ありふれた異世界転移

VENUS

第1話

 気がつくと、そこは見知らぬ草原だった。


「・・・は?」


 所田ところだ慎太朗しんたろうはゆっくりと体を起こした。


 さっきまで、俺は確かにオフィスにいた。

 深夜残業の帰り、ビルの階段で足を踏み外した記憶がある。それなのに目の前には、異様に大きな月が浮かぶ蒼い空。


「夢・・・じゃねぇよな」


 ぶっちゃけ、夢だとしても何の問題も無い。

 その場合、俺は今、階段で気を失ってる事になる。運が良ければ救急車で運ばれて病院のベットの上だ。クリスマスだというのに残業を押付けられたのだ。仕事を数日休む口実にはなるだろう。

 とはいえ、46歳で家族はいない。恋人もいない。独身同士で傷を舐め合うような友人もいない。クソみたいなクリスマスを自宅にひきこもって過ごすより残業をしている方が、俺の精神衛生上健全だった。と思いたい。

 まさか俺だけに全ての残業を押付けて全員帰社するとは思って無かったけどな。


 額を押さえながらぼんやりしていると、耳の奥に直接響くような声がした。


《適合者を確認。特権能力『分解と再構築』を付与します》


「は?」


 しばし呆然。




 気づけば俺の視界には不思議な文字列が浮かんでいる。


 試しに足元に落ちていた小枝に触れてみると・・・・・・構造図が脳裏に流れ込み、魔力が指先に集まる感覚が走った。


「なっ、・・・なんじゃこりゃぁぁぁ!!」


 まさかの、異世界転移ってやつか?

 元の生活に未練なんてないけど、異世界とか唐突過ぎる。神様にも女神様にも会ってねぇだろっ!

 今日がクリスマスって事を考慮したら、サンタさんやキリストの方が最適なのか?


「あ。クリスマスプレゼントが異世界転移だったのか」


 マジで要らねぇ。そういうのは46歳のおっさんじゃなくて、高校生にプレゼントしろよ。



 カサカサッ



 草むらが揺れた!

 現れたのは、鋭い角を持つウサギに似た動物。


「うお、マジかよ!」


 異世界なら角を持ったウサギが居ても可笑しくはない。ただ、このウサギに関しては角の有無以前にサイズが問題だ。どう見ても大型犬よりも大きい。ついでに考察すれば雑食、又は肉食だろう。


 逃げるか?

 逃げられるのか?

 階段から転げ落ちる程の運動不足なおっさんが逃げ切れるだろうか?


 ・・・絶対に無理。


 そう判断した瞬間、俺は手に持っていた小枝に能力を使っていた。次の瞬間、ただの小枝が鋭利な“即席スピア”へと姿を変えた。


「やるしかねぇーー!」


 ウサギは喉の奥で低く唸り、一気に跳びかかってきた。


 慎太朗は自分でも驚くほど冷静だった。サラリーマン生活で培われた“瞬時の判断力”が、こんなところで役立つとは思わなかった。



 ウサギが迫る。鋭い角、濁った目、獣臭い息。迫力に思わず足が竦みそうになるが、踏ん張って槍を突き出す。


 ガキィンッ!


 小枝で作ったはずのスピアが、まるで金属のような音を立てた。ウサギの角とぶつかり火花が飛ぶ。


 そのまま突進して来るウサギを、地面を蹴って横に転がりながら避ける。ウサギの角が風を裂き、先ほどまで立っていた場所の地面を切り裂いた。


「危ねぇ!」


 息を整える暇もなく、ウサギが向きを変えて突進してくる。


 俺は構えを取り直し、槍に意識を集中させた。


 もっと頑丈な槍を。もっと鋭い槍を。

 脳内にスパークするような感覚が走る。スピアの穂先が淡い光を帯び、形状がさらに洗練されていく。


 魔物が突っ込んでくる。


「うおおおおっ!」


 俺は雄叫びとともに槍を突き出した。


 ドンッ‼



 手応えと同時に衝撃が肩から腕に伝わった。槍はウサギの肩口を貫き、その勢いのまま地面へと押し倒す。


 ウサギが暴れ、慎太朗の体が揺さぶられる。


「ぐっ! 暴れるなっての!」


 全体重を乗せて槍を押し込み、地面に固定するように押さえ込む。やがてウサギの動きが弱まり、ついにはピクリとも動かなくなった。

 俺は息を切らしながら、しばらくその場に座り込んだ。


「勝った、のか・・・」


 ウサギに勝利したという事実を理解するのに、数秒かかった。

 そして、じわじわと実感が込み上げてくる。


「・・・最初はスライムにしてくれよ!」



 荒い息を整えながら、慎太朗は倒れたウサギに目を向けた。


「さて。異世界なら、こういう素材って高く売れたりするんだよな?」


 誰に聞かせるでもない独り言をつぶやきながら、槍を引き抜く。血が飛び散り、少しだけ胸が痛む。だが、生きるためにはやるしかない。


「よし、やってみるか。分解・・・できるのか?」


 ウサギに手を触れると、例の“構造図”が脳裏に浮かび上がった。骨格、筋肉の構造、魔力が集まっていた臓器も、見えなくてもなぜか理解できる。


 うわッ、キモッ!


 便利だけど、マジでヤバそうな能力だ。

 軽く意識するだけで、不要な部分と使える部分が自動的に仕分けられていく。


 《対象を分解しますか?》


 という文字が浮かんだ。


「・・・します」


 答えた瞬間、ウサギの身体がふわりと光に包まれ、まるで砂がこぼれるように解けていく。残ったのは、ほんの数つの素材だった。


 ・角ウサギの角

 ・硬質な毛皮

 ・魔力を帯びた小さな魔核


「これが、素材?」


 それらを手に取ると、さらに文字が浮かんだ。


《再構築の候補を表示します》


 すると、次々にアイデアが脳内に流れ込む。


《初級防具:レザー・ジャケット》

《簡易魔力炉:魔核ランプ》

《武器強化素材:角のスピア》


「作れるのか? 俺に?」


 恐る恐る毛皮に「防具になれ」と念じる。すると毛皮が淡い光に溶け、形を変え、肩掛けジャケットとして再構築されていく。軽く、丈夫で、ほんのり暖かい。


「うわぁ。本当に出来ちまったよ」


 着てみると、身体にぴったり吸いつくように馴染む。魔力の流れを整える補助効果までついているらしい。


「サラリーマン時代、こんな便利機能あったら苦労しなかったよな」


 苦笑しつつ、次は魔核に「ランプになれ」と念じた。

 魔核は小さな金属製のランタンに再構築され、内部に魔力の炎が灯った。実際の火ではなく、熱くもない。それなのに周囲をしっかり照らす。


「すげぇ・・・これ一つで夜は困らなそうだ」


 角は即席スピアの先端に埋め込こまれるように再構築され、武器として強化された。


「よし。ちょっとだけ、異世界で生きる準備が整ってきた感じするな」


 俺はジャケットの襟を整え、ランプを手に立ち上がる。

 太陽が沈みかけ、草原に影が伸びていた。


「とりあえず、寝床を探すか。できればウサギのいない場所が良いな」


 46歳のおっさんのサバイバルは、まだ始まったばかりだ。



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