赤ずきんか狼か

赤ずきんちゃん

送り狼

 森は今日も静かだった。枝葉の隙間を抜ける風が頬を撫で、足元の土は柔らかい。私は赤い頭巾を被り、バスケットを提げて森を歩いていた。中には花と山菜。摘み慣れたそれらの重みが、手に心地よい。

 私は鼻を鳴らし、空気を吸い込む。湿った土と苔、樹皮の匂い。その中で微かに異質な気配を感じて、私は足を止めた。

 木々の切れ目に人がいた。

 青年だった。ひとりきりで木の根元に立ち、何かを見つめている。森に溶け込んでいるようでどこか浮いている。

 その姿に私は少し距離を保ったまま、声をかけた。

「こんにちは」

 青年がこちらを向く。細い目。鼻筋の通った顔。綺麗な顔立ちをしているのに感情の起伏を感じさせず、どこか冷たい印象を覚えた。

「こんな所で、何をしているんですか?」私は問いかける。

 彼は少し間を置いて、答えた。

「それは、君も同じだろう」

 一瞬きょとんとして、それから私は笑った。

「たしかに」

 私は一歩、前に出る。

「私、レイン。あなたは?」

「ウィルだ」

「ウィルね。よろしく」

 彼は軽く頷くだけだった。

「ウィルは、ここで何をしてたの?」

「絵を描いていた」

「絵?」

 私は目を輝かせる。

「へえ、絵描きさんなんだ」

「……まあな」

 歯切れの悪い返事だったが、否定はしなかった。

「私はね、お婆ちゃんのお見舞いに行ってたの」

 そう言って、バスケットを持ち上げる。

「腰を悪くしちゃって。お母さんは忙しいし、私が行った方が喜ぶかなって。だから、これ」

 花の香りがふわりと広がる。

 ウィルは黙って私を見ていた。

 何を考えているのか分からない。でも、目は逸らさなかった。

 私は少しだけ迷ってから、思い切って言った。

「ねえ、ウィル。この先の森を抜けたところに家があるんだけど……そこまで、送っていってくれない?」そう言って、彼を見つめる。

 ウィルは露骨に顔をしかめ、ため息をついた。けれど私の軽装と細い腕をちらりと見て、また息を吐く。

「分かった。少しだけなら」

 一瞬、耳を疑った。

「ほんと?」

「ああ」

「ありがとう!」思わず声が弾む。

 こうして、私たちは並んで歩き出した。森の奥へと続く道を。

 道すがら、私は彼にいくつも質問を投げかけた。

「毎日、絵を描きにきているの?」「どんな絵を描くの?」と。

 ウィルは露骨に面倒そうな顔をしながらも、無視はしなかった。

「気が向いたときだけだ」「風景だ」と短い言葉で答えながら、それでも歩調を合わせてくれる。

 森の奥へ進むにつれ、木々は密度を増し、光は細くなっていく。それでも彼は迷うことなく進み、やがて視界が少しだけ開けた場所に出た。

「この先だろう」

 私は足を止め、振り返る。

「ありがとう」

 その瞬間だった。突然、腕を掴まれ、強く引かれる。背中が木の幹に打ちつけられ、冷たい樹皮の感触が伝わってくる。

「こんな所で女が一人、襲われないと思ったのか?」

 思わず目を見張ったが、すぐに彼の表情を見て理解した。怒りでも欲でもない、暗く沈んだ目。

「そう、だよね。心配してくれてありがとう。けど、大丈夫だよ」

 今度は彼のほうが驚いたようだった。

 私は押さえつけられている左腕とは反対の手で、そっと彼の身体に触れ、制する。力を込める必要はなかった。彼ははっとしたように身を引き、距離を取る。

 私は左の手首を擦りながら、彼に向き直った。

「私ね、こう見えて人を見る目には自信があるの。あなたは優しい人だから、大丈夫。私も誰にでもこんな油断しないよ。あなたなら大丈夫だって、そう思ったから。だから、ね?」

 ウィルは何も言わず、俯いたまま小さく頷いた。そして踵を返し、来た道を戻っていく。

 私はその背中を見送る。胸の奥に、言葉にできない違和感が残った。風に混じって、森の匂いとは異なるものが微かに漂っていた。

 それから、私はバスケットを持ち直し、家の方へと歩き出した。

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