第27話

 義人はクラスでも浮いた存在だった。

 ただ春海はクラス内での相関図だとか、序列なんていう考え方を持たないぼんやりした生徒だったから、進級してクラスメートの顔ぶれが変わっても、そのことには気づかなかった。

 とはいえ毎日同じクラスで過ごしていれば、鈍い春海でもだんだんとわかってくる。

 授業中に私語する生徒や、クラスでのちょっとした揉め事に、義人は必ず口を出した。それ自体別に悪いことではないのだろうけれど、そんなときの級友たちは揶揄めいた嘲笑で義人を迎え、教室内の空気は、冷めたような白けたものへと変わるのが常だった。

 クラスにおける義人の存在が、なんとなくおかしなものだと気づきはしたけれど、春海にはそんなことより、もっと気になることがあった。

 クラスメートの二宮遥香のことである。

 女子生徒たちは休み時間には数人のグループを作って他愛のないお喋りに興じ、昼食時には机を寄せ合って食事をしていたけれど、遥香はそれをせずにいつも一人で過ごしていた。  

 その姿が春海には意外だった。遥香とは中学が一緒で、同じクラスだったこともある。中学の時の遥香は、クラスの中心的存在というわけではなかったが、いつも友人たちと一緒で、教室でポツンと一人で過ごしているということはなかったはずだ。

 何があったのだろうと思っていたが、その原因が樋山瑠那をはじめとした三人の女子生徒たちであることがわかってきた。瑠那たちは休み時間となると遥香の近くの席に陣取り、聞えよがしの悪口を言うのだった。直接、遥香に向って言うわけじゃないところがまったくいやらしい。

「瑠那はいいよね。スタイル良くて。うらやましい」

「そう? でもわたしは肌が白いほうがうらやましい」

 そこで瑠那たちは遥香へと、一瞥をくれる。

「ま、色だけ白くても、ぶくぶく太ってたんじゃ意味ないけどね。ブタじゃん、それじゃ」

「そう。白くてブタじゃ、もう白ブタじゃん」

「なんだよ白ブタって」

「ブタはもともと白いし」

「白ブタっていなかったっけ?」

「黒豚でしょ。それ言うなら」

 そうして、周りにはばかることなく下劣な笑い声をたてる。

 聞くともなく聞いていた春海は、「白ブタ」という単語に、思わず吹き出しそうになってしまったけれど、なんとかこらえた。

 遥香への攻撃材料として、瑠那たちは主に、体型のことを口にした。別に遥香が肥満というわけではない。確かに肉付きはいい。ひょろりとして手足の長い瑠那などとは、骨格的に違うのだろう。けれどそれはむしろ長所といっていいんじゃないかと、春海などは思うのだった。

 瑠那は確かに女子が憧れるような体型だったのかもしれないが、そんなことより、その底意地の悪い面つきをなんとも思っていないようなのが、春海には不思議だった。

 顔の造作にしても、成績にしても、到底かなうところがないという自覚があるせいか、瑠那たちは、自分たちで作り上げているその状況自体をも攻撃に利用した。

「うちらなんてさ、幸せだよ。こんな風に仲のいい友達とさ、過ごせてるわけだし」

「だよねぇ。それがなきゃ、学校なんてくる意味ないし」

「来る意味はあるでしょ。勉強しにきてるんだから」

 瑠那たちは一人で本を読んでいる遥香にちらと横目をくれて、ぷっ。とわざとらしく吹き出す。

「ま、授業だけ受けにきてるんならそれでいいんだろうけど」

「いや、さみしすぎるでしょ。それじゃ」

「授業受けて帰るだけだったらさ、ただの地獄じゃん学校なんて」

「そう。何しにきてるかわかんないよね」

「だから勉強しにきてるんだって言ってるでしょ」

 上辺だけつくろった空疎な笑いを聞いていると、春海の心は冷えた。

 瑠那たちは、クラスの皆を主導して遥香を無視しているわけではなさそうだったが、他の者たち、特に女子は瑠那たちの存在を気にかけて、遥香と関わらないようにしていたのだろう。

 遥香はその状況でも、特に気にする様子もなく(あくまでも表面上は、ということだけれど)、休み時間は一人で文庫本を読み、昼休みは一人で弁当を食べていた。その態度がとても毅然としていて、春海には好ましく思われた。

 

 六月のある暑い日の、帰りのホームルームが延びた放課後。

 春海が下駄箱から靴を取り出しているとき、遥香が声をかけてきた。

「ハルちゃん」

「ん?」

「ハルちゃんってさ、自転車だよね。良かったら大館駅まで乗せてってくれない?」

「え……」

「あ……」

 その瞬間、遥香の顔に浮かんだ悲痛な表情が、春海の胸を衝いた。

 春海の一瞬のためらいを遥香は誤解したようだった。

「……ごめん。やっぱり大丈夫。ごめんね、いきなり」

 寂しそうに笑って戻ろうとする遥香を、春海は慌てて呼び止めた。

「待って。乗っけてくのは別に構わないんだけどさ、俺の自転車って後ろに荷台とかついてないのよ。だから、どっか乗れそうなところがあったかなって、そう考えてたの。フレームとかに乗れば多分いけると思うけど、それでもいい?」

 遥香は、春海が瑠那たちのことを気にして、関わるのを避けようとしたとでも思ったのだろう。「自分はそんなつもりは全然ない」という思いが伝わるよう、なるべく何でもないような口調で春海は言った。

 自転車には、後輪の車軸の出っぱりと、フレームとにうまく足を掛ければなんとか乗れる、ということで、春海は遥香を駅まで送ることになった。

「ハルちゃんって、今、家から自転車なの? 前は電車だったよね」

「そう。自転車でも結局、十五分くらい余計にかかるだけってわかってさ。電車は駅の時間、気にしなくちゃなんないでしょ。それが嫌で自転車にしたんだ。雨んときとかは大変だけど」

 春海の家からだと、電車の最寄り駅は隣町にあり、距離があるためどうしても自転車を使わなければならなかった。そこから電車に揺られて三駅分。着いた大館駅から学校までの距離があるため、そこからやはり自転車を使うか、私鉄に乗り換えて一駅分、学校から最寄りの下郷駅まで電車移動するかしなければいけなかった。

 その下郷駅がまた厄介で、その日のように、帰りのホームルームが少し延びてしまうと、駅まで走っても、電車の発車時刻に間に合わないことがある。そうなると、次の電車まで四十分強待たなければならない。周囲には個人経営のコンビニエンスストアが一軒あるだけの寂れた場所なので、電車が来るまでの時間をつぶすのが、結構大変なのだ。

 遥香はきっと下郷まで電車通学なのだろう。だとすると、今日はきっと電車に間に合わない。次の電車までの待ち時間を無駄にしたくなくて、声をかけてきたのだろう。

 もしかすると瑠那たちも下郷駅を利用しているのかもしれない。だとすれば、遥香にとってその時間は、苦痛でしかないだろう。

「そっか。じゃあナユカと一緒だ」

「ああ。ナユカも自転車?」

「そ。前は電車だったんだけど。あの子、部活やってるでしょ。それで電車だと時間が合わないことが多いらしくて。ナユカは逆に十分くらい早くなるって言ってたかな。朝の十分は貴重だからって。それで自転車にしたんだって」

 ナユカというのは、春海たちの同級生で、同じ中学から同じ高校へと進学してきた生徒である。クラス内では一人で過ごしていても、違うクラスの生徒とは交流があるのだろう。まったくの孤独というわけではなさそうで、春海は少し安心した。

「ルカも自転車にすれば? いいよ。電車の時間気にしなくてすむし」

「うーん……。そうしようかって思うこともあるんだけど」

「どっから乗ってるの」

「電車? 共和から」

「共和までは?」

「自転車。家から二十分近くかかるけど」

「そんなら学校まで自転車でも、そんなに変わんないんじゃないの?」

 そこで春海は思いついた。

「試しに共和まで行ってみる? どのくらいかかるか」

 春海と仲のいい友人たちは帰る方向が違っていたから、校門を出てすぐに別れてしまう。春海はそこから一時間強の道のりを、一人のらのらと自転車をこいで帰るのが常だった。

 だからその日、春海の心は、なんだか浮き立ってしまっていたのだ。この時間を少しでも延ばせないかという思いが、春海にそんなことを言わせたのかもしれない。

「どうしようかな」

 遥香は時計を見ているようだったけれど、結局春海の提案に乗ってきてくれた。

「でもいいの? 遠回りにならない?」

「うん、大丈夫」

「そっか。じゃあ行ってみようか」

「おう。行ってみようぜ」


 曇り、曇り、曇りという天気が三日続いたあと、日差しが戻ってきたその日は、一気に気温が上がって、とても暑かった。

「夏だねぇ、もう……」

 しみじみといった風情でそう言った遥香に、春海は吹き出しそうになった。

「いやぁ、まだまだでしょ。こんなもんじゃないですよ、夏は」

「そうだよねぇ……。自転車はさ、屋根がないのがつらいよね」

「まあなぁ。俺は晴れの日はいいけど、雨の日のための屋根は欲しいなぁ」

「そっか。わたし日に焼けちゃうんだよね」

「あ、そうなんだ。やっぱ気になるもんなの? 日に焼けるのって。――あ、あそこ俺がよく寄ってく本屋」

「へえ……、いいの売ってる?」

「んー、まあまあ。売り場半分はゲームとかだし」

「ああ。そういう感じか。――すぐ赤くなっちゃうんだよね、わたし」

「なにが?」

 遥香が吹き出す。春海の肩を左右交互にたん、たん、たん、とたたきながら「ひ・や・け」と、一音一音区切るように言った。

「ああ。日焼けね」

「そう。すぐ赤くなっちゃって、痛いんだよね」

「じゃあ、今日も気をつけねえと」

 おどけた調子の春海に「そうだよ。気をつけて」と返すと、遥香は春海の両肩に置いた手に力を込めて揉みほぐしながら言った。

「だから、なるべく日陰を通ってくれたまえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る