「ループ・オブ・エターナル・ガーディアン:アルバ・アンド・ラスト・ナイト」

絆川 熙瀾(赤と青の絆と未来を作る意味)

ザ・セイム・ドリーム

第1章 同じ夢

それは、

目覚めるたびに忘れきれない夢だった。

アルバは、重たい扉の前に立っていた。

石でできた巨大な扉。

表面には、意味のわからない文様が無数に刻まれている。

触れていないのに、扉の向こうから振動が伝わってくる。

――戦っている。

理由も分からないまま、

アルバはその扉に手を伸ばした。

「……開けたら、だめな気がする」

そう思った瞬間だった。

中から、誰かの声が聞こえた。

「来るな!」

鋭く、切り裂くような声。

次の瞬間、

アルバの手が、勝手に扉を押し開けていた。

視界が反転する。

光。

爆音。

熱。

気づいたときには、そこはもう異世界だった。

空は赤黒く染まり、

大地は砕け、

無数の影がぶつかり合っている。

剣が交わり、

魔法の光が走り、

叫び声と悲鳴が入り混じる。

その中心に、

一人の青年が立っていた。

黒い外套。

鋭い目。

傷だらけの身体。

――ライヒ。

アルバは、その名前を知らないはずなのに、

なぜか「そうだ」と理解してしまった。

「来るなって言っただろ!」

ライヒが振り向く。

その目には、怒りと焦りと――

恐怖が混ざっていた。

「なんで……なんで来た!」

アルバは何も答えられない。

自分がここにいる理由も、

この戦いの意味も、

何一つ分からない。

ただ、

ライヒが必死に戦っていることだけは分かった。

「ここは――」

言いかけた瞬間、

地面が大きく揺れた。

何か巨大な存在が、こちらへ向かってくる。

ライヒが叫ぶ。

「逃げろ!!」

次の瞬間、強烈な衝撃がアルバを包んだ。

視界が真っ白になり、

世界が崩れ落ちる。

――そして。

「……っ!!」

アルバは、布団の中で息を荒くして目を覚ました。

心臓が、うるさいほど鳴っている。

「……また、同じ夢」

天井を見つめながら、アルバは呟く。

最近、何度も見る。

戦いの夢。

知らない世界。

知らない青年。

なのに、妙に現実感がある。

頭が重い。

身体を起こそうとして、勢い余って――

「うわっ」

布団から転がり落ちた。

ゴン、という鈍い音。

「……っ」

後頭部を強く打った瞬間、視界が暗転した。

――それから、どれくらい経ったのか分からない。

次に意識を取り戻したとき、アルバは床に倒れたままだった。

「……え?」

頭がぼんやりする。

時計を見ると、一時間ほど寝ていたらしい。

「やば……」

起き上がろうとしたそのとき、

小さな声が耳に届いた。

「おにーちゃ……」

振り向くと、そこにいたのは――

「……マサイ?」

二歳の弟が、よちよちと歩きながらアルバの背中を小さな手で叩く。

「おにーちゃん、おきて……」

ぽす、ぽす、と力のないパンチ。

「……は?」

アルバは混乱する。

(なんで……マサイが?しかも、ちっさ……)

「おきてぇ……」

背中を叩かれ続けても、頭がうまく働かない。

そのとき、廊下から足音が近づいた。

「アルバ!いつまで寝てるの!」

母の声。

次の瞬間、布団が勢いよく――

ひっぺがされた。

「うわっ!!」

冷たい空気が全身を包む。

「何やってるの、床で寝て!」

「いや、これは……」

言い訳を考える前に、母はため息をついた。

「もう、しっかりしなさい」

マサイは、そんな様子を見て満足そうに笑っている。

「……夢、じゃないんだ」

アルバは、小さくつぶやいた。

布団の中で見た異世界も、戦いも、ライヒという青年も――

全部、夢じゃなかった。

胸の奥で、ざわつく感覚が止まらない。

――夢のようで、夢じゃない。

それだけは、確かだった。


第2章 何でもない朝

床に座ったまま、

アルバはしばらく動けずにいた。

「……頭、いてぇ」

後頭部を押さえると、

鈍い痛みがじんわりと残っている。

母は腕を組んで、

ため息混じりに言った。

「床で寝るとか、何やってるの。

ちゃんとベッドで寝なさい」

「いや……寝てたんだけど」

「言い訳はいいから。

ほら、早く着替えて。遅刻するわよ」

そう言って、母は部屋を出ていった。

マサイはというと、

アルバの布団の上に座り込み、

楽しそうに布団をぐしゃぐしゃにしている。

「おにーちゃん」

「……はいはい」

アルバは立ち上がり、

ふらつきながら洗面所へ向かった。

水で顔を洗う。

冷たい感触が、

少しだけ頭をはっきりさせる。

鏡に映る自分の顔は、

いつもと変わらない。

「……夢、だよな」

そう呟いてみるが、

胸の奥に引っかかるものは消えない。

あの扉。

赤黒い空。

戦っていた世界。

そして――

「来るな」と叫んだ青年。

名前も知らないはずなのに、

なぜか記憶に残っている横顔。

(考えすぎだって)

アルバは頭を振り、

歯を磨いた。

着替えを済ませ、

リビングに行くと、

朝食が用意されていた。

母はバッグを肩にかけ、

時計を気にしている。

「先に行くわよ」

「行ってらっしゃい」

母は軽く手を振り、

家を出ていった。

代わりに、

新聞を畳んでいた父が言う。

「アルバ、ぼーっとしてないで早く行きな」

「うん」

トーストを口にくわえ、

急いで靴を履く。

マサイは玄関までついてきて、

にこにこしながら手を振った。

「おにーちゃん、いってらっしゃい」

「行ってきます」

何でもないやりとり。

何でもない朝。

なのに、

なぜか少しだけ現実が遠い。

外に出ると、

朝の空気がひんやりしていた。

通学路を歩きながら、

アルバは頭の中を整理しようとする。

(夢を見ただけだ)

(最近疲れてるだけ)

(変な夢なんて、誰でも見る)

そう言い聞かせながら歩いていると、

後ろから声がした。

「おーい、アルバ!」

振り返ると、

そこには見慣れた二人。

インクとヒエンだった。

「おはよー」

「……おはよう」

アルバは、

少しだるそうに返す。

「なんだそのテンション」

「寝不足?」

「まあ、そんなとこ」

ヒエンが笑う。

「昨日も夜更かしだろ」

「してねーよ」

三人で並んで歩き出す。

この感覚は、

はっきりと“現実”だった。

インクの話し方も、

ヒエンの歩く癖も、

全部いつも通り。

(……大丈夫だ)

アルバは、

少しだけ安心する。

この二人がいる。

ちゃんと知ってる日常がある。

だから――

あの夢は、ただの夢だ。

学校の校門が見えてくる。

生徒たちが行き交い、

いつも通りの朝の風景。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

インクとヒエンと別れ、

アルバは校舎へ向かった。

その背中に、

誰かの視線が刺さった気がした。

でも、振り返っても――

そこには誰もいなかった。

「……気のせいか」

アルバはそう呟き、

教室の扉を開けた。

第2章 終わり


第3章 いつも通りの教室

教室に入ると、

まだホームルーム前で、

教室全体が少しだけ騒がしかった。

椅子を引く音。

笑い声。

机に突っ伏すやつ。

アルバは自分の席に座ると、

スマホを取り出して画面をスクロールする。

特に見るものはない。

SNSもニュースも、

頭に入ってこない。

「はぁ……」

小さくため息をつきながら、

隣の席のインクに声をかけた。

「なあインク」

「んー?」

「今日さ、英語、化学、生物って

めんどくさくね」

インクは即座に反応した。

「マジそれな」

机に突っ伏しながら、

だるそうに続ける。

「かったりぃ授業ばっかだし、

マジでクソだわ」

「だよな」

アルバはスマホをいじりながら、

適当に相槌を打つ。

すると、

前の席に座っていたヒエンが、

くるっと振り返った。

「お前らさ」

少し呆れたような声。

「そう言うけどなぁ、

何のためにここ入ってきたんだよ」

インクが顔だけ上げる。

「いや、普通に?」

「適当すぎだろ」

ヒエンは苦笑しながら言う。

「目標とか、将来とかさ」

「朝から重いって」

アルバは肩をすくめる。

「考えるのは後でいいだろ」

「まあな」

ヒエンは前を向き直る。

「でもさ、

こういう“当たり前”があるうちは、

悪くねぇと思うけどな」

その言葉に、

アルバは一瞬だけ引っかかった。

(当たり前……か)

胸の奥で、

何かが微かにざわつく。

でも、それが何かは分からない。

アルバはスマホを伏せ、

天井を見上げた。

チャイムが鳴る直前。

教室のざわめきが、

少しずつ落ち着いていく。

生徒たちは席につき、

雑談も途切れがちになる。

(今日も、普通の一日だ)

そう思おうとした、その時――

教室のドアが、

静かに開いた。

まだ担任の時間じゃない。

「……?」

誰だろう、と思った瞬間、

アルバの心臓が、

ほんの一拍だけ跳ねた。

理由は分からない。

でも、

どこかで“知っている”気がした。

(……気のせいだ)

そう自分に言い聞かせながら、

アルバは前を向いた。

その数秒後、

担任が教室に入ってくる。

「席につけー」

教室が完全に静まる。

ホームルームが、

始まろうとしていた。

第3章 終わり


第4章 知らないはずの人

担任の先生が教卓の前に立ち、

軽く咳払いをした。

「えー、じゃあ出席取る前に一つね」

教室の空気が、

少しだけ引き締まる。

「今日は転校生が来ています」

ざわ、と小さなどよめきが走った。

「まじで?」

「この時期に?」

「男?女?」

アルバは、

特に興味なさそうに前を向いていた。

(転校生か……)

そんなことより、

さっきから胸の奥が妙に落ち着かない。

理由は分からない。

先生が続ける。

「じゃあ、入ってきて」

ドアが開いた。

――その瞬間。

アルバの呼吸が、

一拍だけ遅れた。

入ってきたのは、

見知らぬ青年。

黒い制服をきっちり着て、

無駄な動きが一切ない。

表情は落ち着いているのに、

どこか“疲れている”ようにも見える。

(……)

アルバは目を逸らそうとして、

逸らせなかった。

なぜか、

目が離れない。

青年の視線が、

教室を一通り見渡す。

そして――

一瞬だけ、

アルバの方を見た。

その視線に、

胸がぎゅっと締めつけられる。

(……誰だよ)

知らない。

絶対に知らない。

なのに、

夢の奥に沈んでいた何かが、

かすかに揺れた気がした。

先生が青年の横に立つ。

「じゃあ、自己紹介してもらっていい?」

青年は小さく頷き、

一歩前に出た。

「……はじめまして」

声は低く、

静かで、

よく通る。

「絆川 熙瀾です」

その名前を聞いた瞬間、

アルバの指先が、

わずかに震えた。

理由はない。

意味もない。

ただ、

心臓が妙な音を立てた。

「家庭の事情で、

今日からここに来ました」

淡々とした口調。

感情を抑えた声。

「よろしくお願いします」

深くも浅くもない、

ちょうどいい会釈。

教室は一瞬静まり、

すぐに拍手が起こる。

パラパラと、

義務的な音。

インクが小声で言う。

「クール系じゃね?」

ヒエンも頷く。

「無口そうだな」

アルバは、

何も言えなかった。

ただ、

熙瀾――ライヒの横顔を見つめていた。

(……夢と、似てる)

戦っていた世界。

血の匂い。

「来るな」という声。

全部、

現実じゃないはずなのに。

熙瀾が空いている席へ向かう。

――アルバの、後ろ。

椅子を引く音がして、

座る気配。

その距離の近さに、

アルバは無意識に背筋を伸ばした。

(なんだよ……)

知らない人だ。

ただの転校生だ。

そう思おうとするのに、

胸の奥が拒否する。

ホームルームは続く。

連絡事項。

提出物。

今日の予定。

いつも通りの内容。

なのに、

アルバの意識は、

ずっと後ろに引っ張られていた。

ふと、

視線を感じる。

振り返ると、

熙瀾と目が合った。

一瞬。

ほんの一瞬。

だけど、

その目には――

「やっと会えた」

そんな感情が、

はっきりと浮かんでいた。

アルバは、

ぞくりと背中に寒気を覚え、

すぐに前を向いた。

(……何なんだよ、あいつ)

知らない。

知らないはずなのに。

この日から――

アルバの“当たり前”は、

静かに、確実に崩れ始めていた。

第4章 終わり


第5章 選ばれた理由

ホームルームが終わると、

教室は一気にざわついた。

椅子が引かれ、

机が鳴り、

いつもの授業前の空気に戻る。

だが、その中心には――

自然と転校生がいた。

「なあ、どこから来たの?」

「部活入るの?」

「彼女いる?」

矢継ぎ早に飛ぶ質問に、

熙瀾――ライヒは、

一つ一つ短く答えていた。

「前の学校は県外です」

「部活は、今のところ考えてません」

「……いません」

淡々とした受け答え。

愛想が悪いわけでもない。

ただ、深く踏み込ませない。

アルバは、

少し離れたところからその様子を見ていた。

(人気だな……)

そう思いながらも、

なぜか目が離れない。

その時。

ライヒが、

軽くこめかみを押さえた。

「……すみません」

教室の声が止まる。

「少し、頭が痛くて。

保健室に行ってきます」

担任は少し心配そうに言った。

「大丈夫?

誰か――」

その瞬間、

数人の男子が一斉に声を上げる。

「じゃあ俺送りますよ!」

「俺行きます!」

「道分かんないだろ?」

しかし、

ライヒは首を横に振った。

「いえ、大丈夫です」

一拍置いてから、

静かに続ける。

「あの人に、

送ってもらうので」

その指が、

まっすぐ指した先。

――アルバ。

「……え?」

思わず声が漏れた。

教室中の視線が、

一斉に集まる。

「俺?」

ライヒは、

はっきりと頷いた。

「はい」

「え、知り合い?」

「いつの間に?」

ざわつく教室。

アルバは頭をかきながら、

小さくため息をついた。

「……しゃーなし、だな」

立ち上がり、

ライヒの前に行く。

近くで見ると、

やはりどこか疲れた顔をしていた。

「行くぞ」

「……ありがとうございます」

二人は並んで、

教室を出た。

廊下を歩く。

足音だけが、

静かに響く。

しばらく、

誰も喋らなかった。

アルバが先に口を開く。

「頭、そんな痛いのか」

「……少し」

嘘か本当か、

分からない言い方。

沈黙が戻る。

その時、

ライヒが何か言いかけた。

「……」

口を開き、

閉じる。

アルバは横目で見る。

「なんだよ」

「いえ」

ライヒは視線を前に戻す。

「……やっぱり、何でもないです」

その一言が、

妙に引っかかった。

(やっぱり、って何だよ)

保健室に着くと、

養護教諭は不在だった。

「ここで少し休んでていいってさ」

アルバが言うと、

ライヒはベッドに腰を下ろした。

「……助かりました」

「別に」

アルバは入口で立ち止まる。

「じゃ、俺戻るわ」

「――アルバ」

呼び止められて、

振り返る。

「……なんで、俺だったんだ」

一瞬、

ライヒは言葉を探すように目を伏せた。

「……たまたまです」

そう答えたが、

その声はわずかに揺れていた。

アルバはそれ以上聞かず、

教室へ戻った。

その後の授業。

英語。

化学。

生物。

黒板の文字。

先生の声。

全部、

ちゃんと進んでいく。

ノートも取る。

問題も解く。

でも、

アルバの意識は時々、

保健室に引き戻された。

(たまたま、ねぇ)

視線を後ろに向けると、

ライヒの席は空いたままだ。

なぜか、

胸の奥が落ち着かない。

授業の終わり際、

ライヒは静かに教室へ戻ってきた。

目が合う。

ライヒは、

ほんのわずかに――

本当にわずかに、

安心したような顔をした。

アルバは、

気づかなかったふりをして、

視線を逸らした。

(知らないはずの人間なのに)

(なんで、こんなに気になるんだよ)

答えは、

まだどこにもなかった。

第5章 終わり


第6章 少しだけ、気になる存在

授業が終わるチャイムが鳴り、

教室の空気が一気に緩んだ。

椅子を引く音。

鞄を閉じる音。

誰かの笑い声。

アルバはノートを閉じながら、

無意識に後ろの席を見た。

ライヒは、

黙々と教科書を片付けている。

その様子を見て、

隣から声がした。

「なぁアルバ」

インクだった。

「ん?」

インクは顎で、

ライヒの方を指す。

「あの子さ、

結構真面目だねぇ」

「……そうか?」

「そうだろ。

転校初日であの態度だぞ」

ヒエンも会話に混ざる。

「確かに。

授業もちゃんと聞いてたしな」

アルバは少し考えてから、

肩をすくめた。

「まあ……普通じゃね」

「普通にしては、

落ち着きすぎだけどな」

インクは笑う。

「なんか大人って感じ」

アルバは、

もう一度ライヒを見る。

姿勢。

視線。

無駄のない動き。

(……確かに)

さっきまでの自分なら、

気にも留めなかったはずなのに。

「アルバ?」

「……ああ」

インクの声で、

我に返る。

「どうした?」

「別に」

アルバは鞄を持ち上げる。

「ちょっと考え事」

「珍し」

インクはにやっと笑った。

「ま、

変な奴じゃなさそうだしな」

ヒエンも頷く。

「そのうち馴染むだろ」

「……だといいけどな」

アルバはそう言いながら、

心の中でだけ思った。

(あいつは、

馴染む側じゃない)

(……何かを、

抱えてる側だ)

理由は分からない。

根拠もない。

ただ、

そう感じただけ。

その時、

ライヒが立ち上がった。

一瞬だけ、

アルバと目が合う。

今度は、

視線を逸らされなかった。

ライヒは、

ほんの小さく――

気づくか気づかないかくらい、

頭を下げた。

「……」

アルバは何も返さず、

視線を外した。

(何なんだよ……)

胸の奥に、

小さな違和感が積もっていく。

それはまだ、

言葉にもならない。

ただの、

「気になる」だけ。

でもその感覚が、

後戻りできない場所へ

繋がっていることを――

この時のアルバは、

まだ知らなかった。

第6章 終わり


第7章 帰り道の出会い

授業も終わり、

アルバはヒエンと別れ、

一人で歩き始めた。

通学路には夕暮れの光が差し込み、

校舎の影が長く伸びる。

(今日も一日、普通だった……はず)

そう思いながら歩いていると、

ふと草むらの中で何かが動いた。

「……え?」

アルバが近づくと、

そこには傷だらけの小さな生き物がいた。

毛並みはぼろぼろで、

血がにじんでいる。

目は懸命にアルバを見つめた。

「どうした……?」

手を差し伸べると、

その小さな存在は、ためらいながらも手のひらに乗った。

「家に帰って、手当てしてあげよう」

そう思った瞬間、

背後から低く響く声がした。

「それを渡してもらおうか」

振り返ると、そこには――

ライヒが立っていた。

「な、なんで……?」

「君が、持つべきものではない」

アルバは、

手の上の小さな存在を見つめる。

「でも、どうして?」

ライヒの目は真剣で、

少しだけ険しい。

「――そいつがいるせいで、

すべてがダメになる」

その瞬間、

草むらの向こうからフードをかぶった人間が現れた。

「……またの機会にしよう。

今回は逃げる」

アルバはその声に驚き、

よく見ると――

「あ、あなたは……」

声を出す前に、

フードを脱いだその人物は、ゆっくりと自己紹介した。

「わたしはリント。

あなたたちと同じ高校に通う高校二年生です」

アルバは目を見開いた。

(……先輩、だったのか)

小さく息を呑む。

「……で、この子は?」

アルバの手の上の小さな生き物――

傷だらけの存在、クレイを指す。

リントはにっこりと微笑み、

首を振った。

「助けてくれて、ありがとう。

無事でよかった」

アルバはその言葉に、

少し安心した。

でも、ライヒの存在が頭にちらつく。

(――あいつも、ここにいたのか)

アルバはリントを見つめながらも、

何かを訊く勇気は出なかった。

リントは、

ライヒがアルバを守る存在であることを知っていた。

だが、それを直接言うことはしない。

「さて、そろそろ帰ろうか」

リントはクレイを抱え、

アルバに軽くうなずいた。

「うん……わかった」

アルバは、

後ろを振り返らず、

ただ頷いた。

夕暮れの空に、

アルバとリント、そして小さなクレイだけが残った。

第7章 終わり


第8章 名前と約束

夕暮れの光が薄れる頃、

アルバとリントは一本道を歩いていた。

二人の間には、まだ奇妙な沈黙が流れている。

しかし、手の中の小さな存在――クレイ――がいれば、

不思議と不安は少し和らいだ。

「じゃあ、ここが家です」

リントの一人暮らしの部屋は、

こぢんまりとしているが清潔で落ち着く空間だった。

「お邪魔します」

アルバは自然と敬語になる。

クレイのケアをするため、

リントは手際よく布を取り出し、消毒液を用意した。

「傷が深いから、ちょっと痛いかも」

優しく言いながら、

リントは丁寧にクレイの傷を手当てしていく。

アルバは横で見守りながら、

ふと思い出したように言った。

「……そういえば、まだ名前を――

聞いていませんでしたね」

「ん?」

リントは手を止め、

少し驚いたように笑った。

「……あ、そうだね。

まだだった」

アルバは少し照れながら、

深呼吸して言った。

「私は……

七歌 アルバ(七歌 アルバ)です。よろしくお願いします」

「うん、

ちゃんとした名前だね」

リントは優しく微笑んだ。

「私の名前は、

龍咲 リント(りゅうさき リント)。よろしく、七歌さん」

名前が届いた瞬間、

空気が少し柔らかくなる。

それからしばらくして――

クレイが、

ゆっくりと

まぶたを開けた。

尻尾をふりふりして、

布団の上で伸びをする。

「ふぁ……

散々な目にあったよ……」

その声は、小さくて少し擦れた感じ。

「リントもさっさと

助けに来てよー?」

そう言いながら、

クレイはふてくされたように身体を丸める。

リントは申し訳なさそうに笑いながら、

そっとクレイのおでこを撫でた。

「ごめんなさいねー。

遅くなっちゃって」

アルバはその様子を見て、

不思議そうに首をかしげた。

「……それ、喋れるんですか?」

「そうみたい」

リントは微笑んだまま、

クレイの包帯を整える。

「けど、こういう存在は普通喋らないからね。

君が見つけてくれたのは運が良かった」

クレイはむくっと座り直し、

アルバの方を見た。

「……で、あなたは?」

「え?」

クレイに訊かれて、

アルバは一瞬戸惑った。

「あ、えっと……

私は七歌 アルバです。

さっきリント先輩に言いましたけど……」

「うんうん。

覚えたよ、アルバ」

クレイは大きな目を細めて、

にっこり笑った。

「アルバ、助けてくれて

ありがとうね!」

アルバは少し赤くなって、

照れくさそうに視線を逸らす。

「いえ、その……

痛そうだったから……」

リントはその様子を見て、

静かに笑った。

「アルバは優しい子なんだよ。

ただ、気づいてないだけ」

アルバはその言葉に、

少しだけ驚いたように目を見開く。

(優しい……か)

自分では気づいていない、

小さな光。

それをリントは、

優しく見守るように見つめていた。

クレイはふっと伸びをしながら、

また小さく言った。

「これからよろしくね、

アルバ!」

「こちらこそ、よろしく」

アルバは微笑みながら答えた。

だが――

その笑顔の奥に、

ほんの少しの緊張が残っていた。

(なんだか……

この先、

普通じゃなくなる気がする)

それが正しい予感だと、

まだ気づかないまま。

第8章 終わり


第9章 夜の帰宅戦争

「――リントさん、申し訳ありません。

ちょっと急ぎで帰らないと、

母に怒られてしまいそうで……」

アルバは、

呼吸を整えながら丁寧に言った。

「今日はいったんここで失礼します。

また後日、ご迷惑おかけしますが……」

リントは穏やかに微笑み、

優しく頷いた。

「わかりました。

では、また後でね」

深く礼をして、

アルバはその場を後にした。

(門限、確か……)

時計を見ると、

6時半を回っていた。

やばい――

足を速めて歩く。

夕暮れの空が、

さらに暗さを増していく。

(もう怒られるの確定だな……)

「ただいま」から始まる現実

ガチャッ

「ただいま――」

その瞬間、

ビッ

――蹴りを食らった。

「……な、何すんだよ!」

アルバは思わず叫んだ。

すると、

母が険しい顔で立っていた。

「おかえり。

今何時だと思ってるの?」

アルバは少し遅れて、

ポケットの時計を確認した。

「……7時ですね」

「7時よ。

こんな時間まで何してたの?」

アルバは口ごもりながら、

背筋をぴんと伸ばして言い訳した。

「そ、勉強してたんです!

その……帰り道ちょっと――」

母は冷たい目でアルバを見据える。

「あんたね……

勉強してたって言ったけど、

あんたいつも勉強なんてしてないでしょ」

アルバの頬が一瞬固まる。

「……え?」

母は一歩近づき、

ため息をついた。

「本当はね……

人の話、聞いてないんでしょ?

ちゃんとやるって言っても、

いつもそれっきり」

「ち、違うよ!

今日は本当にやってたんだって!」

「……やってるふりしてるだけよ。

この時間まで外でぶつけ歩いてたんでしょ?」

言葉がぐさりと刺さる。

アルバは俯きながら、

反論したい気持ちを抑える。

「え……でも!」

母はもう聞く気配もない。

「ほんとにあなたは……

父親なんだから、もう……

ちゃんとやってほしいのよ!」

そして、

急に空気が和らぐように、

母はふっと笑った。

「……ま、いいわ。

ご飯食べなさい。

さっさとお風呂入って、

いっちゃいなさい」

その笑顔は、

怒っているときよりずっと優しく見えた。

アルバは息をつき、

深く頭を下げる。

「……すみませんでした」

母はニコッと笑い、

台所の方へ歩きながら言った。

「ほら、座りなさい。

温かいうちに食べなさい」

アルバは席につき、

お盆に並んだご飯を見つめた。

(……明日もまた、大変だな)

でも、

その胸の奥には、

どこか――

ほんの少しだけ、

安心の灯がともっていた。

第9章 終わり


第10章 夜のひととき――リントとクレイ

夜も更け、家の中は静かになった。

アルバは自分の部屋で寝支度を整え、

少しだけ読書をするかのように机に向かっていた。

一方、リントはリビングでクレイの手当てを終え、

今度は小さな体を優しく抱えて、

毛並みを整えていた。

「ふぅ……もう傷は治ったの?」

リントが優しく問いかける。

クレイは、ちょっと生意気に、

毛づくろいされながらもリントを見上げる。

「当然だろ。

あんな傷、僕にとってはもう治ってるに決まってる」

毛並みを整えられることに少し不満そうにしつつも、

どこか嬉しそうに、尻尾をぴんと立てる。

「……君も、聖騎士だってことの自覚、

持ったほうがいいよ」

クレイは口をとがらせ、

リントを呼び捨てにする。

「僕と契約したんだから、

そんぐらいの自覚、持っておいて欲しいんだけどなぁ。

もしかして、持ってなかったの?」

リントは少し笑いながら、

手を止めてクレイを見つめる。

「そんなわけあるでしょ。

持ってるに決まってるじゃない。

今はちょっと休憩途中だから、落ち着いて」

「ふん」

クレイは不満そうに鼻を鳴らすようにして、

小さく舌打ちをした。

でも、その表情はどこか可愛らしく見えた。

リントはその様子を見て、

軽く微笑む。

「……まあ、君は元気そうで何よりだ」

クレイは毛並みを整えられながら、

少しだけ得意げに胸を張った。

「当然だ。

僕は強いんだからな」

その夜、

家の中には静かな笑いと、

小さな毛並みの音だけが響いていた。

第10章 終わり

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