marionnette≠1995
@hamucasterrrr
第1話「1999」
「
赤髪の少女は、祈るように鎮座している。
「2000年の時を経て、神が降臨する前に」
緑色に染まった空には、不気味な月が地上を見下ろすように浮かんでいた。
「彼は扉を開けて、最後の戦いを繰り広げる」
少女の正面には、閉ざされた大扉が。
「私は誓います。全ての魂が、明日の光を浴びられるために」
少女の背後には、黒い刀を持った処刑人が。
「この身を以て、不確実な未来を築くことを」
世界の中心に聳える塔の、最も高い場所。
月のすぐ下で、彼女は静かに呟いた。
「幸運を。死にゆく者より、敬礼を」
—marionette≠1995—
序章 あらぬ噂
「疲れた顔をしていますね」
優しく微笑みかける女性。
何よりも美しく、眩く映った。
「紅茶を入れましょうか?」
「いらない。お前の紅茶、いつも甘すぎるんだよ」
彼女は紅茶を入れる時、決まって隠し味に蜂蜜を入れていた。
入れ過ぎて、全然隠れていないけれど。
「ふふ、それは申し訳ないことをしましたね」
彼女はそう言いながら、やはり紅茶にスプーン一杯の蜂蜜を入れてかき混ぜる。
こうして出来上がった一杯を、彼女は俺に差し出した。
「きっと、今度はお気に召します」
差し出された紅茶を受け取り、口をつける。
茶葉の香りの奥には、誘惑的な甘さがある。
この甘さに身を委ねられたら、どれほど楽だったのだろう。
——しかし、俺の体はそれを反射的に拒否していた。
まるで、甘さこそが破滅の入り口であると言わんばかりに。
「やっぱり、まだ甘すぎるな」
「そうですか......残念です」
「別に、俺の分は蜂蜜を抜いてくれれば——」
「それはあり得ません」
俺の言葉を遮るほどの勢い。
彼女にしては珍しく食い気味な返答であった。
「......こほん、話が脱線してしまいましたね」
紅茶の香りが部屋に満ちている。
机の上には二つのティーカップが置かれていた。
「そろそろ、本題に入りましょうか」
彼女は俺に一枚の写真を手渡す。
それを受け取り、俺はこの写真に目を通した。
「これは......」
——死体だ。
それも胸を抉られたような傷痕の。
どれほど酷い殺され方をすれば、こうなるのか。
「被害者は十代後半の女性、三日前から行方不明になった後、無惨な姿で発見されたそうです」
「可哀想に。だが、俺に何の関係が?」
「察しの悪いあなたじゃないでしょうに、簡単な話です」
この時から、何だか嫌な予感はしていたんだ。
大きな流れに、巻き込まれるような——
「——あなたには、この犯人を捕まえて欲しいのです」
いつもそうだ。
この女は、唐突に俺を事件へ巻き込む。
「捕まえるって言っても、これ一枚で?」
手掛かりにしては不親切すぎる。
「いえ、探す必要はありませんよ。敵はずっと、
「......は?」
俺はこの女が何を言っているのか、分からなかった。
分かりたくなかった。
恐ろしい何かが、言語化できない恐怖が。
滲み出るのを理解していたから。
「よく見てください、じっくりと」
「——この写真に、何か違和感を感じませんか?」
見返したところで、写真に変化が起こるわけがない。
起こるはずが......ないのに。
「なんだよ、これ」
見覚えのない文字が。
写真の中心に、見覚えのない数字が浮かんでいる。
最初は薄かったのが、段々と濃くなっていく。
血のように赤いインクで刻まれたソレは、"1999"と書かれていた。
まるで初めからいたかのように、堂々とソレは記されていた。
「お前、この写真に小細工でも仕掛けたか?」
「いいえ、何も手を加えていませんよ」
「なら、俺がおかしくなったとでも?」
「はい、そうです」
「そうか......何だと?」
これも何かのイタズラであって欲しかった、という俺の願いはいとも簡単に打ち砕かれた。
「やはり
ドクン、と心臓が強く鼓動する。
筋肉は硬直し、カップを握る手に力が入った。
「ふふ、怖がる必要はありません。"幽霊"、とは違いますから」
「じゃあコレは一体、何なんだよ!?」
嫌な汗が背筋を流れる。
この現象の正体が何だろうと、明らかにロクなもんじゃない。
「いずれ分かります。貴方が対峙する時に、ね」
ソレは目を閉じても、くっきりと浮かび上がる。
ソレは考えないようにすればするほど強く残る。
ソレはやがて思考すらも汚染していく。
「大丈夫ですか?」
「......本当に心配してるんだったら、早くこの幻覚を解いてくれ」
「それはできません。あなたはもう、次の
全て理解しているかのような口ぶり。
コイツ、俺がこうなることを最初から知っていたな。
「ですが恐れないでください。あなたの"特別な素質"を信じて」
自分の呼吸が乱れ始める。
脈の流れも早い。
段々と彼女の声も遠くなっていく。
「一つ、聞いてもいいか」
朦朧とする意識の中で、彼女に尋ねる。
「どうして俺を嵌めるような真似を......?」
一瞬、彼女は考え込むように俯いた。
だがすぐに掴みどころのない、穏やかな表情へ戻る。
「貴方のため、と言えば信じてくれますか?」
「無理だろ」
即答だった。
こんな災いをかけてまで、何が俺のためだというのか。
「キッパリとそう言われるのは、少しだけ傷つきますね」
「思ってもねえこと言うんじゃねえ」
「本心ですよ?」
相変わらず、掴みどころのない女だ。
初めて出会った時からずっと。
「っ......」
体の力が抜ける。
倒れ込むように椅子から転げ落ちた。
立ち上がろうとして机の脚を掴むが、握る力が強すぎて折ってしまう。
俺の"呪い"も、いつもより酷くなっていた。
「もう、時間みたいですね」
「なんだよ、時間って!」
俺の問いには答えない。
彼女は小さい声で、呟くだけ。
「少し寂しいですが、お別れの時です」
視界は円環状に歪み始める。
耳鳴りが一度、遠くで鳴ったように感じて――気づけば世界は赤へと染まり、“1999”が視界を支配していた。
視界の中心に映る大きな数字。
俺は意を決してソレに指先で触れた。
「貴方の幸運を祈っていますよ、"アレン"」
その言葉を最後に、俺の視界から彼女は消えた。
——彼女だけじゃない、あらゆるものが一瞬にして遮断された。
空気の微かな音、紅茶の匂い、アンティークな部屋の景色。
それらは全て、暗闇に包まれていく。
ほんの数秒、目を瞑ったような感覚。
けれど肌で異変を感じ取った。
冷たい風が吹いている。
目を開くとそこはどこかの屋上で、緑色に染まった空が広がっている。
ずっしりと浮かび上がる大きな月。
それが照らす場所に俺は立っている。
たった一人、世界に取り残されたように。
——血の匂いだ。
鼻を突き刺すような悪臭が漂っている。
「お前か?俺を呼んだのは」
中央に鎮座する石像に言い放つ。
赤く血濡れた石像に。
「.......」
返答は無い。
動きもしない。
聞こえてくるのは風の音だけ。
だが中心から漏れ出ている赤い光から、明確な殺意を感じる。
応酬はそれだけで充分だ。
「まあ何だっていい......さっさと始めようか」
「——俺の、仕事を」
ユグドラシル暦1995年、4月14日。
一人の青年が、闇の中へと消えていく。
この時、世界の運命は静かに廻り始めたのだ。
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