第4話 理由

夏夜は、思いのほか更けていた。

むっとした湿気と熱が籠もる中、時折、縁側から涼やかな風が抜けていく。庭では様々な虫が音色を奏でている。


昼間の喧騒が嘘のように、家の外は静まり返っている。

おばさま達の襲来の後、大佐とレイの買い物に出かけたのだが、正直、大佐の金銭感覚を舐めていた。危うく破産しかけるところだった。


食事を終えた九郎は座卓の前で湯のみを持ったまま、しばらく黙り込んでいた。

千歳は縁側で正座を崩し、レイはその少し後ろ、猫を膝に乗せて視線を室内と外の両方に向けて、警戒をしながらも猫を愛でていた。


――ずっと、気になっていたことがある。


「……大佐」


九郎が口を開くと、千歳は視線だけを向けた。


「“逃げてきた”と言いましたよね」


湯のみを置く音が、やけに大きく響いた。


「どういうことですか」


千歳は、ほんの少しだけ目を細めた。

一瞬、昔と同じ――作戦前の顔になる。


「全部は話さないぞ」


「それで構いません。俺ももう当事者でしょう?」


千歳は、ふっと息を吐いた。


「相変わらず面倒なやつだ」


そう前置きしてから、ぽつり、ぽつりと語り始める。



「なあ、九坊、今の世界をどう思う?各地で戦争が起こっていて、たくさんの市民や兵士が死んでいる。何のために彼らは戦っているんだと思う?

…無いんだ、理由なんてな。勿論、表向きの理由はある、やれ政治不信だ、侵略だとな…本当は各地で起こっている戦争はな、もう“目的”を失っているんだよ」


千歳の声は低く、淡々としていた。


「各国の軍上層部、軍事企業、特殊部隊、出資するパトロン共……連中は戦争が終わると困る。

終わらなければ、予算も、権限も、影響力も手に入る。要は『更に戦争する為に戦争してる』のさ」


九郎は黙って聞いている。


「私は、それを裏から洗っていた。確固たる証拠を掴めば、上を動かせると思ってな」


「……それで、結果は?」


「黒だらけだ。いや、黒しかないと言った方がいいか。」


即答だった。


「結局、あいつら自身が黒でも、白といえば白なのさ。戦争は“必要悪”じゃない。“商品”だ。売れる限り、終わらせる理由がない」


千歳は視線を天井に向ける。


「それと――もう一つ、戦場で妙なものを見た」


九郎の背筋が、わずかに強張る。


「ある戦地で、生身の兵士が義体兵の腕を――素手で引き裂いた」


「……は?」


「義体部分だ。装甲も入っている。普通の人間には不可能だ」


一瞬、レイの視線が千歳に向いた。


「調べると、宗教組織が絡んでいた。“人間教原理主義”――聞いたことはあるか」


九郎は首を振る。


「人は須く生身であるべきだ、という連中だ。世界で少しずつ増えている。ただ、思想がな…義体化、AI、アンドロイド……全部“人間への冒涜”だと」


千歳は自嘲気味に笑う。


「皮肉な話だ。その連中が、誰よりも人間離れした力を持っていた。おそらくあれは薬物、あるいは後天的遺伝子操作だろうな」


軍。

企業。

宗教。


三つの異なる立場が、別々の理由で同じ戦争を必要としている。


「――いつも、死ぬのはそいつらじゃない」


千歳の声が、ほんのわずかに低くなる。


「現地の兵士と、市民だ」


沈黙が落ちる。


九郎は、ゆっくり息を吐いた。


「……それで、義体化を?」


「ああ」


千歳は、こともなげに言った。


「すこし追っ手にやられてな。ちょうどドクが“全身義体化”の被験者を探していた」


「……」


「追っ手を巻くには、ちょうどよかった」


さらりとした言い方だった。


「軍も、私を危険人物扱いにした。せっかくだ、と思ってな。最新鋭のアンドロイドを一体拝借して、失踪してやったよ」


千歳はレイを一瞥する。


「今の私はMIA(作戦行動中行方不明)というやつだ」


九郎の喉が鳴る。


「……追っ手が来る可能性は」


「ある」


即答。


「世界初の全身義体化人間と、最新鋭の戦闘用アンドロイドだ。どの組織も、喉から手が出るほど欲しい。軍としても確保したいだろうが…」


――その時だった。


レイの視線が、ふと宙を切った。


「――索敵用センサーに不審な反応」


声は低く、感情の揺れがない。


「外周、北側。歩兵五名。戦闘用ドローン無し。足取りに統一性がありません。訓練度は低め。

ただし、武装あり。実弾を携行している可能性が高いです」


空気が、張り詰める。


レイは立ち上がり、スーツケースを開いた。

内部に収められた可変式アサルトライフルを迷いなく取り出す。


続けて、大口径のハンドガンを取り出し、千歳に渡す。


「――九坊」


千歳が言いかけた、その瞬間。


「待ってください」


九郎の声は、低く、しかしはっきりしていた。


千歳が眉を動かす。


「……何?」


「ここ、田舎ですよ」


九郎は、玄関の方向を一瞥した。


「銃声なんて鳴らしたら、大事です。制圧は出来ますが、面倒事になりますよ。」


レイが首を傾げ、質問をする。


「敵対目標の排除が最優先では?この拠点が落とされてしまっては元も子もないのではないですか?」


「…排除“後”の生活も考えろ、と言うことだ。いいか、今は潜伏中の身なんだ。それに…銃弾の雨の中に猫を居させたくないだろ?」


レイはあたりを見渡す、猫は足元に擦り寄って震えていた。


九郎は、静かに台所へ向かった。


万能包丁を一本、手に取る。もう一本は、腰の後ろに差す。


そして――フライパン。


鉄製で、重い。

年季の入った、日常の道具。


「包丁は脅し用です。弾数消費ゼロでこの戦況を治めます。」


振り返り、短く言う。


「殺す必要はありません。“入る家を間違えた”って、骨身に染みさせるだけでいい。」


一瞬の沈黙。


千歳は、やれやれと肩をすくめた。


「……分かったよ。九坊、いつも通りにしよう。


――これより目標(ターゲット)との交戦を開始する。

敵影は5。繰り返す、敵数は5だ。

本任務において実弾の使用は厳禁とする。

非殺傷兵器(ノン・リーサル)にて、速やかに制圧せよ」


「了解」


千歳はハンドガンをレイに投げて預け、部屋の電気を落とす。

九郎の影は、闇へとぬるりと溶けていった。


「レイ、九坊の言う通り実弾は使うな。一般市民の邸宅を襲うだけだ、正面から3、勝手口から1、後方支援1と言うところだろう。正面は九坊に任せろ、裏口と後方支援しているやつを叩け。殺すなよ?お前の実力、見せてくれ」


「了解しました。あの…猫はおまかせしても良いですか?」


レイは、アサルトライフルをスーツケースに戻し、足元の猫を持ち上げ、千歳に渡す。


「分かった、お前達二人にすでにこの戦闘は託している。私を動かせるなよ?」


レイの目が通常モードから暗視モードへ切り替わる。



外の闇に、足音が近づく。


砂利を踏む音。

低い声での囁き。

雑だ。警戒はしているが、覚悟が足りない。


侵入者は、“農家の家”だと思っている。


――それが、致命的な誤算だった。


ハンドサインで合図を送りながら3手に別れる。

玄関から侵入してきた一番員は、土間を右手に回りながら玄関を物色する。


身なりと戦闘経験の浅さから察するに傭兵崩れ、隣町に野盗まがいのことをしている連中が流れてきた、と言う噂があったがそいつらだろう。


二番員は左手周りに、3番員は後ろからゆっくり土間の中央に侵入してきた。


一番員と二番員が安全を確認し、侵入者達の気が一瞬緩んだ。


次の瞬間には、既に九郎は三番員の背後に立っていた。


口に手を当て、一気に首を締め上げる。

脳への酸素供給が絶たれ、一瞬で意識が落ちる。


わずかな物音を手掛かりに他の兵士はライトを向けるが、そこには口から泡を吹いて倒れている兵士しかいない。


反撃など想定していない侵入者達は、既に冷静さを失っていた。手当たり次第にハンドライトであちこち玄関を照らすが、何も居ない、何の音もしない。

その静寂が不気味だった。


ふと、一番員が土間に背を向け、奥の部屋を照らそうと背後の警戒を緩めたその時、突如闇から現れた九郎がフライパンをフルスイングした。


兵士の側頭部に一切の迷いなく振り抜いたフライパンが当たり、鈍い音を響かせる。


一撃で昏倒する侵入者。直ぐに二番員が気づくも、振り向いた眼前数センチを万能包丁が掠めていく。


「あ――」


あまりの恐怖に思わず動きが止まる。もう既に九郎は背後でフライパンを振りかぶっていた。


「…作戦、完了」


九郎はそう呟いた。


フライパンの凹み、後で確認しておこう。



レイは二人に言われた言葉を反芻していた。


「銃弾の雨の中に猫を居させたくないだろ?」


「お前の実力を、見せてくれ」


制圧を期待されている、そして、任せているとも言われた。

猫を危険なところに居させたくない、とも思った。


戦場では感じたことのない感覚。

ただ、目の前の敵を殺して壊して、そんな記憶を並列化していた頃には感じた事がない。


よく分からない…けど、なんだか温かい感覚。

全身の出力レベルがスムーズに高まる感じがする。


安全ルートと勘違いし、勝手口をピッキングで開けて侵入してきた愚か者に、思いっきりビンタを叩き込む。

首が半回転して意識を遥か彼方に吹き飛ばす。


最後の後方支援の兵士を捕えるのに外に出る。

…見つけた。こちらに気付き、即座に手に持つハンドガンの照準を合わせようとするが、それより早く距離を詰める。


ハンドガンを持つ手を絡め取り、手首関節を極め、重心を見切り、そのまま地面に叩きつけた。

倒れた男の手から、拳銃が転がる。


最早、その技は芸術と言っても良いくらい、流麗であった。



そこからが大変だった。

侵入者達を縛り上げ、警察に連絡。駆けつけた警察による事情聴取。これは朝までかかるかと思われたが、大佐の一言で警察もあっさり帰ることとなる。


「私、眠たい。九郎、まだ警察は帰らないの?」

間違いなく、眠たい幼女の発言なのだが、何故か全員背筋に薄寒いものを感じたのだろう。そそくさと帰っていった。


家の中には、再び静寂が戻ってくる。

これは明日も根掘り葉掘り聞かれるだろうな。そんな風に感じていた。


九郎は、フライパンを見下ろし、息を整えた。


「……凹みはないな。」


千歳が、小さく笑った。


「まさか戦場でフライパンを見るとは思わなかったぞ」


「道具の手入れも怠っていませんから、これも貴女の教えです」


レイは、猫を抱き抱え縁側で座っている。


「怖かったですか?大丈夫、あの程度なら私が守れます。」


猫はゴロゴロと喉を鳴らせ、甘えている。


――ここは、俺の家だ。


守る覚悟は、もうできている。

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