第2話 アリス・ペンドラゴン

「…ここは…どこ?」

「えっと、東京だけど…」

 そう答えた瞬間、少女の表情が凍りつく。


「……知らない」


 その一言で、背中に嫌な汗が流れた。


 コスプレでも、迷子でもない。

 そんな軽いものじゃない気がした。


 倒れた少女を囲むように、人だかりができ始めていた。


「大丈夫? どこか打った?」

「親は? 救急車呼ぶ?」


 次々に飛んでくる大人の声に、少女は肩を震わせる。

 俺の制服の裾を、ぎゅっと掴んできた。


「……怖い」


 その小さな声に、胸がざわついた。


「えっと、たぶん具合が悪いだけだと思います…!」

 俺は必死に取り繕う。


 だけど、そんな言葉で済むはずもなかった。


 遠くで聞こえるサイレンの音。

 近づいてくるにつれて、少女の顔色がはっきりと変わる。


「来ないで……!」

 彼女は周囲を見回し、まるで追われている獣みたいに怯えた。


「警察です! 少し下がってください!」


 二人の警察官が人混みをかき分けて入ってくる。

 現場は一気に現実に引き戻された。


「君、高校生だね? 状況を説明してくれるかな」


「い、いや、俺もたまたま通りかかっただけで……」


 説明しながら、自分でも何を言っているのかわからなくなる。

 突然光って、少女が現れた――なんて、言えるわけがない。


「この子は?」

 警察官が少女に視線を向けた瞬間――


 少女は俺の背中に隠れた。


「……触らないで」


 震える声。

 その様子に、警察官も少し表情を曇らせる。


「身分証は持ってる?」

 問いかけに、少女は首を横に振る。


「名前は?」

 少し間を置いて、彼女は答えた。


「……アリス・ペンドラゴン」


 それだけ。


 住所も、連絡先も、保護者も出てこない。

 周囲の大人たちの視線が、だんだんと疑念に変わっていくのがわかる。


 ――このままじゃ、彼女は連れて行かれる。


 理由もわからないまま、

 どこかへ。


 その時、俺は気づいてしまった。


 ここで何か言わなきゃ、取り返しがつかない。

「……あの!」


 気づけば、声が出ていた。


 警察官と、周囲の大人たちの視線が、一斉に俺に集まる。


「この子、俺の……知り合いです」


 一瞬、空気が止まった。


「知り合い?」

 警察官が眉をひそめる。


「はい。えっと……クラスメイトの、いとこで……」

 自分でも無茶だとわかる言い訳が、口から転がり出る。


 心臓がうるさいほど鳴っている。


「急に具合が悪くなったみたいで。病院に連れて行こうと思ってました」


 嘘だ。

 でも、今はそれしかなかった。


 警察官は俺とアリスを交互に見たあと、少し考え込む。

 アリスは俺の制服を強く握りしめたまま、何も言わない。


 しばらくの沈黙のあと、警察官はため息をついた。


「じゃあ、連絡先を教えて。あとで確認するから」


「わかりました」


 スマホを取り出す手が、少し震えていた。


 人だかりが少しずつ解散していく。

 サイレンの音も、遠ざかっていった。


 ――助かった。


 そう思った瞬間、アリスが小さく呟いた。


「……ありがとう」


 その声は、今にも消えそうで。


 俺はこの時、はっきり理解した。

 もう後戻りはできない。

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