第一章 悪役令嬢に転生した私①
衝撃でフラフラになりながら、自室の扉を開ける。
豪華な調度品に囲まれている部屋の、中央にあるベッドにそのまま身を投げ出した。
天井に向かって手を伸ばし、握ったり開いてみたりする。
「やっぱり夢じゃあ、ないのね……」
つぶやきと共に手を下ろし、心を落ち着けようと目を閉じた。
私は奨学金とバイトで生活費をやり繰りしている日本の大学生だった。幼い頃から両親とも私にあまり興味がないかのように振る舞い、家の中はまるで氷のように冷たかった。大学生になり一人暮らしを始め、ようやく息苦しさから解放されたと思ったら、授業とバイトで必死な日々が待っていた。そんな中、夜に読む小説だけを楽しみにしていた。
昨日もそう。授業が終わるのが遅くなり、バイトに遅刻しそうになって急いでいた。横断歩道を走っていた時、車のクラクションの音が鳴り響いて──。
私の人生はあそこで幕を閉じてしまったのだろうか……! これからって時に、ついていないなんてもんじゃない。
そして気づいたら小説『暴君の溺愛』の悪役令嬢ラリエット・メイデスとして、目覚めたってわけ。
「ありえない……」
小説ではよくある展開も、わが身に置き換えると笑えない。
でも、これからのことを考えなければ。まずは作戦会議よ!!
ジッと天井を見つめていると、様々な情報が頭の中に浮かび上がる。
ラリエットはメイデス伯爵家の長女として生まれ、現在は十七歳。母とは十歳の時に死別していたが、大好きだったみたい。私がそっと左手を伸ばすと、小指にはピンキーリングが輝いている。これはラリエットの母が、幸運のお守りとして贈ってくれた大事なものらしい。
母が
新しい家族とは反りが合わず、反発する日々。特に義兄であるフレデリックが向ける視線を不快に感じ、常に避けていた。それでも付きまとってくる義兄を心底
確かにそれは嫌だわ!
なのに義母はラリエットが義兄を誘惑するのではないかと、いつも目を光らせていた。
ここまでくると、なんでだよ!! とツッコミを入れたくなる。
そして両親は勉学の
その間に、ラリエットをゼロニスの婚約者選定の場である、この
もっとも、ラリエット自身も絶対にゼロニスの婚約者に選ばれると意気込んでここに来た。意地悪な義母に貴族社会でのし上がりたい野心家の父。それにいつ留学を終えて帰って来るかもわからぬ義兄。
ラリエットだって、この婚約者選定にかけていたのだ。
メイデス家を出られるチャンスだって……!!
だからこそ、誰よりも人目を
なるほど、そういうことだったのね! 小説を読んでいた時は、たんによくいる悪役令嬢かと思って特に気にもしていなかったけど、そんな事情があったとは。
いまだからこそ理解できる。ゼロニスに選ばれようと必死になっていた理由が。
もっともその後は
どうやら私は亡くなり、小説のラリエットの体に魂が入り込んだみたい。
だが不思議なことにラリエットの記憶や感情を受け継いでいる。字の読み書きもできるし、一般常識も備わっている。前世の私と記憶が融合した今、そう簡単に退場してなるものですか。今世の環境に適応しながら、
物語としては取るに足らない一人の悪役の人生かもしれないけど、自分となればまた別の話よ!!
私は私。モブならモブらしく、自分の生きる道を見つけるわ。
しかも物語のヒロインならまだしも、途中退場が約束されている悪役令嬢。
ゼロニス・ロンバルドの手によって、断罪される運命。
小説のラリエットは、自分こそがゼロニスの婚約者に
婚約者選定に集まって、ちょうど一か月後の舞踏会。
そこでゼロニスがセリーヌと踊ったことに焦りを感じ、ある計画を立てる。
それは、夜にゼロニスの寝室に忍び込むというもの。
もちろん怒ったゼロニスに速攻、寝室から
そこであきらめればいいものを、翌日には使用人を買収し、セリーヌを毒殺しようともくろんだのだ。使用人から嫌われていたラリエットは、すぐさま密告された。
ここでゼロニスの怒りが頂点に達すると同時に、彼はセリーヌを深く愛していると気づくのだ。
見事な当て馬の結果、ラリエットは極刑になった。そりゃそうだ。未遂とはいえ、恐ろしい計画を立てたのだから。
読者目線では、ざまぁ、スカッと展開、と思っていたっけ。
だが、自分がこれから同じ体験をすると想像したら恐怖を感じる。背筋がゾッとして両手で腕をさすった。第一、私は死にたくない。命大事。
正直、婚約者とか、どうでもいい。私は命をとられるわけにはいかない。
読者の時は単にモブの一人だと思って、特別感情移入もしていなかったラリエットだが、自分の立場になるとそうも言っていられない。
私はここで、上手く生き延びる術を考えなければいけないのだから。
決意して拳にグッと力を入れた。
たとえ物語の悪役でも私の人生では主役なんだから。
私の目標は、まず生きる。そしてゼロニスとセリーヌの関係を邪魔しない。私は自分の今後を考えるのに必死なので、構ってなんていられない。
ターニングポイントと思われる一か月後の舞踏会、そこでなんとか大人しくしていたら、断罪が避けられるんじゃないかしら!
それに、婚約者に選ばれずともメイデス家に戻らなくていいような、なにか手だてがあるはずよ。
意気込んでいると扉が静かに開く。そして部屋に入って来た人物は目をつり上げた。
「まあ!! お嬢様!! なぜ、こんなところにおられるのです!?」
キーキーと叫びながら私を糾弾するのは、髪をカチッと一つにまとめ、顔全体に広がったそばかすが特徴的な四十代の中年女性だ。彼女はメイデス家から連れて来た私付きのメイドだ。
「ちょっと体調が良くなくて、戻って来たのよ、マーゴット」
高い声がうるさいと思いつつ、ベッドから起き上がる。
「大事な舞踏会なのに、そんなことでどうしますか!! ゼロニス様のお目にとまるチャンスですのに!!」
マーゴットは私の
ここが小説の世界だって気づいたばかりで、それどころじゃないっていうのに。
ゼロニスの婚約者とかよりも、私がどうやってこの世界で生き延びるのか考えるのが先よ。
「今からでも会場にお戻りください!!」
ピシャリと言ってのけるマーゴット。
段々とイライラしてきた私はスッとベッドから立ち上がり、マーゴットの前に立つ。女性にしては背の高い私から見下ろされる姿勢になったマーゴットは多少、うろたえた。
「頭が痛いから戻らないわ。湯を用意して。化粧を落としたいの」
まずはすっきりさせたい。身も心も。
「でも舞踏会が……」
「いいから早く!!」
なおも食い下がるマーゴットだったが、私だって負けていられない。やがてマーゴットは
「今回のことはフレイヤ様にご報告いたしますからね!!」
フレイヤとは義母のことだ。マーゴットは吐き捨てると荒々しく扉を開けて出て行った。
マーゴットがこんなにも強気なのは理由がある。彼女は義母が結婚する時に連れて来たお気に入りのメイドだ。私の行動を逐一両親に報告する監視役。三日前にロンバルド家に到着して以来、いちいち私の行動に目くじらを立てて、うるさかった。
重い衣装を脱ぎ捨て、マーゴットが渋々ながら準備した湯につかる。
「ああ、気持ちいい」
思わずつぶやいてしまう。
厚く塗りたくった化粧とゴテゴテに固めた髪を洗い流すと、心も体もさっぱりした。
いつもは入浴の補助に来るマーゴットも、よほど私に腹を立てたのか、今回は姿を現さなかった。でも体ぐらい、今の私は一人で洗えるわ。むしろ、人に見られながらの入浴なんて心が休まらない。
そして私は一人、充分に湯を
鏡に映るのは、つやつやの肌にぱっちりとした目。薄く赤い唇。
そこには先ほどまでとは全然別人のラリエットが映っている。
「こうやって改めて見ると、化粧を落としても充分かわいいわよね、私」
変にパウダー等を塗りたくらずとも、素顔のままで魅力がある。化粧後と化粧前では印象が違う。むしろ私は化粧前のほうが自然な感じですごく好き。
サラサラのストレートな髪も、わざわざ巻く必要などなく、このままでも素敵じゃない。化粧だってパウダーを少しはたくぐらいで充分よ。
厚化粧や派手なドレスは、ラリエットの武装ともいえた。
だけど私は自由に生きたい。
好きでもないゼロニスに言い寄り、断罪される。それだけはごめんだ。
それにゼロニスの運命の相手は、この婚約者候補の中にいる。
小説を読んでいた私から言わせると出来レースだ。私の出る幕じゃない。
だったら、周りが婚約者選定に夢中になっている中、私は今後の生活の基盤を築くことに目を向ければいいんじゃない?
「そうよ、それだわ……」
思いついた案に心が明るくなる。
ここロンバルドの屋敷から近くて、国内でも大きく栄えているロンバルド領内のトバル。小説を読むに、治安はとてもいい港町だった。そこに住めばいいんじゃない?
生粋のお嬢様育ちのラリエットには難しくとも、前世で何個もバイトを掛け持ちしていた私。この経験があれば、働くことだって苦じゃないわ。
目指すは自立よ、自立。まず、お金が必要だ。
ゼロニスの婚約者選定の期間は二か月。この期間にお金を
そうと決まれば、これから忙しくなるわ。
その晩、私は今後の身の振り方について深夜まで考えたのだった。
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