ある日のお昼ごはん

安藤栞

第1話

 皐月野千夜さつきの ちよは激怒した。必ずや、かの無知で駄情な2時間前の自分を除かなければならぬと決意した。

 千夜には時間と天気がわからぬ。千夜は、奨学金で生活する専門学生である。休日は小説を書き、ゲームで遊んで暮らしてきた。けれども空腹に対しては、人一倍に敏感であった。


 きょう未明千夜はパソコンを開き、ほとんど何も書かれていない真っ白なページにうんざりしながらもゆっくりと指をキーボードに走らせ、昼前まで時を過ごした。

 真っ白なページの上に里ができ、町ができ、主人公の少女は野を超え山越え、市を歩く。


 千夜には友人も、彼女も無い。高校生時代にアルバイトをして買った16万円のノートパソコンと二人暮らしだ。このノートパソコンはインターネットに広がる様々な世界を、千夜に見せてくれていた。

 作業用の眼鏡をかけ、キーボードに指を走らせているうちに千夜は、町の様子を怪しく思った。パソコンのモニターの上に幻視している幻想的な町ではなく、窓の向こうに広がる現実の町の様子がだ。


 ひっそりしている。

 時刻は午前11時。朝のニュースでは一日中曇りと言われていて、町の暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、曇り空のせいばかりでは無く、町全体がやけに暗い。

 のんきな千夜も、だんだん不安になって来た。私が物語の世界に入り込んでいるうちに、世界が滅びてしまったのではないか?と。


 本来は窓から外の景色を窺うべきなのだろうが、無性に寂しくなった千夜はパソコンのブラウザを開き、何かあったのか、普段は夜でも酔っ払いが歌をうたって、町は賑やかであった筈だが。と質問した。

 愛用のノートパソコンに搭載されたAIはいつも通り無機質に、細いゴシック体の文字列を表示して答えた。


『この町には今、雨が降っています。』

「なぜ雨が降っているのだ。」

『雨は、雲の中の水蒸気が冷やされて水滴となり、重くなって地表に落下することで降ります。』

「そうではない、今日は一日中曇りだと言っていたではないか。」

『「今日は一日中曇り」と予報されていた日でも、実際には一時的な雨や晴れ間があることがあり、天気予報はあくまで予測であることを理解することが重要です。』


 小説を書いていたからだろう。妙な文体の質問にAIは淡々と、どこかズレた気がする返答を返した。普段の語彙はどこへやら、千夜は性懲りもなく妙な質問を投げようとした。

 ふと耳に、ぐぅ、と腹の鳴る音が聞こえた。キーボードを叩く指を止め、息を呑んで耳をすませた。やはり、腹が鳴っている。千夜は今、どうしようもない空腹感に襲われていた。千夜は立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。


 冷蔵庫の扉を開いて、千夜は激怒した。

 冷蔵庫の中にあったのは、執筆中に愛飲しているコーヒー牛乳といくつかの調味料、数日前に買ったパック入りのネギしかなかったのだ。

 「食材の買い置きもまともにしていないとは、呆れた女だ。生かしておけぬ。」皐月野千夜は、単純な女であった。

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