第二話 喫茶店での出会い

 翌朝、涼太は珍しく早くに目が覚めた。昨夜読んだ小説の余韻が、まだ胸に残っていたせいだろう。

 今日は土曜で休日。涼太はシャワーを浴び、適当に服を選んで外に出た。目的地があるわけではない。ただ、部屋にいるのが退屈だと感じたのだ。


 歩いているうちに、涼太は自分が普段は通らない路地に入り込んでいることに気づいた。そして、小さなカフェを見つける。


 『喫茶・いこい


 ガラス張りの窓からは、暖かな照明に照らされた店内が見えた。


「……まさか」


 小説の中で亮が入ったカフェの描写と、妙に似ている気がし、おもわず足を止めた。そして、そのまま引き寄せられるようにドアを開ける。ベルの軽やかな音が耳をくすぐった。


「……」


 店内は静かだった。カウンター席に中年の男性が一人、新聞を読んでいる。奥のテーブル席には、タブレットを手にした若い女性。

 そして、窓際の席――そこに、彼女はいた。


 長い黒髪を耳にかけた女性が、コーヒーカップを両手で包むようにして、窓の外を眺めている。


 ドクンっ!


 涼太の心臓が大きく跳ねた。

 小説の中の場面と、あまりにも似ていた。いや、似ているどころか、まるで同じだ。

 その時――女性がふと顔を上げ、涼太と目が合った。一瞬、彼女の目に驚きの色が浮かんだように見える。

 涼太は慌てて視線を逸らし、カウンター席に座った。心臓の音が耳に響いている。


「ご注文は?」


 店員の声に、涼太はどもりながら答えた。


「あ、ほ、ホットコーヒーを……ブレンドで」

「かしこまりました」


 コーヒーが運ばれてくるまでの数分間が、やけに長く感じられた。涼太はスマートフォンを取り出し、意味もなく画面をスクロールする。


(偶然だ。きっと偶然だ……)


 東京には無数のカフェがある。窓際でコーヒーを飲む女性なんて、珍しくもない。小説を読んだ直後だから、妙に印象に残っているだけだ。


 そう自分に言い聞かせながら、涼太はカップに口をつけた。直後、後ろから声がした。


「すみません」


 振り返ると、窓際にいた女性がそこに立っていた。近くで見ると、思ったより若い。涼太と同い年くらいだろうか。


「あの、もしかして……このカフェ、初めてですか?」


 涼太は戸惑いながら頷いた。


「ええ、まあ」

「そうですよね。なんとなく、そんな感じがして」女性は少し恥ずかしそうに笑った。

「私もなんです。今日初めて来たんです。でも、なんだかすごく懐かしい気がして……変ですよね」


 涼太の背筋に、冷たいものが走った。


「……そう、ですね」

「あ、ごめんなさい。急に話しかけて」女性は頭を下げた。

「私、水瀬水美みずせ みなみっていいます。よかったら、また会ったら声かけてください」


 ――水美


 その名前が、どこかで聞いたような気がした。でも思い出せない。


「桐谷、です。桐谷涼太」

「桐谷さん。それじゃあ、また」


 水美は軽く手を振って、店を出ていった。

 涼太はカウンターに座ったまま、彼女の消えたドアを見つめ続けた。何かが頭の中でひっかる。


「水瀬…水美……」


 知り合ったばかりの女性の名を呟き、無意識にカップを口元に運ぶ。口に含んだコーヒーはすっかり冷めきっていた。


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