第6話 隣にいる君がいつかは

《side B》


 綾瀬の歌声は本当にきれいで、かっこよかった。

 低音でも音程も声色もブレることがなくて、彼女の実力は本物だと思い知らされる。“低音が上手く出せる人ほど歌が上手い“と、前に見た動画で誰かが言っていたが、まさにそれだと思った。


 いつもは目をぎゅっと細めながら大きく口を開けて笑う、元気で賑やかなタイプの女子。

 だけど──歌っているときの綾瀬は、別人みたいだった。まっすぐ前を見て、それでいて歌詞の向こう側を見つめるように丁寧に言葉を紡ぐ。楽しそうで、それでいて儚げで。

 その姿がすごく印象に残って、目に焼き付いていた。


「綾瀬は他に好きな曲ある?」


 なんとなく訊ねると、彼女は少し難しげな顔をしてから、「これだ」と閃いたようにパッと目を見開いた。


「『花になって』とか」

「リョクシャカ?」

「そう」

「あー、あれムズいけど綾瀬なら歌いこなせそう」


 綾瀬は「そんなことないよ」と笑って、手をひらひらと振ったけれど──彼女なら、本当に歌いこなしてしまう気がした。

 根拠なんてない。でもあの歌声を聴いたあとでは、そんな予感さえ信じられる。そしてただ純粋に、綾瀬の声を聞いてみたい。


「綾瀬が嫌じゃなかったら、今度その歌合わせてみない?」

「……うん! わかった! 頑張る!」


 ハキハキとした返事と、屈託のない笑顔。海風に揺れる長い髪が、光を受けて煌めいていた。

 ふと息をするのを忘れる。


 ──綾瀬って、こんなに存在感あったんだな……。


 言葉にすればそれだけのことなのに、どうしてか胸の奥がやけに熱い。歌っているときの綾瀬とは、やっぱり違う。

 そのギャップのせいだろうか。潮の香りも、波の音も、果ては俺のギター音までが、彼女のために流れているみたいで──視線を外そうとしても、どうしても離せなかった。

 その瞬間、彼女を想う意識の中で何かが小さく弾ける音が鳴った気がした。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚


 ──やっぱり、初心者用のエレキでも買おうかな。


 ギターに触れ始めて、もう四ヶ月。

 一人で弾き始めた頃は、星野先生に借りたアコギで週に三回触れれば十分だと思っていた。

 けれど、それだけでは物足りなくなっていた。


 六月の半ば──あの日、屋上で綾瀬と出会ってからというもの、俺のギターへの熱はどんどん強くなっていった。

 彼女の歌に合わせたい。彼女といろんな曲をりたい。少しでも、かっこいいと思われたい。

 そう思った瞬間、はたと思考が止まった。


 ──なんだ、それ。


 自嘲気味に笑う。

 男なら、女子にかっこいいと思われたいのは普通かもしれないが。なぜだか綾瀬だけには、情けない姿を見せなくないと思ってしまった。


「また一週間後、ここで『花になって』を演ろう」──そう約束して別れた日の放課後。

 いつものようにギターを音楽室に置いてきた俺は、屋上の鍵を返すために星野先生のところに来ていた。


「先生、初心者用のエレキ買おうと思ってるんですけど、おすすめあります?」

「どうした、急に? ギブソンは諦めたのか?」

「諦めてません。ただ、もっとギター弾きたいなって思ったので」

「成長したなあ、お前」


 先生は眼鏡を上げ、わざとらしく感心する。少し芝居がかった仕草に、俺は思わず苦笑いを落とした。


「歌が上手い人に出会ったんです。それで、その人と一緒に演りたくて」

「バンドか?」

「違います。ボーカルとギターです」

「ユニットか。じゃあ別に、エレキじゃなくてもいいだろ。むしろユニットなら、アコギのほうがボーカルの声が生きる」

「ですかね」

「ゆずとかスキマスイッチとか、アコギのイメージあるだろ? なんなら俺のアコギ、夏休み中貸してやろうか?」

「え、いいんですか?」


 少し前のめりになって返すと、先生は喜んで「ああ」と言ってくれた。


「ありがとうございます」

「いや、俺もしばらく使ってなかっあし。それにエレキを買ったらアンプにシールドに、エフェクターだってあれこれ欲しくなって、あっという間に金欠だ」

「先生がそうだったとか?」

「そうだった」


 見事なドヤ顔。自慢にも何にもならないと思うけれど、先生の大切な青春の一ページなんだろう。思い出を語る星野先生は、いつも楽しそうだった。


「夏休み、お借りします」


 ぺこりと頭を下げて、職員室を出た。

 やっぱり綾瀬の声を生かすなら、アコギのほうがいい。

 バンドを組んでギターを掻き鳴らすのも悪くはないかもしれないけれど──今はまだ、綾瀬の歌声を知っているのは俺だけでいたい。

 子どもみたいなわがままだとわかっていても、そんなふうに思ってしまった。

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