第2話 聖女様の住処は、未実装エリア(ゴミ屋敷)でした
Sランク勇者パーティ『
「……ここか」
シェアハウス『陽だまり荘』。 その牧歌的な名前とは裏腹に、目の前の建物はまるで長年メンテナンス放棄されたサーバーのようだった。 外壁はエラーコードのような不気味なツタに覆われ、窓ガラスは割れ、庭は処理落ちしそうなほど雑草が生い茂っている。
「……妙だな」
俺は眉をひそめた。 単にボロいだけではない。空間のノイズが酷い。 まるで、誰かが意図的に「ここを人目につかないようにする」ための、『認識阻害』のコードを埋め込んでいるような気配がする。スキルがなければ見落としていた可能性も十分にあるだろう。
(……気のせいか? まあいい、今は雑草の処理が先決だ)
俺は手元の求人票をもう一度確認した。
【急募:管理人兼マネージャー】
【場所:シェアハウス『陽だまり荘』】
【条件:家事全般ができる方。メンタルが強い方優遇】
【備考:住人は全員、少しだけ訳ありの少女です】
「なるほど。『メンタルが強い』の意味が少しわかった気がするな」
だが、俺にとっては好都合だ。 あの虚栄心と悪意にまみれた高級レストラン『ロイヤル・スプーン』の個室に比べれば、物理的に荒廃した屋敷の方がまだ修復の余地がある。
俺はポケットから、ギルドで受け取った「管理人の証」である真鍮の鍵を取り出した。これは単なる物理的な鍵ではない。この屋敷という「領域」に対するアクセス権限そのものだ。俺は鍵穴にそれを差し込み、手首を捻る。
『認証:
「アクセス認証、完了。――お邪魔します」
ドアノブを回して足を踏み入れる。 挨拶をしようと息を吸い込んだ瞬間、俺は言葉を失った。
「……ううぅ……あと一回……あと一回だけだからぁ……」
リビングに広がっていたのは、酒瓶と、破られた馬券と、カップ麺の空き容器で作られた「ゴミの山脈」だった。
ボサボサの金髪。赤くなった目。 だが、その顔立ちだけは、解像度が異様に高い。美少女だった。
(……この顔、どこかで見覚えがあるな)
俺は脳内の記憶領域を検索する。 街頭の大型ビジョン。教会のポスター。慈愛に満ちた微笑みで、かつて民衆に手を振っていた国一番の聖女。
「……ソフィア様、ですか?」
俺が声をかけると、少女――聖女ソフィアはビクッと肩を震わせ、のろのろと顔を上げた。
「……ひっ!? しゃ、借金取り!? ま、待って! 来週には教会の給料が入るから! だから、まだ腎臓は売らないでぇ!」
彼女は涙目で後ずさりし、背後のゴミ山に激突して雪崩を起こした。 空き缶がカラカラと虚しい音を立てて転がる。
「……違います。本日より着任した新しい管理人です」
「え……? かんり、にん?」
「はい。今日からこのシェアハウスのシステム……いえ、生活環境の維持管理を担当します」
ソフィアはぽかんと口を開け、まじまじと俺を見た。 そして、安堵したようにへなへなと座り込む。
「な、なんだぁ……よかったぁ……また『鬼の取り立て屋』が来たのかと思ったぁ……」
「……」
どうやら、ここには頻繁に招かれざる客が出入りしているらしい。 俺は改めて室内をスキャンした。 埃っぽい空気。床が見えないほどのゴミ。これでは能力はおろか、
「ふふ、新しい管理人さんかぁ。前の人は三日で逃げちゃったけど、貴方はどれくらい持つかなぁ……」
ソフィアは自虐的に笑い、手元にあった魔導端末を再び操作し始めた。
「まあいいや。ねえ見て見て! この『10連ガチャ』、今だけSSR排出率が二倍なの! 絶対にレアが出る予感がするの! 神託が降りたの!」
「……」
「あと一回回せば出るはずなんだけど、今月の課金リソースがなくて……ねえ管理人さん、小銭持ってない?」
出会って数分で金を無心してくる聖女。 俺は深いため息を一つ吐き、眼鏡の位置を直した。
(……ライオネルたちとはベクトルが違うが、エラーの深刻度は同等だな)
だが、俺の
「ソフィア様。部屋の隅に退避していてください」
「え? なになに? 大掃除?」
俺は部屋の中央に立った。 ユニークスキル【
【接続:陽だまり荘・マスターキー認証済】
【権限:最高管理者】
【対象エリア:リビングルーム】
【状態:カオス(要・強制終了)】
さらに、ソフィア個人のパラメータにも奇妙なタグが見えた。
【警告:精神汚染レベル上昇中】
【干渉:思考誘導(弱)】
(……思考誘導? ギャンブル依存になるよう、誰かが精神に干渉しているのか? いや、まさかな。単なる自堕落の言い訳だろう)
俺はひとまず、その不穏なエラーログを無視することにした。今は目の前のゴミ山が先だ。
「無から有は生み出せませんが……既存のリソースを『最適化』することは可能です」
俺は空中に展開された青白いホログラムウィンドウを指先で弾いた。 表示されているのは屋敷の設備管理パラメーターだ。
「換気システム、アクセス。排気ファンの回転数リミッターを解除。出力係数を定格の600%へオーバークロック」
ブゥゥゥン……!!
壁の通気口の奥で、異様な駆動音が唸り始めた。本来なら室内の空気を優しく循環させるだけのファンが、今はジェットエンジンのような悲鳴を上げている。
「ちょ、ちょっと待って!? そんなことしたら、私の大事なコレクションまで飛んでっちゃうよぉ!」
ソフィアが慌ててガラクタの山――彼女にとっては宝の山――を抱え込む。 確かにその通りだ。ただ吸引力を上げただけでは、必要な家具や重要書類まで消失してしまう。
「ご安心を。……これより、『
俺は空中に展開されたウィンドウを操作し、新たなコードを記述する。
【検索クエリ実行:対象範囲:リビング全域】
【条件定義:
【追加条件:『腐敗度』が0以上の有機物、および『所有権』が放棄された容器類】
ピピピッ、と電子音が鳴り、視界の中にある物体に次々とマーカーが付与されていく。 空き缶、古雑誌、脱ぎ捨てたジャージ、カップ麺の容器には、赤色の『
「ちょ、ちょっと! なんで私の『外れ馬券コレクション』が赤色になってるの!?
あれは『次こそ当たるという戒め』としての価値が……!」
「市場価値ゼロです。ゴミ判定を確定します」
「いやぁぁぁ! 私の思い出がぁぁぁ!」
ソフィアの抗議を無視し、俺は最後のコマンドを入力する。
「物理演算、書き換え。――『
これこそが、俺のスキルの真骨頂だ。 世界というプログラムに対し、「風はゴミにしか当たらない」という局所的なルールを適用する。
「――システム、
ドォォォォォォン!!
「きゃああああっ!?」
猛烈な暴風が室内を吹き荒れる。ソフィアの金髪や、テーブルの上の花瓶はピクリとも揺れない。その横にある空き缶やゴミ袋だけが、まるで重力が消えたかのように浮き上がり、弾丸のような速度で換気ダクト(あるいは勝手口)へと吸い込まれていく。
「えっ、ええっ!? なんで!? 私、風を感じないよ!?」
「貴女や家具は、システム上で『空気抵抗ゼロ』として処理していますから」
バババババッ!
ゴミたちが整列し、恐ろしい勢いで排出されていく。 だが、その奔流の中で、一枚の羊皮紙が舞い上がった。
「あっ! それは教会の給与明細!」
ソフィアが叫ぶ。 俺は瞬時に視界上のタグを確認した。 ――『給与明細』。市場価値なし(紙切れ)。だが、重要度は『高』。
「チッ、判定漏れ《エラー》か……! 『属性変更』!」
俺は指先で空中の給与明細をロックオンし、タグの色を赤から緑へ強引に書き換える。
カッ!
その瞬間、猛スピードで飛んでいた給与明細が、急ブレーキがかかったように空中で静止した。 風の干渉を受けなくなり、ヒラヒラと重力に従って床に落ちる。
「ふぅ……間一髪ですね」
俺は鼻からツーッと垂れてきた血をハンカチで拭った。 数千のオブジェクトを個別にリアルタイム判定し、物理法則を書き換える演算。綱渡りの作業だ。脳が少しひりつく。 だが、この程度の
数秒後。駆動音が止まると、そこにはチリ一つないフローリングと、綺麗に残された家具、そして給与明細だけが残されていた。
「す、すごい……風魔法の使い手なの? ううん、あんな繊細な選別魔法、宮廷魔導師でも見たことない……!」
「いいえ。ただ、換気扇を『本気』にさせて、要らないものだけを敵と誤認させただけですよ」
俺はソフィアに向き直った。 感動している彼女の腹から、盛大な音が鳴り響く。
ぐぅぅぅぅぅ……。
「……あ、あの……その……」
「キッチンをお借りします。食材は?」
「れ、冷蔵庫に……たぶん、2週間前くらいのキャベツが……拾った……」
俺はキッチンへ向かった。 冷蔵庫の中身は惨憺たるものだった。しなびて茶色く変色したキャベツが一玉、転がっているだけだ。 普通なら廃棄処分だが――俺の目には、植物の繊維構造がワイヤーフレームのデータとして見えている。
「アクセス解析。……外葉の細胞壊死率80%。だが、芯の維管束にはまだ水分リソースが残存しているな」
俺はキャベツに手を触れ、コマンドを入力する。
「『リソース
ジュワッ、と微かな音がした。 俺の手の中で、外側の葉が一瞬でカサカサの灰のように崩れ落ちる。 その代わり、中心部の葉はまるで採れたてのように瑞々しくパンと膨れ上がり、鮮やかな緑色を取り戻した。
「えええ!? なに今の!? 時間を戻したの!?」
「いいえ。死にかけの組織から、まだ生きられる組織へ
俺は包丁を握る。 あとは、物理的な最適化だ。 繊維の走行方向をコンマミリ単位で計算し、細胞壁を壊さない角度で刃を入れる。
トントントントン!
リズミカルな音が響く。 冷蔵庫の隅にあったわずかな塩と、乾燥したハーブ。これらも配合比率を計算し尽くせば、高級ブイヨンに匹敵する味が出せる。
「どうぞ。リソースの集中管理によって蘇生させた、キャベツのスープです」
湯気を立てるスープをテーブルに置く。 ソフィアはおずおずとスプーンを手に取り、一口啜った。
「…………っ!」
カチャン、とスプーンが落ちる。 彼女の大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「おいひぃ……! なにこれ……! 野菜の甘味が……キャベツってこんなにシャキシャキだったの……?」
「素材のポテンシャルを阻害していた要因を取り除き、
「私……ここ数日、水とモヤシしか食べてなくて……ううぅ……」
一心不乱にスープを飲む国一番の聖女。 その背中を見下ろしながら、俺は懐から手帳を取り出した。 ここからが本題だ。管理人はボランティアではない。
「ソフィア様。食事の対価として、契約を結んでいただきます」
「け、契約……?」
ソフィアがビクリと身構える。 俺は穏やか、かつ事務的な口調で告げた。
「今後は、貴女の収支バランスを私が完全にコントロールします。ギャンブルへの投資は、
「ええっ!? そ、そんな殺生な! 私の自由意志は!?」
「その代わり――毎日、徹底的に栄養管理された食事と、清掃の行き届いた部屋。そして何より、借金取りへの
ソフィアの動きが止まる。 彼女は空になったスープ皿と、俺の顔を交互に見た。 借金取りに怯え、ゴミの中で寝る生活か。 自由はないが、温かいスープと安全がある生活か。 答えは明白だった。
「……クロード様ぁ〜……一生ついていきますぅ!」
彼女は俺の足にすがりつき、涙ながらに忠誠(?)を誓った。 チョロい。あまりにもセキュリティ意識が低すぎる。 だが、これで第一の案件(聖女)は制御下に置いた。
その時。 玄関の方から、ガチャリとドアが開く音がした。
「……ん? 誰かいる気配……。フッ……我が結界に侵入者とはな……」
鋭い殺気と、そして何かが爆発したような焦げ臭さが漂ってくる。 どうやら、残りの問題児たちがご帰宅のようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます