貞操観念逆転戦役と俺は呼ぶ

木乃末わみつ

女神の洗礼

1. 鐘の門

「目が覚めましたか、イクシオ様」


ぼんやりと暗い天井を見ていたらアムリの声が聞こえた。

そう、アムリだ。わたしの名を呼ぶアムリの声。記憶はしっかりしている。


「心配しました。倒れたことは覚えていますか?」


頭から砂場に突っ込んだのに、ずいぶんと優しい言い方をしてくれるじゃないか。

ブランケットを剥いで体を起こし、ベッドサイドに座ってアムリを見た。

気づかっている顔だが、もっと何か言いたげな表情をしている。


「思い出したくもないが覚えている。これからは慎重に動く。だからお説教は無しでたのむ」


そう言ってアムリを牽制しておく。実際、二度とやらないだろう、俺は。


「痛むようなところもありませんか?」


首や手を回して大丈夫だと答えておいた。

目に傷が入っていたらいやだなと、ぐりぐり目を回しながら改めて周りを見た。


「ここは待機所です。今は真夜中ぐらいです」

「出荷部屋か。のどが渇いたし空腹だ、何か持ち込まれているか?」

「待機所です。食堂に夕食があります。スープは冷めていますが。

わたしは先にいただきました」


部屋を出ると廊下ではなく、ゆとりのある空間があり、扉の開いた部屋が3部屋並んで見えた。こちら側も3部屋、両隣の扉も開いている。意味もなくちょっと覗いてみる。


「わたしたちだけです。食堂はあの扉です」

「刺激されて追加で出荷送りになったやつはいないのか?けっこう迫力はあっただろう」

「引きずられて、というのはただの噂話だそうですよ。それにもう誰も砂場を走るイクシオ様に注目していませんので、倒れたところを見たのはわたしと大人たちだけです」


食堂もかなり広い。カンテラ1つだとそれほど明るくはないが、ランプも窓もそのままでいいと伝え、テーブルの席に座った。


「食堂も広いし個室も多い。こう、親族などでは誘発されるとかあるんじゃないか?」

「側近や従者が多い場合に備えてのことではないでしょうか?」

「我々の地方にそんな大物はいないだろう」


ひとり食事を始めてから、アムリがおもむろに切り出した。


「みなさま難しい顔をしていましたよ。その、心の傷になっていないかと」


食べながら目で続きを促す。


「鐘に近すぎたので仕方ないのですが、あっという間に気を失ったのはかなり怖かったのだろうと。

過去に何人かいて、ゆっくりとしか歩けなくなると言っていました。

イクシオ様は大丈夫そうですね」


恐怖で気絶したわけじゃあない。前世の記憶を思い出したからだ。

知らない記憶が意味なく滲み噴き出してきた途端、記憶以外の脳が落ちていったような感覚だった。

たとえ僅かな間でも鐘の洗礼は恐怖そのものだったが、すぐに終わったからな。トラウマが生まれる隙もなかった。


この世界の男は10歳を過ぎたころから『鉄』に対して異常な拒否反応を起こす。これは女神の拒絶と呼ばれていて、その最初の拒絶は女神の洗礼と称される。

何かに捕らわれ捩じられかき回される。感覚が刻み込まれ解放を願うばかりの思考となる。

これ、どう考えても拒絶のネーミングはおかしいと思う。


俺の場合は拒絶と同時に解放されたが、次に情報の洪水という仕打ちを受けた。

おそらくだが...。


「今から鐘の門のところへ行ってくる。アムリは寝ておけ」

「イクシオ様がいつも通りで安心しました。行くのならお供しますが、門衛に叱られませんか?」

「夜中は門は閉まって門衛もいない。何度か抜け出したので知っている」


アムリの冷たい目に気づかぬふりをして立ち上がり、食堂から出た。


「あれだな?」

「はい、いつも広場から見えている奥の扉です」


扉の内鍵を外し、出て右手奥のトイレでついでに用を足し、戻って、広場の時間ではいつも開きっぱなしだった扉の鍵も外す。


「ランタンは灯を絞ってそこに置いてくれ」


扉を内に開いて踏み段を降りて広場へと出た。

月明かりの中、広場の真ん中を今日は歩いて行く。


「さすがにもう走らないのですね」


そうじゃない、前世の記憶を思い出し、落ち着いた男になったからだ。

広場を突っ切り、砂場をためらうことなく進み、鐘を見上げた。


鐘の門は宿舎にほど近い位置にある幅・高さとも1ハスタ(約3m)程度の通用門で、アーチ状の門上部にはその名の通り鐘が下げられている。そしてこの門を中心に城壁内外には広く砂場が造られていた。


男の子たちはこの門をびびりながら通る。常日頃から脅されているので、いつでも引けるようにゆっくりと砂場に入って行く。

俺は特に反発しているわけでもなくただ走り抜けていた。広場での遊びがつまらなすぎた故の解放感ではない。木球投げなんて毎日やって楽しいか? あぁこれもか...。


「こけて頭を打って気絶したのですか?」


アムリの低い声が聞こえた。夜中だから声を抑えているんだよな。こわっ。


「洗礼は受けた。詳しいことは明日話す」

「洗礼が取り消されるなんて聞いたことありません。ほんとうですか?」

「明日だ。とりあえず誰にも話さないように」

「上の方だけが知ってる話でしょうか?」

「さあな、それよりも従者たるアムリに命じる。今より女神の洗礼を受けよ」

「...受けよと言われましても。女神様をお呼びくださいますか?」

「そういえば会わなかったな。

アムリ、洗礼は門を出るときよりも入るときの方がはるかに多いことは聞いたな。どうしてだと思う」

「洗礼で気絶するとお会いできるいう話も聞いたことはありませんが。

球投げがきっかけでしょうか?わたしたちだけは球遊びでしたが」

「木球投げの可能性はある。ただここで大事なことは偏りがあるということだ。行動が洗礼を促す。それが大事。なので、砂場の端と門の間を洗礼を受けたいと祈りながら往復してくれ。びびらずに。アムリもいつ洗礼を受けてもおかしくはない。ならばあとひと押しのきっかけをだな」

「先に寝ておけと口にされていませんでしたか?」

「実は、アムリに合わせてわたしも苦しむ真似をしないとバレることにさっき気が付いた」

「なるほど。確かにそうですね。しかしそう思い通りにいくものでもないかと」

「そこはアムリの忠誠心が試されるところだ。期待している」


結局のところ、まったくの偶然かアムリの忠誠心故かわからないが8往復目にアムリは洗礼を受けた。すぐに引き返したため何か納得しながら割と平然としているアムリに、苦しんでいる様子を観察したいので近づいてくれと頼んだら叱られた。早く戻って寝てもらおう。


「そういえば、お里下りはいつになった?」

「領地赴任です。朝には分かると聞きました」

「私物もその時か。出荷部屋には無かったな」

「朝食の際にお持ちくださるそうです」

「片方が洗礼を受けると例外なく主従締め出しはなぜだと思う?」

「なぜでしょうね」

「出荷部屋に子供2人は不用心だと思わないか?」

「そうですね」


扉を開け中へ入る。

同期で先に出荷されたのは3名だ。元気でやっているだろうか?名前も覚えてないけど。みんな近隣の領地だよな?


「アムリは寝てくれ。わたしは食堂でだらだらして、眠くなったら寝る」

「わかりました。休ませていただきます。明日、必ずお話しください」


念押しされたな。まぁ言う他はないのだけど。

問題は領地後継者の資格を失うかもということだ。

わたしは真の後継者に付いていきますなんて言われちゃうかも。


この世界は魔法もポーションもダンジョンもない。ファンタジーなヒーラーや錬金術師もいない。ドラゴンやクラーケン、スライムは何それ状態だな。修学の範囲で知っている限りではあるけどまず間違いない。


ただし男にはひとつだけスキルがある。魔法のスキルじゃない。単なる槍投げのスキルだ。

飛距離と精度が半端ないらしい。見たことないけど。

そして俺は多分このスキルがない。

異端者扱いされることはないと思いたいけれど、不安になってきたな。

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