世界最強は目立ちたい
@Green_Grapes
第1話
――ダンジョン深層、階層番号三百六十八。
記録上は「人類上澄み到達域」。この言い回し、どうしても気になる。上澄みってことは、沈殿物があるみたいじゃないか。
ボクは今、幅二百メートルはある空洞の中央に立っている。床も壁も天井も、黒曜石みたいな岩で統一されていて、光源は魔物由来の燐光だけ。湿度は低め、空気は重い。深層特有の環境だ。
そして正面には、魔物。
《深層侵蝕種・ギルヴァロス》。
四足歩行、全高は十メートル超。肉体の半分以上が半流動化した魔力器官で構成されていて、倒しても倒しても自己修復する厄介なタイプ。討伐には通常、対魔力装備を整えた精鋭部隊が必要、とマニュアルには書いてある。
マニュアルは正しい。ただし前提条件が抜けている。
「……今日は、どんな感じでいこうかな」
小声で呟きながら、ボクは少しだけ姿勢を整える。
別に緊張しているわけじゃない。どちらかというと、服のシワを直す感覚に近い。深層で余裕がないように見えるのは、減点だ。
ギルヴァロスがこちらを認識したらしく、地鳴りのような唸り声を上げた。魔力反応が一気に膨張する。周囲の岩肌が侵蝕され、黒い粘液みたいなものが這い出してくる。
普通なら、この時点で撤退判断だ。
ボクは、歩いて距離を詰めた。
身体能力強化。出力は二割。床を踏みしめても、クレーターができない程度に抑える。このへん、地味だけど大事だ。あとで記録を見た人が引く。
ギルヴァロスが前脚を振り下ろす。質量と魔力の複合攻撃。直撃すれば装甲車でも潰れる。
ボクはそれを、受け止めた。
正確には、触れる直前で止めた。
「……重たいな」
熱を奪う。
魔力由来の運動も含めて、まとめて停止。侵蝕種は内部構造が不安定だから、こういう処理が一番きれいに決まる。
前脚が凍りつき、次の瞬間、全身に氷が走った。ギルヴァロスの唸り声が途切れ、魔力反応が急激に落ちる。
でも、まだ終わりじゃない。
侵蝕種はしぶとい。中途半端に止めると、あとで面倒になる。
ボクは一歩下がり、右手に魔力を集める。圧縮、整形、指向性付与。工程は頭の片隅で流すだけ。考えるほどのことでもない。
「派手さ重視……っと」
魔力砲を撃つ。
青白い光が凍結した魔物の中心を貫き、内部で拡散する。熱を奪われた状態での内部破壊は効果が高い。侵蝕器官が耐えきれず、連鎖的に崩壊していく。
数秒後、ギルヴァロスは音もなく崩れ落ちた。
床に広がるのは、凍結した肉片と砕けた魔力結晶だけ。再生反応は、完全に停止している。
静かだ。
ボクは周囲を一応確認してから、息を吐いた。
「うん、悪くない」
余裕を保てたし、動きも綺麗だったと思う。強キャラとして七十五点くらい。もう少し決めポーズを意識してもよかったかもしれない。
空中に、淡い光のウィンドウが浮かび上がる。
《討伐対象:深層侵蝕種・ギルヴァロス》
《脅威指数:A+》
《想定必要戦力:討伐部隊》
《討伐時間:0分33秒》
《損傷率:0%》
……またゼロだ。
この表示を見るたびに思うけど、これを処理する側は本当に大変だと思う。数値上の前提が崩れてるから、後続処理が全部ズレる。
ズレるだけで、壊れてはいない。だから世界は普通に回っている。そこが、少しだけ面白い。
ボクはウィンドウを消して、次の通路へ向かう。
この階層は、もう危険な反応がない。なら、もう少し下に行こう。三百七十階層以降は、個体差が激しくて当たり外れが大きい。
強いのが出れば、見せ場になる。
出なければ……まあ、それはそれだ。
ボクは自分が特別だとは思っていない。
強いとは思う。でも、それは結果であって、肩書きじゃない。ここまで生き残れたのも、運と慣れと、ちょっとした工夫の積み重ねだ。
死は、近い。だから遠ざける。理由はそれだけ。
「……さて」
階段を下りながら、どうでもいいことを考える。
このダンジョン、構造が少し古い。無駄な空間が多いし、魔力循環も効率が悪い。設計者の趣味だろうか。それとも、単に時代の差か。
そんなことを考えられる程度には、余裕がある。
今日も、いつも通り。
ボクは、ダンジョンの奥へ進んでいく。
――ダンジョン深層、階層番号三百七十四。
下に降りるほど、音が減る。
正確には「反響」が減る。空気が魔力で満たされすぎて、音波が途中で減衰するせいだ。叫んでも遠くまで届かないし、戦闘音も妙に丸くなる。深層特有の静けさ。
嫌いじゃない。
ボクは通路を歩きながら、靴底の感触で床材を確かめていた。硬度は高いけど脆い。割れ方を見るに、魔力圧縮型の地層じゃなく、自然生成に近い。たぶん、この階層は「当たり」だ。
つまり、強いのが出る。
曲がり角を越えた先で、空間が一気に開けた。
円形の大広間。直径は百メートル以上。床には複雑な魔法陣が幾重にも刻まれていて、ところどころが摩耗している。昔、何度も戦闘があった証拠だ。
中央に、魔物がいた。
《深層統率種・ロ=ザルディア》。
分類名だけ聞くと大したことなさそうだけど、実物は別だ。人型に近いシルエット、全高は三メートルほど。黒い外殻と、背中から伸びる六本の魔力肢。周囲には、従属個体が十数体。
群れを率いるタイプ。
しかも統率種は、頭がいい。
ボクが足を踏み入れた瞬間、従属個体が一斉に動いた。左右に展開、前後から包囲。無駄がない。指揮が的確すぎて、ちょっと感心する。
「……へえ」
素直な感想が漏れた。
ロ=ザルディア自身は動かない。玉座みたいに隆起した岩の上に立ち、こちらを観察している。攻撃してこないということは、力量測定中だ。
普通なら、嫌な汗をかく場面。
ボクは、考える。
どう倒すか、じゃない。どう見せるか。
群れを一瞬で無力化するのは簡単だけど、それだと統率種の見せ場がなくなる。逆に、従属個体を丁寧に処理するとテンポが悪い。
……よし。
身体能力強化、三割。
床を蹴る。衝撃を分散させるため、着地の瞬間に熱を逃がす。砕けた床材が凍って粉になるのを横目で確認しながら、ボクは従属個体の間を走り抜けた。
攻撃が飛んでくる。魔力刃、圧縮弾、衝撃波。
全部、当たらない。
正確には、当たる前に位置を変えている。未来予測とか、そういう大層なものじゃない。ただ、動きが素直すぎるだけだ。
ロ=ザルディアが、初めて表情を変えた。
魔力反応が跳ね上がる。指揮レベルを一段階引き上げたらしい。従属個体の動きが洗練され、連携が密になる。
……でも、それまでだ。
ボクは立ち止まり、軽く指を鳴らした。
熱の支配、展開。
対象は、広間全体。
床、壁、空気、魔力。すべての温度を、一気に引き下げる。絶対零度、まではいかない。必要ないし、やりすぎると後処理が面倒だ。
結果として、従属個体は一斉に凍結した。
動きかけた姿勢のまま、彫像みたいに固まる。魔力伝達が遮断され、統率リンクが断ち切られる。
静寂。
ロ=ザルディアが、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
喋った。
深層で言語を使う統率種は珍しくないけど、落ち着きすぎている。恐怖より、納得が先に来ている感じだ。
「貴様、人間だな」
「一応ね」
返事をしながら、距離を詰める。
ロ=ザルディアは逃げなかった。背中の魔力肢が展開し、圧縮された魔力が収束していく。単独戦闘モードへの移行。
判断としては、正しい。
「我は――」
名乗りを上げようとしたところで、ボクは手を振った。
「ごめん、名乗りは後でいい?」
一瞬、間が空いた。
その隙に、魔力砲を撃つ。
今度は直線じゃない。螺旋状に拡散するタイプ。内部に侵入してから破壊する構造だ。熱は奪わず、あえて残す。対比が映える。
ロ=ザルディアの外殻が耐える。さすが統率種。だけど、内部構造までは保たない。
数秒後、膝をついた。
「……見事だ」
最後まで、崩れなかったのは立派だと思う。
ボクは軽く会釈してから、追加の一撃で完全に機能を停止させた。
従属個体も、順番に砕く。凍結しているから、音はほとんどしない。
戦闘終了。
討伐表示が浮かび上がる。
《討伐対象:深層統率種・ロ=ザルディア》
《脅威指数:A++》
《随伴個体:12》
《討伐時間:0分41秒》
《損傷率:0%》
……うん。
ゼロだね。
ボクは表示を消して、広間を見回す。
いい戦いだった。頭を使う相手は、やっぱり楽しい。殺し合いに慣れていても、思考のやり取りがあると退屈しない。
「さて……」
次は、もう少し下。
ボクは階段を見つけ、足を向ける。
深層は、まだ静かだ。
そしてたぶん、この先も。
ボクにとっては。
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