第14話 信じていたのに
白い天井が見えた。
消毒液の匂いと、静寂。
そこが学園の保健室であることを、セレスティアはすぐ悟った。
「……っ、う」
身体を起こそうとして、セレスティアは激痛に顔をしかめる。
記憶が混濁している。
確か、領地への帰還中に襲撃を受けて――。
「ティア!! 起きたのか!!」
慌てて駆け寄ってきたのは、レイジだった。
その顔はやつれ、目元には濃い隈ができている。自分が目覚めるのを、ずっと付き添って待っていたのだろう。
「レイジ……? 私は何故、学園の保健室に……?」
「ローゼミリアンの屋敷まで運ぶには遠すぎたから、ここに来たんだ。……学園長にも事情を説明して協力してもらった」
「そうですか……ありがとうございます、レイジ」
セレスティアは深く息を吐き、自分の身体を確認する。
生きている。あの白い外套の男に捕まった時は、もう駄目だと覚悟したのに。
「ティアが攫われたと聞いて、俺はすぐにローゼミリアン家の騎士団と合流したんだ。街道に残された魔力の痕跡を追って、騎士たちと森を捜索して……」
「お父様の騎士団と……」
「ティアを見つけたのは、森の奥にある砦の跡だった。そこには藍色の外套を着た連中がいて……」
「藍色?」
セレスティアが疑問を発する。
「白色の外套では、ありませんでしたか?」
「白……? いや、俺はそんな奴見なかったな……」
レイジが不思議そうに首を傾げる。
コンコン、とドアがノックされた。レイジが「はい」と返事をすると、初老の男性が保健室に入ってくる。
学園長だ。
王立魔法学園の最高責任者である彼は、その肩書き以上に、魔法使いとして卓越した腕前で生徒たちから信頼されていた。噂によると一級魔法を習得しているらしい。
長い人生経験に裏打ちされた知識を持つ学園長は、険しい顔つきで口を開いた。
「レイジ君の報告をもとに、セレスティア嬢を攫った連中について調べてみた。藍色の外套を着た集団……古い文献に似たような記述があったぞ」
学園長はセレスティアの枕元に立ち、厳格な瞳で告げる。
「断定はできんが、彼らは教団と呼ばれる者たちかもしれん」
「教団、ですか……?」
「うむ。魔法文明を滅ぼそうとする、危険な思想を持つ集団だ」
そんな集団に、何故自分は攫われたのか。
身代金。或いは……この身に宿る魔法か。
「レイジ君、よくセレスティア嬢を救出したな。やはり君は見所がある」
「そんな、学園長。俺はただ必死だっただけで……」
学園長の賞賛を、レイジは複雑な面持ちで受け取った。
辛うじて間に合っただけだ。……少年の横顔から、そんな悔しさが透けて見える。
……そうだ。
私は、どうやって救われたのだろう?
セレスティアの脳裏に、微かな記憶が蘇る。
絶望的な状況の中で、暗闇を切り裂いた一筋の剣閃……。
あの時、誰かが来てくれた。
誰かが、自分を守るために戦ってくれた。
その背中は、とても大きくて、どこか懐かしくて。
芯のある優しい声。あの心地いい雰囲気は、確かに……。
「……クロード様は、どうしていますか?」
「ッ!!」
その名前を出した瞬間、レイジの瞳に激情が走った。
「あいつは……黒幕だった」
「……え?」
「あいつが、全部仕組んでたんだよ!!」
レイジが何を言っているのか分からなかった。
だが、レイジも限界だったのだろう。彼は堰を切ったかのように怒りを撒き散らす。
「あいつは……クロードは!! ティアが拉致されたと聞いた時、何をしていたと思う!?」
レイジの声が震える。
怒りと、悔しさと、そして軽蔑に。
「食事をしていたんだ!! 眉一つ動かさず、優雅に肉を切り分けていた!! 慌てる俺たちを『騒々しい』と一蹴して!!」
「……嘘」
「嘘じゃない!! あいつは確かに言ってたぞ!! 『飽きた』って!! 『あの女は俺の隣に立つには退屈だった』って……ッ!!」
そこまで言って、レイジは我に返った。
唇を引き結ぶセレスティアに、レイジは頭を下げる。
「……ごめん、余計なこと言った」
「……いえ」
その気遣いが、信憑性を高める。
いや、信憑性も何もないはずだ。だって、その「飽きた」という発言は、婚約破棄された時点で本人から直接言われている。
「セレスティア嬢。何か覚えていることはないかね?」
学園長の慎重な問いかけに、セレスティアは先程思い出した光景の一つを口にする。
「おぼろげですが……私を助けた人は、不思議な剣を持っていた気がします。その剣は、戦いながら形を変えて……」
「ふむ。それはレイジ君で間違いなさそうじゃな」
学園長がレイジに視線を注ぐ。
レイジは首を縦に振った。
「クロードと戦った時、聖剣を手に入れたんだ。……ほら、これだろ?」
レイジの肩が黄金の輝きを発した。
すると、レイジの両腕に神々しい双剣が握られる。
「聖剣は覚醒すると形を変える。最初は一振りの剣だったんだぜ?」
レイジの声は少し浮かれていた。
預言で救世主になると言われた時は、まだ実感がなさそうだったが、聖剣が手元に現れたことでようやく現実味を感じてきたのだろう。
「文献によると、聖剣とは神より賜りし武器。持ち主の精神に感応し、その姿を変える剣じゃ。……現在、聖剣の所持者は世界にただ一人、レイジ=ヴォルフ君じゃよ」
セレスティアを救ったのは、聖剣の持ち主で間違いない。
そして、聖剣の持ち主はレイジしかいない。
疑問は分かりやすく氷解していく。
…………では、あの背中は?
クロードに似ていると思った、あの背中は?
あの懐かしさは? あの優しさは?
全部、幻だったのか……?
「クロード=フォン=アインハルトは黒幕じゃった。しかし残念ながら、状況証拠だけで捕らえるのは現実的ではないじゃろう。腐っても公爵家、握り潰されるのは目に見えておる」
「でも、学園長!! それじゃああいつは何の罪にも問われないんですか!?」
「悔しいがな。今はただ、奴を警戒し続けるしかない」
レイジが怒りに顔を歪ませる。
二人の会話を、セレスティアはどこか他人事のようにぼんやり聞いていた。
◆
その日の夜。
月明かりが、セレスティアの目を覚ました。
そのまま保健室のベッドを借りて眠ってしまったが、慣れないベッドのせいで寝つきがよくない。攫われたと言っても外傷はほとんどなく、体力も満ちていた。精神的疲労よりも、考えるべきことが多すぎて、むしろ目が冴えてしまう。
一瞬、月明かりが揺らめいた。
窓の隙間から、一匹の蝶が入ってくる。
セレスティアは飛び起きた。
この蝶は……。
この魔法は……。
「クロード様……!!」
身支度もせず、セレスティアは蝶を追って窓から外に出た。
黒い蝶は、セレスティアを誘導するように、ひらひらとどこかへ向かう。
裸足で駆け出したセレスティアは、クロードとの日々を思い出した。
あれは確か、二人で魔法の練習をしていた時のこと。
アインハルト家の屋敷の庭園で、クロードは優しく微笑んでいた。
――ティア、見てくれ。《ダーク・ショット》を応用したら、こんな形になったんだ。
――まあ、とても可愛らしい蝶ですね。
――闇属性は物騒だから好きじゃないけど、これは綺麗だな。アゲハ蝶みたいだ。
――アゲハ蝶、ですか?
――なんでもないよ。
あの時、見せてくれた蝶だ。
二人で幸せに過ごしていた時の魔法だ。
クロードはあの穏やかな日々を覚えていたのだ。
なら、何度だってやり直せる。
今はおかしくなっていても、また目を覚ますことはできるはずだ。
そう信じて――――――――――――。
「来たか」
王都の狭い路地裏。そこでクロードは待っていた。
クロードは、ゴミを見るような目でセレスティアを睨む。
その姿に、セレスティアの中にある希望が萎んでいく。
何か……何か言わなくてはならない。
彼が口を開くよりも先に。
これ以上、失望する前に。
「……クロード様。レイジから聞きました。貴方が、今回の件に関わっていると」
「ほう? あいつも勘が鋭いな」
あっさりと。
あまりにもあっさりと、クロードは肯定した。
「否定、なさらないのですか?」
「否定? ……くく、何のためにだ?」
クロードは喉を鳴らして笑う。
「セレスティア。貴様はずっと隠していたな? その身に宿る秘級魔法のことを」
「な……ッ!?」
セレスティアの息が止まる。
それは、誰にも――家族以外には決して話していない、彼女の秘密。
籠の中に彼女を閉じ込める、忌まわしき鎖。
なぜ、彼がそれを?
まだ話していないのに。
話す直前に、私を裏切ったくせに――。
「教団が欲しがっていたのはそれだ。そして俺も、興味があってな」
クロードが一歩、近づく。
セレスティアは恐怖で一歩後ずさった。
「知っているか? 秘級魔法は――死体から抽出できる」
セレスティアの中で、世界が崩れ落ちる音がした。
ああ、この人は――――私の敵なんだ。
そう思うと、色々腑に落ちることがある。
もしかして、この一年の改心は……私に優しくしてくれたのは、全部この時のためだったんじゃないか?
セレスティアは、ゆらりと指先を漆黒の蝶へ向ける。
これ以上、あの日々を汚すな。
己の魔力に怒りを込めた直後、蝶は黒い粒子となって消滅した。
「……貴様、何をした?」
「これが私の秘級魔法ですよ」
まさか、こんな形で秘密を打ち明けることになるとは思わなかった。
セレスティアは静かに笑う。己の見る目のなさに。
「その名は《ロスト》。……魔法を打ち消す魔法です」
これだけ言えば伝わるだろう。
クロードは醜悪だ。しかし頭が悪いわけではない。
案の定、クロードは愉快そうに笑い出した。
「くははははははッ!! どうりで隠しているわけだ!! 貴様のその魔法は、文明を滅ぼしかねないというわけだな!?」
その通り。だから公にはできなかった。
今やあらゆる生活に魔法が根付いている。料理も洗濯も、魔法がなければ始まらない。
セレスティアの秘級魔法は、それらを無効化するもの。
即ち、人々の生活を破壊してしまう魔法だ。
「貴方が何を企んでいるかは知りません。ですが、今後も私たちに何かするのであれば……私がこの魔法で相手になりましょう」
「温室育ちのお嬢様が大層な宣言をしたな。……いいだろう、レイジと一緒にこの俺を阻んでみろ!!」
クロードは笑う。
自分が負けるはずはないと言いたげに。
「クロード……!!」
もはや「様」をつける義理はない。
セレスティアはクロードに近づいた。……分かってる。まだ倒せない。今の自分では、預言の間でレイジと戦っていた時のクロードすら倒せない。
だが、激情が堪えきれない。
溜まりに溜まった失望が。
裏切られた心が、この男に叫びたがっている――。
パンッ!!
クロードの頬を、力強く平手打ちした。
「貴方は、最低です!!」
この瞬間が決別になったことを、セレスティアは実感した。
もう二度と、自分はこの男を信頼しないだろう。
だが、何故か……。
目の前の男は、セレスティアの拒絶を満足そうに受け止めた。
まるで、その言葉を待っていたかのように。
「……ああ、知っているさ」
クロードは踵を返す。
遠ざかる背中を、セレスティアは見つめていた。
……どうして?
どうして、こんなに憎いのに……。
その背中が、寂しく見えるのだろう。
◆
『おい、大丈夫か?』
何が?
『右腕だ。血が垂れているぞ』
ゼストに言われて俺は気づいた。
無意識に右の拳を握り締めていたらしい。よほど力を入れていたのか、爪が掌に食い込んで血が出ている。
傷ましいな。
でも……痛くないな。
他にもっと痛いところがあるからかな。
『お前……』
アインハルト家に帰り、俺は地下室へ向かった。
夜更けに帰った俺を出迎える者はいない。いや、今は朝だろうが昼だろうが、誰も俺に声をかける者はいなかった。
地下室の扉を閉める。
ふぅ、と息を吐いた。
もはやここだけだ。
ここでだけ、俺は息を抜ける。
『かなり消耗しているな。しばらくは口で会話した方がよさそうだ』
え、なんで?
『今やっている念話は魔力を消費する。少しでも回復に専念した方がいい。……私の格納も解いておけ。その方が楽だ』
そうか……。
言われた通り、俺は右腕に格納していたゼストを出す。
カラン、と漆黒のギロチンが床に落ちた。
「なら、こうやって話すか」
『ふ……この感覚、久しぶりだな』
ゼストとはあまり口で会話したくないんだよな。
傍から見れば、俺が独り言をブツブツ喋っているだけだし。
まあいいか。
この地下室には俺以外、誰もいない。
「……ティアは、気をつけてくれるかな」
『大丈夫だろう。お前が釘を刺したおかげでな』
秘級魔法は死体から取り出せる。――というのは、俺とゼストが予測した教団の狙いに過ぎない。
俺が《
「教団を、警戒してくれたらいいけどな」
ローゼミリアン家も馬鹿ではない。
きっとこれからはセレスティアの護衛が強化されるだろう。
『……お前は、一人で全てを背負う気か?』
不意に、ゼストがそんなことを訊いてきた。
『この道はあまりにも険しいぞ。お前は、命をなげうってまで誰かを助けているのに……誰もがお前を裏切り者と呼ぶ』
「言葉にすると悲しいからやめてくれ」
俺だって無敵じゃないんだから。
傷つく時は傷つくのだ。
「全てを背負うことになるのは、俺じゃなくてレイジさ」
これが、俺の耐えられる理由、
世界でただ一人、俺だけがその未来を知っている。
「いずれレイジは、たった一人で世界の命運を背負わなくちゃいけなくなる。……だから、今くらいは俺が背負ってやってもいいだろ」
『……辛くないのか?』
「辛いに決まってる」
分かりきったことを訊くな。
「でも、ティアが死ぬよりマシだ」
『……』
「ティア、レイジ、チェサ、父上、母上……皆が死ぬことと比べれば、悪を演じるくらいどうってことない。……レイジが世界を救う希望の炎なら、俺はその薪になってやる。あいつを、どこまでも強くしてみせるんだ」
『……馬鹿が』
「悪いな、馬鹿につきあわせて」
『ふん』
ゼストが鼻で笑った。
『馬鹿を一人にはしておけないだろ』
そりゃどうも……。
俺も、お前のことは心強いと思ってるよ。
念話が繋がっていない今しか言わないけどな。
「……悪い、眠くなってきた」
『休め。今は存分に』
そうさせてもらおう。
目を閉じると、今日の出来事が脳裏を過ぎる。
……ティア、泣いてたな。
俺をビンタした時、ティアは涙を流していた。
頬がじんじんと痛みを訴える。でもティアの方が痛かったんだろうな。
意識が沈む。
目を覚ました時、心が怯えていないか不安だ。
止まっちゃいけない。
俺は、誇り高き踏み台になるんだ……。
◆
『……寝たか』
静かに横たわるクロードを見て、ゼストは呟いた。
彼と出会った時のことを、ぼんやり思い出す。
本命の当て馬として創造されたと知った時は、何の冗談かと思った。それもこれも全部、このクロードという男のせいだと思って、内心恨んでいた。
それが、どうだ。
この男は誰よりも努力している。
誰よりも世界を愛し、誰よりも人を助けようとしている。
ボロボロの姿で横たわる少年は、決して当て馬なんかじゃない。
この男こそ、真の英雄だ。
『……神よ。この男のもとに届けてくれたこと、感謝します』
誇らしいことだ。
この男に使われるのは、とても誇らしい。
静かに眠る英雄の横顔を、ゼストはただ見つめる。
その時――――。
ギギギ、と音を立てて。
開くはずのない扉が開いた。
地下室に、一人の少女が訪れる。
その瞳を――ドロドロに濁らせて。
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