春日ノ国物語 〜浪人座小異譚(改)〜
志麻あをい
一 黄泉窟
岩肌に灯るいくつかの小さな明かりだけでも広い
(わたしはただ巫女の衣が着たかっただけなのに……)
杵築咲耶は十間ほど先の小柄な影を睨みつけた。
小鬼だ。
この黄泉窟で最も多く姿を見せる人鬼の一つで、多数に襲われない限りそれほど強くないと聞いていたが、その醜悪な容貌は咲耶を心の底から怯えさせていた。
手に棍棒のようなものを持ち、背の高さは二足で立った状態で咲耶の腰くらいまであるだろうか。大きな目の上の狭い額には小さいがはっきりとした二本の角を持ち、耳の近くまで裂けた口に乱杭歯がむきだしになっている。
「なんでわたしがこんな目にっ!」
「つべこべ言わんと、さっさとやりぃな。さっき、ちゃんと教えたったやろ」
都訛りの声が背中のほうから飛んできたが、咲耶はそれどころではない。
もともとは黄泉窟の浅いところで大魔草の実を取るだけの研修で、他の同じ年頃の人たちはそれぞれ一人の指導者の元に数人の組を作っていたのだが、咲耶だけはたった一人で宋玄と名乗る初老の男に教導されていた。
つまり、この小鬼と戦うのも一人きりなのだ。
(もう……しかたないか……)
それでも咲耶はこの黄泉窟に入る前に受けた簡単な説明を思い出して、作業の前に地に置いておいた小手薙刀を腰を屈めて拾い上げた。
もちろん目は小鬼に向けたままだ。
あらかじめ渡されていた小手薙刀は穂も柄も短めで、広いとはいえ岩壁に囲まれた黄泉窟の中でも邪魔にならずに使うことができる。これも教導役の宋玄に勧められたものだった。
養護院育ちの咲耶は男勝りの性格もあって小さな頃から棒術も習っていて、近い年の男子にも負けないほどの技を身につけており、小手薙刀も手にしっくりとくる。
「……いいよ、おいでよ……」
そう呟いたあと、ふと咲耶は気がついた。
手にした小手薙刀には、まだ鞘がついたままだ。
「……キイィッ!」
思わず咲耶が手元に目を落とした瞬間、小鬼が奇声をあげて襲いかかってくる。
慌てて鞘を払ったあと視線を戻すと、小鬼はすでに目の前にまで迫っていた。
恐怖に駆られながらも無意識に、両手で握った小手薙刀の穂先を小鬼へ突き入れたその時だった。
「ぼんっ……」
小さな破裂音とともに、穂先にかかった小鬼が白煙と化してして広がっていく。
「……え?」
「ありゃ、いらんことしてもうた」
咲耶がその声に振り向くと、初老の男がにやにやと笑っているのが見えた。人差し指と中指を揃えて印を結んだ掌を顔の近くまで持ち上げ、左手でするりとわずかに毛の伸びた禿頭を撫でている。
「えと、何が……」
「危なそうやったから、思わず咒符を使うてしもた……あ、それ拾うといてな」
宋玄が指差したほうへ目を向けると、ちょうど小鬼が姿を消したあたりに丸くコの字に曲った石が転がっていた。
「それ、
背中から宋玄の長閑な声が聞こえてきた。
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