哲学、深夜24時のGEO

不思議乃九

第1話「中古ソフト売り場」

深夜24時。ロードサイドの暗闇に浮かぶGEOの看板は、かつては宝島への地図だった。しかし今、自動ドアを抜けた先に広がるのは、どこか湿り気を帯びた「過去の集積所」だ。


1. 「天国」の消失と、棚の均質化


一昔前、中古ソフト売り場は間違いなく「天国」だった。

そこには、自分だけが見つけられる「掘り出し物」という名の聖杯が隠されており、棚の隅を漁る指先には、未知との遭遇への期待が脈打っていた。


だが、今の売り場はどうだ。


パッケージは整然と並び、価格はネットの相場に最適化され、驚きもなければ、無知ゆえの幸運もない。かつてのような「混沌とした熱量」は消え去り、そこにあるのは効率化された**「中古という名の在庫」**の陳列に過ぎない。


2. 子どもたちの視線と「隔世の感」


かつての子どもたちは、限られた小遣いを握りしめ、中古のワゴンを必死に解析していた。それは、貧しさの中にあるクリエイティビティだった。


しかし今の売り場にいる子どもたちは、どこか退屈そうだ。


彼らにとって、ゲームは「所有する物」ではなく、画面の向こうから「降ってくるサービス」へと変質した。サブスクリプションや基本無料の波の中で、物理的なプラスチックの箱を吟味する行為は、もはや**「古臭い儀式」**に映っているのかもしれない。


3. Switchという名の「唯一の現世」


そんな寂寥感が漂う中古コーナーを尻目に、Nintendo Switchの棚だけが、異常なまでの生命力を維持して売れ続けている。

これは「ゲームが売れている」というより、**「任天堂という名の共通言語」**だけが、バラバラになった世代を繋ぎ止めている最後の糸であることの証左ではないか。


他のハードがフォトリアルな深淵や、複雑なシステムという「孤高の哲学」へ向かう中で、Switchだけが「家族の居間」という世俗に踏みとどまっている。その圧倒的な正義の前では、中古ソフトの棚に漂う「捻くれた郷愁」など、老兵の独り言に等しい。 


4. 24時の虚無感の正体


なぜ、これほどまでに寂しく感じるのか。

それは単に自分が歳を取ったからではない。

かつての中古売り場には「未来」があった。

「今は買えないけれど、いつかこれを手に入れるんだ」という、明日への渇望が棚の間に充満していた。


しかし今、深夜24時にここを訪れる私たちが向き合っているのは、**「いつか手放された過去」**の残骸でしかない。


Switchが売れ続ける光景と、死んだように静かな中古棚。

その対比は、デジタル化という名の「効率」が、私たちの「選ぶ楽しみ」という名の無駄を削ぎ落としてしまった結果なのだ。

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