ご機嫌よう、クソ……失礼。お清らかな学院の生徒諸君
はじめまして、ドブ王子
「あれが噂のセレナ公爵令嬢よ」
「執事同伴なんていい気なものね」
ご機嫌よう、学院のクソども。
歓迎パーティーは豪華絢爛な煌びやかな様相を呈していた。その裏では影たちの情報交換がされている。
「フィオナ様、お会いできて嬉しいわ」
「セレナ」
フィオナは栗色の長髪と漆黒の瞳を持っていた。
華やかな笑顔で友人と手を取り合うセレナ。だが、その背後に近づく、香水で悪意を隠した令嬢たちの影……。
(おっと、左後方から『嫉妬』の匂いがする影が3つ。お嬢様に触れさせねーよ)
彼女たちがセレナのドレスの裾を踏みつけようとした瞬間、俺は【影の縫い糸】をほんの数ミリ、彼女たちの靴に引っ掛ける。影で、セレナにできて、俺がでなきないわけがない。それに消費MP:0だ。
「きゃっ!?」
何もないところで躓き、ドリンクを自分たちで被る令嬢たち。
「あら、大丈夫かしら?」
心配そうに覗き込むセレナの足元で、俺は静かに中指を立てる。
(俺:ご機嫌よう、クソども。…おっとジーク、こっちを見るな。ただの『呪いの残滓』が揺れただけだぜ?)
その時、黄色い歓声が上がる。
学園の注目の的、第一王子・カイル。 金髪をなびかせ、爽やかな笑顔を振りまきながらセレナに近づいてくる。
「君がセレナ・フォルテス嬢か。噂以上の愛らしさだね」
碧眼を細め、「舐め回すようにお嬢を見た」ジークの片眉が上がり、俺は絶句した。
(…うえぇ、なんだよこれ。くせぇ…ドブか?)
セレナが見ている王子の笑顔の裏で、俺が見たのは「王子の影」の真の姿だ。 王子の影は、表面上は恭しく頭を下げているが、その中身は無数の汚らしい触手が蠢き、捕らえた獲物をドロドロに溶かして喰らっているような、悍ましい腐敗臭のする影だった。
アリスの「ツノが生えた影」なんて可愛いもんだ。こいつの影は、もっと底知れない「欲望」と「冷酷さ」で煮詰められている。
(……ダメだ。こいつは絶対にダメだ。お嬢をこんな腐った沼に近づけさせるわけにはいかねぇ)
「光栄ですわ、王子殿下」
頬を染めるセレナはカーテシーをする。確かに銀髪のおさげに紫紺の瞳を持つセレナは嫉妬と憧憬、羨望を一身に受けていた。
同調率30%の俺には、彼女の胸の高鳴りが伝わってくる。初恋の予感に浮き立つ少女の心。
(…ちっ、お嬢、騙されんな! こいつの影、俺を『どうやって解体して喰ってやろうか』って舐め回すように見てやがるぞ!)
王子がセレナの手を取ろうと伸ばした瞬間。 俺の毒のソムリエが激しく警鐘を鳴らした。
(こいつの飲み物、精神毒(マインド・ポイズン)の魔力が仕込まれてやがる…! 触れただけで依存させる気かよ)
ジークの毒で鍛えられた俺の鼻は誤魔化せない。
(…やれやれ、初日から大物の『不法投棄物』の処理かよ。お嬢の純愛(?)を守るのも、影の仕事のうちだよな)
俺は影を鋭く伸ばし、王子の足元にある「腐った沼」に、そっと挨拶を代わりの【影の縫い糸】を叩き込んだ。
(…ちっ、今のを避けるかよ。重心が完全に崩れてたはずなのに、まるで見えない糸で吊られた人形みたいに無理やり姿勢を戻しやがった)
さらに腹立たしいことに、俺が【影の縫い糸】を打ち込んだ瞬間、王子の足元のドブ色の影が、一瞬だけ牙を剥いて俺の影を弾き返した。
(あいつの影、いま「笑いやがった」な…?)
「…セレナ様? どうかされましたか?」
王子が首を傾げる。その完璧な貴公子の微笑みが、剥製のような薄気味悪さを帯びて見える。
「いえ、なんでもありませんわ。殿下」
セレナは頬を赤らめつつも、わずかに視線を泳がせる。同調率が上がっているせいか、俺が感じている「寒気」が、彼女にも微かな違和感として伝わっているのかもしれない。
「どうぞ、新しい飲み物を」
渡されたドリンクは濾して中和しておいた。
パシャ
「…申し訳ありません、殿下。私、手が滑ってしまって…」
セレナがわざとらしく、しかし完璧な演技でドレスに飲み物をこぼした。
(お嬢!? 今、自分でやったな? まさか毒に気づいたわけじゃねーだろうが…直感か?)
ジークが素早くハンカチを差し出す。
「失礼いたします、殿下。ドレスを汚してしまいましたので、一度化粧室(パウダールーム)へ中座させていただきますわ」
「…おやおや。それは残念だ。せっかく用意した特別な一杯だったのだが」
王子の影が、獲物を逃した飢えた獣のように、地面を這ってセレナの影を追おうとする。だが、俺は走った。
「…あ、れ? 足が…」
勝手に走り出した足にセレナは思うことがあったのか、王子を振り返る。
王子がわずかに顔をしかめていた。その隙に、追いついたフィオナがセレナの腕を取った。
「私がご一緒しますわ。…さあ、行きましょう、セレナ」
パウダールームに入り、重厚な扉が閉まった瞬間、セレナは壁に背中を預けて息を吐いた。
「いいのよ、セレナ。むしろナイス判断だったわ。あのままあそこにいたら…」 フィオナは鏡越しに自分の顔を確認しながら、声を潜めた。
「あの殿下の碧眼。あれに見つめられると、蛇に睨まれた蛙のような心地になるの。貴女も、だから『わざと』飲み物をこぼしたのでしょう?」
ハンカチでセレナのドレスの水分を拭き取るフィオナは、理知的な漆黒の瞳を揺らす。セレナは困ったように笑う。
「セレナ、あまり深く関わらない方がよろしいわよ。あの殿下には…その、あまり芳しくない噂がありますの」
(やはりか)
「噂、ですか?」
「ええ。殿下に心酔した令嬢たちが、次々と『心を失った人形』のようになってしまう…という。不敬な話ですけれど、エバート家の情報網でも、その先は霧に包まれていて…」
セレナは不思議そうに瞬きをする。
「でも、とってもお優しそうですけれど? お話してみないと、本当のことは分からないわ」
(お嬢、それが危ねーんだよ…!)
フィオナの影が、不安げに小刻みに震えている。彼女の直感は正しい。
「王子の能力は魅了(チャーム)よ」
フィオナの影が話しかけてきた。
(魅了(チャーム)……だと!?)
フィオナがセレナのドレスを甲斐甲斐しく拭いている間、その足元ではたおやかな彼女の影が、俺に向かってひっそりと「答え合わせ」を投げてきた。
「そうよ。あの王子の碧眼に1分見つめられたら最後、意識の深いところが書き換えられて、アイツを全肯定するだけの人形になる…」
(やっぱりか。あのドロドロした触手の正体は、執着の塊だったわけだ。何とかして教えないと!)
「…ここが私の部屋ね。素敵だわ」
セレナが感嘆の声を上げる。公爵令嬢に与えられた個室は広く、天井にはシャンデリアが輝いている。
「セレナ様。失礼いたします」
重厚な扉を完璧な所作で入ってきたのは、執事服に身を包んだジークだ。彼の背後には、宙に浮いた十数個のトランクが、まるで見えない糸で操られる操り人形のように整列してついてくる。
「持ち物の運び入れが完了しました。……やれやれ、この『重力制御(グラビティ・コントロール)』も、隣室に私を配置してくれた公爵閣下への恩返しだと思えば安い御用ですが」
ジークは片眼鏡(モノクル)を指で直し、鋭い視線を部屋の隅々に走らせると、最後に俺を見た。
(頼むぞ)
視線からはそんな声が聞こえてくる。
「あ、今日は動いてくれるのね」
立ち上がった熊のぬいぐるみにはにかんだ顔を浮かべるお嬢。目を隠す。
「何か伝えようとしてる?恥ずかしい?」
(違うんだ!お嬢、気づいてくれ)
そこで、歴史書があったことを思い出す。鞄から一ページに載っている初代皇帝の苗字、アルカディアをなぞり、王冠を指差す。
「あ…カイル殿下?」
もう一度、目を隠すと時間切れだ。お嬢の影に戻ると、何か考えて顎に手を当てていた。
セレナがふっと微笑む。
「…ありがとう。私に、警告してくれてるのね」
その言葉が、単なる予測ではなく「確信」として彼女の口から出た瞬間、彼女の鼓動が影を通じて伝わってくる感覚。 【同調率上昇:30%→38%】 【スキル:影の伝声(シャドウ・ウィスパー)解放】
(お嬢…ああ、そうだ。あいつはヤベェ。絶対に近づくな)
影の底から響く、初めて聞くはずの「誰か」の声。 セレナは驚いて目を見開くが、恐怖ではなく、どこか懐かしい温かさを感じて、自分の影を撫でた。
「やっぱりあなただったのね」
(ああ、そうだ。だが、話の続きは夜食を済ませてからにしようぜ、お嬢。ところであの陰険執事おっかねぇよ)
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