第6話 将来の夢について。

 学園に戻っても、平和は不機嫌なままだった。


 彼は帰園してからずっと自分のベッドの上で腹を抱え、背中を丸くして寝転んでいる。


 俺も声を掛けられずに、豊くんと翼くんと一緒にカードゲームをしていた。二人には平和の様子は予め伝えていたため、平和に触れることなく静かにゲームをしてくれた。


 夕食も食べなかった平和は、帰ってきてから一言も発せず、微動だにしなかった。ちらりと横目で見れば肩が呼吸に合わせて動いているだけだった。


 それでも、20時になると平和もようやく動き出した。いつも通りに入浴をするためだろう。平和の日課のルーティーンはある程度決まっている。彼は起き上がると、こちらを見つめてきた。俺はたまたま目が合ってしまい、気まずくなる。


 「平和、風呂最後だから水撒いてな」


 何事もないかのように、豊くんが穏やかに平和に声を掛けた。平和は学校のときとは一変して、落ち着いた表情だった。いや、落ち着いたというより、ボーとしているだけなのかもしれないが。


 声では返事をしなかったが平和は豊くんの言葉に頷いた。しかし、頷いても動こうとしない。何故か俺たち三人を見て立ち尽くしている。


 「上がったら一緒にカードゲームします?」


 翼くんがはにかみながら声を掛ける。平和はボーとした顔のまま、首を横に振った。


 「中津海さんって、剣道部だったよな」


 「え?」


 唐突に名前を呼ばれ、豊くんはキョトンとする。


 「そうだけど……。あ、もしかして河合のこと? お前ら確か同じ小学校だったんだろ? 今日聞いたぞ?」


 「翼くん、河合って誰?」


 「河合貴明くんって子で、豊くんの剣道部の後輩です」


 なるほど、貴明くんは剣道部だったのか。


 そういえば、前会ったときに貴明くんは平和に剣道を続けているのか聞いていた。小学生の頃は、二人で切磋琢磨したということなのだろうか。


 平和は、翼くんの顔を見つめながら首を横に振った。どうやら、彼が気にしているのは小学生時代の友ではないらしい。


 「今日一緒にいた人って、糠部って人か?」


 「あ、そうだよ、糠部先生。剣道部の顧問なんだよ。糠部先生の姪っ子が曙高通ってるらしくてさ、ちょうどいいから一緒に見に行ったんだ」


 「そうなんか」


 「知り合いなんですか?」


 翼くんがカードを俺と寛くんに配りながら聞く。平和は、虚ろな目をしたままだったが、口許だけ少し緩ませた。


 「小学のときに、通ってた道場にたまに指南しに来てたから」 


 「へぇー! そういえば、河合もそう言ってたな。てか、せっかくの再会だったんだから声掛ければよかったのに」


 「緊張してたんだよ。……教えてくれてありがとよ」


 平和は口許だけは穏やかに笑って見せて、部屋を出て行った。


 目は、全く笑っていなかった。


 

 「雪名、学校では悪かった」


 20分ほどで平和は部屋に戻ってきた。俺たちはカードゲームをやめ、各々自分の机で趣味に講じていた。俺は、ちょうど区切りのよかった携帯ゲームをスリープモードにして、俺の横に立っている平和を見上げた。


 「いや、こっちこそお前が調子悪かったのにちょっかいかけて悪かったよ。もう、落ち着いた?」


 「ああ」


 平和はいつもの仏頂面で頷く。そのいつもと変わらない態度に、俺は胸を撫で下ろした。


 「なあ平和さ、ちょっと二人で話さね? 時間は取らないからさ。9時までに終わらせる」


 「おう」


 俺は、彼と一緒に居室を出て、プレイルームに行った。プレイルームは、18時以降は入ってはいけない部屋だったが、俺は予め先生に平和と話したいと許可をもらっていた。だから、部屋を移動するときも先生はちらりと俺らを見るだけだった。


 プレイルームに入ると、特に示し合わせることなくお互いに一つしかないソファーに腰を下ろした。

プレイルームは、小学生が遊んだまま片付けていなかったらしいぬいぐるみが散らばっている。きっと、明日には先生の雷が小学生に落ちることだろう。


 「あのさ、前に俺凄く不謹慎なこと言ったじゃん。ずっと謝りたくてさ……ごめんな」


 俺は、平和の方を見ながらハッキリと謝った。平和はそんな俺をマジマジと見て、苦笑いした。


 「んなこと言うために呼び出したのかよ。本当に気にしてねぇよ」


 「そっか。でも、俺は気になってたんだよ。あん時、平和嫌そうな顔してたし」


 「そーかよ。じゃあ、もう気にすんなよ」


 「おう」


 平和は俺の返事を聞いて、笑みを消した。そして、目を反らして何もない前方を見つめる。


 俺にはやっぱり彼の考えていることが理解できなかった。でも、彼の不調の原因はおそらく、小学生の頃の同級生や剣道の先生に会ったことなのだろうということだけは予想ついた。彼の中では、まだ過去は受け入れられるものではないのかもしれない。


 「あのさ、平和は高校の後とか考えてる?」


 「高校の後……」 


 平和は俺の顔を見て、眉を寄せる。


 「おう。将来の夢とかあるのかなーって思ってさ」


 「夢、ね……」


 平和は長い足を組んで、小さく欠伸をした。どうやらそろそろ眠い時間のようだ。


 「別にねーな。高校だって高卒のがいいと思って入っただけだし」 


 「そっか」


 「お前はあるんか?」


 「あるよ。俺は保育士になって、施設の先生になりたい。向いてないかもしれないけどさ、それでも俺はここに来て……よかったから」


 頼れる人もいない俺の、唯一の行き場だったのだと思う。家での懐かしい日々が恋しいのは事実だったが、それでも身寄りのない俺を育ててくれたこの施設に感謝しているのも本当だった。


 平和は変わらない仏頂面だったが、それでも「いいんじゃねーの」と言ってくれた。


 「そうだよな、俺もいい加減、これからのこと考えないといけねーよな」


 「焦らなくてもいいじゃん。まだ1年生だし」


 「……いや、やりてーことはあるんだ。夢って訳じゃねーけど」


 「何?」


 平和はおもむろにソファーから立ち上がり、散らばっているぬいぐるみを片付け始めた。キレイ好きの彼は、自分が散らかしたわけでもないのに、いつも散らかっている箇所は黙って片付けた。居室の掃除だって俺たちがサボると一人でキレイにしてくれている。 


 「新徳に行きたい」


 「え」


 意外な言葉に、間抜けな声が出てしまう。


 「えっと、何でか聞いてもいい感じ?」


 彼の過去を彷彿させる人たちがいるあの場所に行こうという気持ちがわからなかった。てっきり、彼らを避けたいのだろうと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。


 「懐かしい顔を見て、やり直したいって思った」


 「それは、曙にいたらできねーの?」


 「そうだな、できない。……あそこに行かないと、あの人に見てもらわないと」


 「……糠部って先生のこと?」


 平和は剣道の先生の名前に、ゆっくりと頷いた。俺は彼らの関係はわからないが、恐らく浅い関係ではないのだろう。そうでなければ、平和が転校したいとまで言いはしない。


 「俺は、平和が本当に必要だと思うならいいと思うよ」


 俺が笑うと、平和は表情を柔らかくした。青い瞳はまるで宝石のようで、とても綺麗だ。


 「ありがとよ」


 それから俺らは居室へ戻り、平和はすぐにベッドに寝転んだ。俺も、何だかゲームをする気も失せてベッドに横になる。


 目を瞑ればすぐに眠りについた。

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