第1章 契約結婚のすすめ①

「私には、他に愛するひとがいます。ですので、この縁談はお断りさせていただきたい」

 ──と話すのは、聖竜騎士爵を叙爵されたばかりの若き当主ヴェリュアン・ヴィネハス。

 確かとしは私の四つ下で、十六歳だと聞いている。

 私は、彼の苦しげな声を聞きながら、頬に手を当てた。

「まあ。それはとても、素敵なことですね」

「…………ですから」

「ですが。ヴィネハスきよう。これは政略結婚です。私の一存では、この縁談を破棄することは出来ません。既に婚約はヴィネハス家に申し込まれているのです。取り下げるにも、それ相応の理由が必要になることは、ご理解いただけますね?」

 私──シドローネ・シャロンは、大人しい顔立ちに反し、案外ものを言う、とよく言われる。

 長い青空のような髪に、同色の瞳が他者に落ち着いた印象を与えるのだろう。

 だけど、シャロン公爵家の一人娘として育てられた私は、誰と話す時もものじというものをした覚えがない。

(……もっとも、十年前は違ったようだけど)

 覚えていない。なにせ私は、十年以上前の記憶が無いのだから。

 そんなことを考えながら顔を上げると、わざわざ私を夜会の会場からテラスまで連れ出した若き騎士は、歯がゆそうな顔をしていた。月明かりに照らされ、彼のいろの長髪はいつもより色濃く見える。

 同色の長いまつ毛を伏せて、彼がなおも言い募った。

「……私に、おもい人がいる。それは、婚約を破談にするに足る理由となりませんか」

「……不可能ではない、と思いますが、その場合、あなた──ヴィネハス卿に全責があるとみなされ、シャロン家に慰謝料を払わなければならないほか、縁談を承認した議会にも別途迷惑料を求められることとなるでしょう。また、この縁談を勧めた王からの覚えが悪くなることから、空軍からの部署異動、降格などが発生する可能性がありますね」

 思いついたままに、可能性を口にする。

 彼もそれは理解していたようで、思いのほか力強い瞳で私を見た。

「その上で、婚約破棄を申し出ています。元々私は、地位など求めていなかった。ただ、彼女──あるひとを捜すために必死になっていたら、いつの間にか爵位を得ていただけの話。慰謝料も迷惑料も、払いましょう。王の覚えも、私には関係がない」

「聖竜騎士を降ろされることも?」

「──」

 さすがの彼も、その質問には答えることが出来ないようだった。

 あからさまに言葉を詰まらせる。私はそれを見ながら、首を傾けた。

 私たちの間を、柔らかい風が吹き抜けた。

 聖竜騎士。

 それは、空を守る騎士に与えられた名。古代から飛び続ける竜に認められた、国内でもひと握りしかなれない存在だ。彼もまた、この国──ロザリアンで三人目に認められた当代の聖竜騎士だ。

 聖竜騎士を降りる──辞めるということは、自身の竜を手放すことを意味する。

 聖竜騎士にとって竜は、半身のような存在らしい。

 その竜をも捨てる、ということだろうか。

 私の質問に、彼は少しの間、言いよどんだものの──はっきりと答えた。

「それでも構いません」

「……そう」

 意外だった。

 聖竜騎士である彼が、自身の竜を手放してまで失いたくないひととは。ここまで、私は彼に一切興味がなかったがほんの少しだけ興味が湧いた。だから、考えたのだ。

「では、こうしたらいかがですか? 私はあなたの愛を求めません。あなたも、私を愛してくださらなくて結構です。……あなたは、この国で三人しかいない、聖竜騎士ですから、陛下もあなたを手放そうとはなさらないでしょう。この話を破談にしたところで、いずれまた次の縁談がもたらされることでしょう。国王直々のお話です。断れば、あなたの立場はますます悪くなる」

「結構です。私はあなたとは結婚しない。結婚するつもりは無い」

「そうして、あなたの愛する方、とやらと結婚できるとお思いですか? 失礼ですが、あなたの想い人、というのは結ばれるには難のある方なのでは? 下位貴族……いえ、貴族ですらない、豪商でもない、平民なのでは?」

「詮索するおつもりですか」

 若さゆえだろう。他者を排斥するような──とがったまなしを隠さずに、彼は私をにらみつけた。

 鮮やかな緋色の髪に反し、ぐんじようの瞳はまるで私をとがめているようだ。実際、彼は私を批難しているのだろうけど。私は、困ったように小首をすくめて見せた。

「そうではなくですね。ヴィネハス卿。あなたも、私を利用すればいいのでは? ──そう、話しているのですよ。私は」

 聞かん気な子どもに言い聞かせるように。まだ幼い少年を諭すように。

 私はゆっくりと話した。彼はいまだ、敵意を隠せない様子で私を見ていた。

「利用?」

 彼のいぶかしげな声に、私はうなずいてみせる。

「私も、もう二十。貴族令嬢としては、遅すぎるほどです。父は、いちばん利ある相手に私を嫁がせようと考えていたようでしたが──あなたの次の候補は、財政大臣である、ファオール伯爵なのです。ファオール伯爵の悪評はあなたもご存じですね? どこまで本当か分かりませんが、賄賂、人身売買、他にも、彼には人殺しのうわさまであります。真偽不明とはいえ、いずれ罰される可能性のある人間を夫にすれば、私にまで火の粉が飛ぶかもしれない。であれば、私もまた、無難にあなたと結婚し、身の安全を確保したいのです」

「だから、私と結婚したいと?」

「ええ。ご心配なく。私はあなたと、あなたの想い人を害するような真似まねはしません。……そうですね。建前上の、お飾りの妻としてでも扱っていただければ。公の場所では私を妻として遇していただく必要がありますが、家では不要です。愛する方と日々を暮らしていただいて構いません」

「愛のない結婚でも良いと?」

 再三確認する様子を見るに、彼は疑っているらしい。

 それもまあ、当然というものだろうか。

 愛するひとを傷つける可能性がほんのわずかにでもあれば、ひとは気にするものなのだろう。

 私には、愛するひと、というものがいないので分からないが。

「ええ。もともと、愛という感情は分かりませんので……。そうですね、私とあなたはビジネスパートナー、という位置付けをしていただけたら良いかと」

「ビジネスパートナー……」

 考え込むように、彼が言う。よいは、ここまでが限度だろう。

 あまり粘っても、良くないかもしれない。顔を上げると、ちょうど月が雲で隠れた。

 私は手にしていた扇をさっと広げて、彼に笑いかける。

「では、いろいお返事をいただけるのを楽しみにお待ちしておりますわ。……あなたと私の、良き未来を願って」

 まつ毛を伏せて、辞去することを伝える。

 そして私は、彼の顔を見ることなく──テラスを去った。

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