第3話:1人の遠回り

その日は、彼女と帰る時間が合わなかった。


仕事が長引いたわけでも、急な予定が入ったわけでもない。

どちらかが待つほどの用事でもなく、連絡を入れるほどの理由も見当たらなかった。

ただ、自然にそうなった。

それ以上でも、それ以下でもない。


駅へ向かう道を一人で歩きながら、私はいつもの分岐点で足を止めた。


最短の道は、相変わらず分かりやすい。

信号の位置も、通行量も、体が覚えている。

ここを通れば、改札まで何分、ホームに降りるまで何分。

その先まで考えなくても、たどり着ける。


遠回りの道も、同じようにそこにあった。

住宅の間を抜ける、少し暗くて静かな道だ。

街灯は控えめで、夜になると足音が必要以上に残る。

急いでいるときには選ばれない道。


今日は、彼女はいない。


それなのに、私はすぐには歩き出さなかった。


ポケットの中で、スマートフォンが指に触れる。

通知が来たわけではない。

画面を確認するほどの用事もなく、そのまま戻した。


一人なのだから、最短を選べばいい。


そう思う一方で、その判断があまりにも滑らかすぎる気もした。

正しいけれど、速すぎる。

考えが追いつく前に、結論だけが出てしまうような感覚。


私は自分の足元を見た。


どちらの道にも踏み出していないのに、

体の重心だけがわずかに前に傾いている。

選択を先延ばしにしたまま、

体だけが次の動きを探している。


理由を探そうとして、やめた。


理由を見つけてしまったら、

それに従わなければならなくなる。

そうなれば、この立ち止まり方は間違いになる。


呼吸が、少しだけゆっくりになる。


急いでいないときの呼吸だ。

誰かと並んで歩いているときと、同じリズム。

思わず、息を吐く。


結局、私は遠回りの道へ足を向けた。


決断した、という感覚はなかった。

選んだ理由を説明できるほど、はっきりした動機もない。

気づいたら、そちらを歩いていた。


静かな道は、変わらず静かだった。


足音が一つ分だけ響く。

並んで歩いていたときには、

気にしたこともなかった音だ。


歩幅を、無意識に調整している自分に気づく。

誰かと歩くときの、少し曖昧な速度。

その癖が、まだ抜けていない。


駅に着いたころには、

予定していた電車を一本逃していた。


けれど、それを残念だとは思わなかった。

ベンチに座り、風に当たる。


この感情は、

もう彼女との関係の中だけに存在していない。


並んで歩いていなくても、

話していなくても、

消えない場所に移っている。


名前をつけるほど大きくもない。

無視できるほど小さくもない。


ただ、選択の速度を少しだけ変える。

それだけのもの。


電車が来て、私は立ち上がった。


今日も生活は続く。

明日も、きっと続く。


また同じ分岐点に立つだろう。


理由をはっきりさせないまま。

名前をつけないまま。


それでも、生活は問題なく進んでいく。

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