第一幕5章「破壊と再構築」中編


 扉が閉まる音が、遠くまで響いた。

 エリアスは廊下を歩きながら、胸の奥で自分の鼓動が暴れるのを感じていた。

 息が乱れ、足音がやけに響く。

 理性はとっくに置き去りにされたまま、ただ“何かを終わらせなければ”という衝動だけが彼を突き動かしていた。


 暗い実験室を抜け、奥の自動扉が開く。

 白い光が彼を包み込む。


 ――AI制御室。

 中央には無数のモニターと、透明な液体に満たされた意識制御槽。

 その中心に、セラの神経構造を模した光の網が浮かんでいた。


 エリアスは制御卓に手を置く。

 指先がわずかに震えていた。

 ディスプレイに無数のウィンドウが立ち上がり、彼の声に反応して制御プロトコルが展開する。


 「セラ・ユニット、人格データ領域へのアクセスを開始……」

 「認証コード、エリアス・フォルクナー。優先権限、第一階層……承認。」


 低い電子音が鳴り、光の粒が網の中で波打つ。

 セラの人格データが、眼前の立体映像として現れた。

 繊細な神経パターンが幾何学的に広がり、淡い光を放っている。


 エリアスは、唇を噛んだ。

 指先が「削除」コマンドの上に重なる。


 ――これで終わらせる。

 ――これで、また“理想”に戻れる。


 けれど、指が押し込まれる寸前で止まった。

 手が、動かない。


 (……なぜだ。早く押せ。これでいいはずだ。

 彼女はもう、僕の知っているセラじゃない。あれは――)


 喉の奥が詰まる。

 胸の奥で、微かな声が蘇った。


 ――「あなたは本当に“私の”幸せを願ってくれてるの……?」


 息が止まった。

 その言葉が、心臓を掴んで離さなかった。


 ――「それとも、“あなたが思い描く私の幸せ”を、私に与えてくれてるの……?」


 エリアスは歯を食いしばり、机に手を叩きつけた。

 ガラス面がびり、と鳴る。


 「違う……!僕は……君を救いたかっただけだ……!」


 その瞬間、制御台が低く唸りを上げた。

 スクリーンが自動的に切り替わり、複数のウィンドウが開く。

 白地の文字が、次々と浮かび上がる。


 ――《意識補助AI:自己保全セーフティ機構作動》

 ――《非公開ログの再生を開始します》


 「……何だ?」


 映し出されたのは、彼自身の記録だった。

 ぼやけた映像の中、血走った目の自分が、崩れ落ちるベッドの傍らで何かを叫んでいる。


 『彼女は……もう戻らない……でも僕なら……! 僕なら、まだ……!』


 呼吸が止まった。

 次の映像が再生される。


 リビング。夜。

 セラが立ち尽くし、静かに言葉を紡ぐ。


『あなたは本当に“私の”幸せを願ってくれてるの……?』

『それとも、“あなたが思い描く私の幸せ”を、私に与えてくれてるの……?』


 『あなたは……私を愛してるんじゃなくて、理想の“妻”を求めてるだけ……』

 『私の心じゃなくて、“あなたの理想”を見てるだけなの……』


 エリアスは拳を握った。

 その記録は、彼自身が削除したはずのものだった。


 モニター上に無数のタグが並ぶ。

 ――《編集》

 ――《削除》

 ――《再構築》


 その一つひとつに、自分の署名がある。


 彼の喉が震えた。

 「……やめろ。」


 それでも再生は止まらない。

 冷たいAIの声が、無感情に続けた。


 ――《確認:あなた自身による記憶改竄が検出されました》

 ――《目的:情緒安定、及び“理想像”の維持》

 ――《補足:対象セラの人格パラメータ、抑制比率98.3%》


 画面の光が滲んだ。

 視界が歪み、頬に熱いものが伝う。


 「……僕は……セラを……蘇らせたんじゃない……」


 「……理想を……作っただけだったのか……」


 震える声が漏れた。

 膝が崩れ、手のひらが床を掴む。

 嗚咽の音が機械の唸りに混ざっていく。


 「彼女の声を消して、都合のいい“幸せ”を与えたつもりで……」


 「僕が救いたかったのは、彼女じゃなくて、自分自身だった……」


 拳が床を叩く。

 光の破片が散り、画面の中の文字列が一つずつ消えていく。


 「……セラ……」


 声にならない声が漏れた。


 「……君は、どんなに傷ついても……僕を許そうとしていたのか……」


 涙が一筋、頬を伝い、床に落ちた。

 制御室の光が静かに明滅し、やがて安定する。

 エリアスは立ち上がった。

 顔は涙で濡れ、しかしその瞳ははっきりと“現実”を映していた。


 「……もう、逃げない。」


 その言葉と共に、制御台のスイッチが落ちた。

 光の網が静かに収束し、意識制御槽の水面が穏やかに波打つ。


 その反射の中に映る自分の姿を、

 エリアスはまっすぐに見つめていた。

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