が上昇。状態異常『混乱』の初期症状と酷似。


次の目標: 領地化に向けた法的基盤の整備。


「さて、コアさん。次は『絶対に眠ってはいけない夜間防衛訓練コース』を作りましょうか。追加料金は倍で」


「……リリア、貴女やっぱり、最高に性格が悪いわね」


ふたりの少女(とコア)の笑い声が、薄暗いダンジョンの中に、甘く毒のように溶けていった。


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