第5話

 今朝になって、水面ちゃんがぼくの肩を叩いてきたので、ぼくはハタと起き出した。顔をカアっと沸騰したかのように赤くするも。


 なんのことはない。ぼくは、水面ちゃんのベッドの脇で椅子に座ったまま寝ていたのだ。彼女が床にそのまま崩れ落ちたり、水面ちゃんのベッドの方に倒れ込んだりと、危ういなと思っただけなのだろう。


 窓の外はまだ薄暗かった。

 開いた窓からの微風が冷たくて気持ちがいい。


「あ……昨日から座ったままで寝ていたみたいだね。水面ちゃんは良く眠れた?」


 ぼくは、水面ちゃんに照れ隠しに上機嫌に話し掛けていた。水面ちゃんはいつものように、どこか力なく微笑んだ。それから、朝食の時間までぼくは水面ちゃんの機嫌を伺いながら、自由に話すことにした。


 上司の係長が、同い年の素敵な女性だったこと。

 いつも仕事の帰り道に牛丼屋さんで、ビビンバ丼を食べていること。

 出勤の際。雨の日は決まって傘を忘れること。


 時折、水面ちゃんは微笑んだり、興味深いと思った個所は顔を近づけて聞いてくれたりと、表情がコロコロ変わることに気が付いた。ぼくは女性の顔がまともに見れないなんて嘘になった。


 そうと気がついたら、喋る回数も自然と増えてくるもんだ。


 結局、彼女が疲れて寝てしまうまで、ぼくのお喋りは続いた。


 もはや、ぼくは彼女と一緒に最後までいるのが、人生の一部になってしまった。


 そんなある日のことだ……。


 202号室の病室で、水面ちゃんがぼくの目の前で急に倒れてしまった。


 気がついたら、ぼくは急いでナースコールのボタンをぶっ叩くように押していた。血相変えた看護婦さんと医者が飛んできた。


 隣の203号室から石谷くんも騒ぎに駆けつけてくれていた。


「ご臨終です」

 

 医者が静かに言った。


 ぼくは驚くこともないし涙は出なかった。


 急に水面ちゃんの元気というエネルギーが全てなくなって、水面ちゃんが倒れてしまって、たまたま医者がご臨終といって……。


 ぼくは、この病院の屋上へと駆け出していた。


「あ! おい! 病院は走っちゃダメだろ」


 石谷くんの声が背中に聞こえた。


――――


 白い階段をこれでもかと急いで上がった。


 屋上まで、走りに走る。


 ようやく、屋上のドアが見えてきたので、開けると同時に走ってフェンスから飛び降りた。


 猛風に煽られた落下の最中。


 光輝く何かがぼくの傍で話し掛けた。


「君はもう助からない。けれども、彼女が助かる方法は、最初から一つだけあったんだ。その方法は、彼女が生き返るためのたった一つの方法だ。それは君の命に生まれ変わることだ。だから、君はこれからも生きていくことができるんだ。これは運命なんだ。仕方ないんだ」


 急速に近づいてくるコンクリートに、ぼくの身体は不思議と激突しなかったようだ……。

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