第10話

 峯影ほうえいは山がちな国で盆地や谷あいに居住可能な土地はあるものの、それらは孤立し分散している。平地には非生産的な消費都市も生まれていたが、開発が進んでいる場所は少なく農業村落が大半である。

 知識や情報・技術は八家を中心とした貴族が握っていて、彼らの大半は首都に集住していた。首都・永清えいしんは政治・経済・文化あらゆる面において隔絶した地位を占めていた。

 地方の有力者は首都と結びついて地方社会に権力の基盤を確保し、中央の有力者もまた、地方の有力者と個別に結びつき、地方の富を確保していた。

 

 地方国のひとつ、秀穂しゅうすいの北西部。紫翠しすいと国境を接する志波しば郡の長、シバの別邸に春海と義人はいた。

 そこで聞かされた話は春海には到底信じられないものだった。魔人の伝説と、その魔人の残したという神器。義人が言ったように、どうやらここは異世界ということらしい。

 そしてその神器を操った自分たちは、いつの間にか魔人ということになってしまったらしい。この世界のことはなにもわからなかったけれど、話を聞く限りでは、神器というのは本来、玉環と玉剣の一揃いを身に帯びるものらしい。当然、魔人も一人であるはずと考えられていたようで、二人いるというのはこちらの人間にとっても予想外のことらしかった。

 ――だから自分たちが魔人だっていうのは、なにかの間違いなんです

 ここぞとばかりに春海は主張したのだけれど、アコウたちには聞き入れられなかった。

 とにかく納得できないことだらけだったが、なによりわからなかったのは義人の態度である。

『お二人のことは魔人であると考えています』

 そう言ったアコウの言葉を義人はあっさりと受け入れてしまったのだ。春海はもちろん否定したが、驚いたことに義人は否定するどころか「自分はここに喚ばれた」と言い出したのだ。

 そして、魔人としての力を争いをなくすために使いたい、そのためなら積極的に協力したい、なんてことまで言い出した。そんな義人のことを春海は、まるで狂人でも見るような目つきで見つめていた。

 

 春海にあてがわれた部屋は、広さはあったが簡素なものだった。部屋には小さな机が置いてあるくらいでがらんとしている。窓はなく障子で明りが取ってあった。義人とは別々の部屋が用意してあったので、今部屋にいるのは彼一人である。

 がらんとした部屋で春海は頭を抱えていた。魔人だとか異世界だとか、とてもじゃないが、まともな人間がする話とは思えない。では、今自分がおかれているこの状況をどう説明するのかと言われたのなら、それはそれで頭を抱えてしまう。

 異世界などという話を信じたくない春海が、なんとかひねくりだした理屈は、タイムスリップというものだった。もちろんタイムスリップだって、そんなことが現実に起こるとは思っていない。それでも異世界に転移してきたなんて話よりは、よほどありそうだと思えた。

 そう考える理由もある。まずそこに住む人間の容姿が春海の見慣れたものだったし、服だっていわゆる和服のようにみえた。なにより会話ができた。大昔の人と話し言葉が同じというのは気になる点ではあったけれど(魔人だの神器だのというさらに気になる点もあったが、この際無視してしまうことにした)、それでも会話ができるのなら、ここは昔の日本だと考えるほうが自然ではないか。

 そんなことを考えながら、春海は思わず笑いだしそうになった。

 ――異世界だろうとタイムスリップだろうと結局一緒じゃないか。

 どちらにせよありえない話なのだから。

 ではいったいなぜ、自分にこんなことが起こっているのか。

 その理由に関して、彼は一つの可能性――というより、一つの懸念を抱いていた。自分が狂ってしまったのではないか、という懸念である。おかしいのはこの世界なのではなく、自分の頭なのではないか。

 元いた世界でのある経験が、彼にその考えを抱かせた。

 あるとき、春海の祖母が入院することになった。そのことがきっかけで、それまで普通だった祖母が、突然おかしくなってしまったことがあったのだ。夢とうつつの区別がなくなってしまったその姿に、彼は衝撃を受けた。人間とはこんなに簡単におかしくなってしまうものなのかと。

 そのときの祖母の姿と、今の自分の姿が重なるような気がしてならない。自分の頭がおかしくなっているのだとしたら、夢を現実だと思い込んでしまっていてもおかしくはない。

 そう考えたところで、春海はかぶりを振った

 ――いや、そうじゃない。

 春海は元々、どれほどおかしな夢を見ている最中でも、それが夢だとは思わない性質たちである。朝、目が覚めてはじめて、夢を見ていたと気づくのが普通だった。夢を現実と思い込むには、まずは眠りから覚めていなければならないはずだ。

 今のこの状況はどうだろうか。夢かうつつかでいえば、「夢」ということになるだろう。つまり自分は今、眠りの中で夢を見ている真っ最中で、まだ目覚めてはいないということになる。

 春海はそこで暗澹あんたんたる気持ちになってしまった。

 もう一つの可能性――自分が夢から覚めない状態になってしまっている、という可能性に思い至ったのだ。

 このわけのわからない世界にくる前――。彼の現実世界での最後の記憶は、義人とともに橋から落ちた、というものだった。その事故の影響で、自分は昏睡状態に陥っているのではないか。そのせいで、覚めない夢を見続ける羽目になってしまっているのではないか。

 その可能性に思い至ったとき、春海の心に暗い影がかかった。

 ――自分はそのまま目覚めないのかもしれない。そうなれば当然、自分は……。

 春海の心は、急速に広がった影に押し潰されそうになる。一人で震えながら、叫びだしそうになるのを必死にこらえていた。

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