第2話

 現れたトリストラム公爵は、水色がかった銀髪に若々しい容貌の男だった。とはいえ、純粋なエルフは老化しないため、見た目から年齢を掴むことはできない。そもそも千年前からアルトゥールに仕えているというだけあって、見た目では判断できない老獪さを秘めていた。


「お誕生日おめでとうございます、ルフェ嬢」


 トリストラムは空色の瞳を細め、手にした花束を差し出した。


 中心が白く、外側になるほど紅い不思議な色合いの薔薇だった。それを受け取り、ミカエルシュナは何とか笑みを作る。


「ありがとうございます、公爵閣下。それで、あの⋯⋯一体どういうご用件で?」

「ああ、その前に誕生日祝いをお受け取りください」


 トリストラムの指示で、彼の侍従が次々と煌びやかな箱を運んできた。目を丸くするミカエルシュナとゴロワントに、トリストラムは微笑みを向ける。


「全て、さるお方がルフェ嬢のために選んだ品です」

「っ、お待ちください。さるお方とは、まさか」


 ゴロワントの声は震えていた。


 トリストラムが敬う相手など、ひとりしかいない。


「ええ。全てアルトゥール陛下から、ルフェ嬢宛ての贈り物ですよ」

「なっ⋯⋯⁉」


 絶句する父に代わり、ミカエルシュナは声を上げた。


「なぜ、国王陛下が一介の令嬢にこのような贈り物をなさるのですか? わたくしは、かの方と面識も無いと記憶しているのですが」

「これは、ご謙遜を」


 トリストラムは首を傾げた。


「ルフェの宝石、女神の愛し子と呼ばれる貴女を、一介の令嬢などととても呼べませんよ」

「⋯⋯そもそも、公爵閣下にそのように敬語で話される理由も無いのですが」


 不可解そうに尋ねるミカエルシュナに、トリストラムは笑みを深めた。


「そんなことはありません。貴女はいずれ、陛下と並び立つ方なのだから」

「は⋯⋯?」

「アルトゥール陛下は、貴女を妻に迎えたいとお考えです」


 今度はミカエルシュナが絶句した。表情を強張らせ、トリストラムと贈り物を見比べている。


 これに待ったをかけたのは、我に返ったゴロワントだった。


「しかし、ミカエルシュナは──我が娘は、ルフェ家の後継者です。いくら国王陛下といえど、辺境伯の後継者を妻に迎えることはできません」

「あくまで後継者でしょう? 親戚にでも任せて、嫁がせることはできるはずだ。と、王妃の座。どちらが優先されるかは、一目瞭然のはずです」


 この言葉に、ミカエルシュナは眉をひそめた。


「公爵閣下は、我が家の後継を取るに足らないとお考えなのですか」

「ええ。些末なことでしょう?」

「⋯⋯撤回していくださいませ」

「ん?」

「いくら公爵閣下といえど、我がルフェ家を軽んじる発言を看過するわけには参りません」


 ミカエルシュナは物心ついた頃から、ルフェ家を継ぐのは自分だという思いで努力してきた。それはルフェ家と、この家が治める領地を誇りに思っていたからこそだ。


 その両方を軽く見るような発言は、どうしても無視することはできなかった。


「公爵閣下、わたくしはルフェ家を継ぐ者です。国王陛下にふさわしくありません。どうかはほかの方を探してくださいませと、そうお伝え願えますか」


 積み重なった箱と、手にしていた薔薇の花束を指し示し、ミカエルシュナは微笑んだ。


「これらはお返しします。どうぞ、ふさわしい方にお贈りくださいませ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 トリストラムは、一瞬無表情になった。だが、すぐに、にっこりと微笑む。


「では、一旦持ち帰りましょう。ですが、諦めたわけではありません。陛下は、必ず貴女を連れてくるようにと仰せですから」

「それは⋯⋯どういう」

「では、また


 そう言って、贈り物と共にトリストラムは屋敷から去っていった。


    ───


 ──やってしまったかしら⋯⋯


 昨夜のことを思い出すにつけ、ミカエルシュナはそう思ってしまう。


 誕生日の翌日、いつも通り森の祠にお祈りをしに来たミカエルシュナは、トリストラムの言動が気になってしまい、どうにも集中できずにいた。


 断ったことに後悔は無い。だが、それによってトリストラムの不興を買ってしまっては意味が無いのではと思ってしまう。


「はあ⋯⋯成人したというのにこれでは、わたくしもまだまだなのね」


 母がいたら、と不意に思ってしまう。


「お母様がいたら、やんわりお断りする方法を教えていただけたのかしら」


 亡くなった母を思い出し、ミカエルシュナは切なくなってしまう。


 エルフにとって、十年前というのはほんの最近の話だ。母を喪った哀しみをすぐにでも思い出せる。


 母の柔らかな笑みを思い出していたミカエルシュナだったが、不意に聞こえてきた声に顔を上げた。


「なあに?」


 虚空に声をかけると、ぽう、と小さな光が灯った。それは人の形を取り、やがて緑の肌をした男女どちらにも見える中性的な存在に変化する。ミカエルシュナと契約している精霊だった。


“ミカエルシュナ ニげて“

「え?」

“あのオトコがキた ミカエルシュナ ツれていくために“


 精霊はミカエルシュナの手を取り、ぐいぐいと森の奥へと引っ張ろうとする。それに逆らって、ミカエルシュナはふよふよと浮かぶ精霊を見上げた。


「ちょっと待って! 連れていくって、誰が⋯⋯」

“オウをナノるエルフの ソバにいるオトコ“

「それって⋯⋯まさか」


 ミカエルシュナの脳裏に、トリストラムの姿が浮かんだ。諦めているとは思わなかったが、昨日の今日で来るとは思わなかった。


「だったらなおさら、行かなければならないわ。納得していただくまで、話し合わないと」

“ダメ ハナしアいなんて できない“

「どうして?」


 ミカエルシュナが尋ねると、精霊は白目の無い碧い瞳を哀しげに歪ませた。その目に、ミカエルシュナの中で嫌な予感が膨らむ。


「何があったの? トリストラム公は、一体?」

“あのオトコ コロした“


 精霊は無機質な声に苦々しげな色を乗せた。


“ゴロワント コロした“

「⋯⋯え⋯⋯?」

“イマも このチにいるニンゲン コロしてる“


 呆然とするミカエルシュナに、精霊は容赦無く状況を伝えた。


“たくさんのニンゲン ツれてきて コロしてマワってる“


 その言葉を聞いた瞬間、ミカエルシュナは走り出していた。

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