第16話 魔導砲の代償とオネスティー家の秘密の儀式
「キャアアアア! あなたは誰ですかぁぁぁ!?」
絶海の孤島近く、岩礁地帯のど真ん中。
俺の目の前で、いつもは絶対零度の冷静さを誇るサクラが、怯えた小動物のように震えている。
記憶喪失か、あるいはパーツ取り付けによるシステムエラーか。
俺が「お、俺だよ! ご主人様だよ!」と必死にアピールしようとした、その時だった。
ズズズズズ……ッ!
船底から、地響きのような振動が伝わってきた。
海面が盛り上がり、まるで小さな島が浮上してきたかのような錯覚を覚える。
だが、それは島ではなかった。
ぬらりと光る巨大な皮膚。船のマストほどもある太さの触手が、一本、二本、三本……数え切れないほど海面から飛び出し、天を突いた。
「う、うわあぁぁぁぁッ!!」
俺の喉から、サクラの悲鳴を上回る絶叫がほとばしった。
知っている。俺はこの魔物を図鑑で見たことがある。
海の悪夢。船乗りのトラウマ。
クラーケンだ。
先日の巨魚やサーペントなど、メダカに見えるほどの威圧感。
終わった。俺の人生、ここでイカの餌になって終了だ。
「ご、ご主人様……申し訳ありません、見逃していました……」
震える声が聞こえた。
見ると、サクラが青ざめた顔で、ふらふらと立ち上がっていた。
記憶が混乱しているはずなのに、脅威を前にして本能が警鐘を鳴らしたのか、彼女は虚ろな目で船首の方へと手を伸ばした。
「サクラ!? 無理だ、逃げよう! いや、逃げ場なんてないけど!」
「……排除、します」
サクラの指先が、空中で何かを操作するように動く。
すると、先ほど取り付けたばかりの巨大な「武器」――錆を落とし、鈍く輝く金属の塊が、ウィーンという駆動音と共に変形した。
砲身が伸び、先端が裂けるように開き、その奥でどす黒い光が収束していく。
「魔導砲、接続。充填率、強制最大。……発射」
ドォォォォォォォンッ!!
鼓膜が破れるかと思うほどの轟音。
船全体が激しく後退し、俺は甲板に転がった。
船首から放たれたのは、大砲の弾ではない。極太の、純粋な魔力の奔流だった。
その光の帯は、クラーケンの巨体へと一直線に突き刺さる。
ジュワアアアアッ!
断末魔の叫びすら上げさせない圧倒的な熱量。
クラーケンの太い触手が数本、根元から蒸発し、胴体の一部が抉り取られた。
海面が沸騰し、視界が白い蒸気で埋め尽くされる。
「す、すげぇ……」
一撃だ。
あの巨大なクラーケンを、たった一撃で退けたのか。
蒸気の向こうで、傷ついたクラーケンが恐怖に駆られたように海中深くへと潜り、逃げていく気配がした。
助かった。
奇跡だ。
俺はへなへなと座り込み、安堵の息を吐こうとして――凍りついた。
「サクラッ!?」
砲撃の直後、糸が切れた操り人形のように、サクラがその場に崩れ落ちていたのだ。
俺は慌てて駆け寄った。
抱き起こしたその体は、恐ろしいほどに冷たく、そして軽い。
顔色は白を通り越して透明になりそうで、呼吸も浅い。
「サクラ! おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?」
倒れている女性に対して「大丈夫か」なんて間抜けな問いかけしかできない自分が情けない。
サクラは薄く目を開け、俺を見た。その瞳には、いつもの光がない。バッテリー切れの玩具のように、今にも止まりそうだ。
「……ご主人、様……」
「おう、俺だ! ここにいるぞ!」
「……魔素が……切れ、そうです……」
「え?」
「あの砲撃で……予備魔力まで……すべて、使い果たし……」
サクラの声が途切れがちになる。
魔素が切れる? それはつまり、ホムンクルスとしての活動停止――「死」を意味するのではないか?
「どうすればいいんだよ!? 薬か? 魔石か?」
「……ご主人様の、魔素を……分けて、ください……」
「俺の!?」
俺はパニックになった。
俺は魔法使いじゃない。魔力なんて意識したこともない。
どうすれば分けられる? 手を握ればいいのか? 輸血みたいにするのか?
「どうすればいいんだ! やり方を教えてくれ!」
「……こうすれば、大丈夫です……」
サクラの瞳が、ふらりと揺れた。
焦点が定まらないはずの瞳が、俺を捉える。
その奥に、生存本能という名の、昏い炎が見えた気がした。
「ご主人様は、オネスティー家のご嫡男……曽祖父様よりも、濃い魔素をお持ちのはず……」
「へ?」
ドンッ。
次の瞬間、俺は甲板に押し倒されていた。
瀕死のはずのサクラが、信じられない馬力で俺の上に覆いかぶさっている。
「ちょ、サクラ!? 何をして……」
「……いただきます」
そこからの記憶は、正直なところ定かではない。
ただ、一つだけ言えることは。
俺の純潔は、クラーケンよりも恐ろしく、そして甘美な捕食者によって奪われたということだ。
抵抗? できるわけがない。
相手は魔導船を操るホムンクルスだ。
俺は、ただただ翻弄され、搾り取られ、そして――散った。
失ったものはチェリーだけではない。もっと大切な、男としての尊厳のようなものを、あの岩礁地帯に置いてきた気がする。
◇
「旦那様♡ おはようございます!」
翌朝。
小鳥のさえずりならぬ、カモメの鳴き声と共に俺を目覚めさせたのは、まばゆいばかりの笑顔だった。
キラキラと後光が差している。
肌はツヤツヤ、髪はサラサラ。生命力に満ち溢れた美女が、エプロン姿で俺を覗き込んでいた。
「……え?」
俺は自分の目を擦った。
誰だ、この可愛い生き物は。
サクラだ。間違いなくサクラだが、OSが違う。
いつもの「ゴミを見る目」がない。代わりに、ハートマークが飛び交いそうな熱烈な視線が注がれている。
「朝食のご用意ができておりますわ、旦那様♡」
「だ、旦那様……?」
「はい! 昨夜、あんなに熱烈に愛していただいたのですもの。当然の呼び名ですわ!」
サクラは頬を染めて、もじもじと身をくねらせた。
俺の脳内で、昨夜の記憶がフラッシュバックする。
あれは「愛した」のではない。「捕食された」のだ。
俺は干からびたミイラのように憔悴しきっていたが、逆にサクラは満タン充電完了といった様子だ。
その後、俺は甲斐甲斐しく世話を焼かれながら(という名の介護に近い)、事の顛末を聞かされた。
「実は、ずっと魔素不足の省エネモードだったのです」
サクラは食後の紅茶を淹れながら、衝撃の事実を語り始めた。
なんでも、彼女を動かすための魔素供給は、代々のオネスティー家当主の「役目」だったらしい。
だが、俺の親父は、お袋と結婚したのを機に、サクラへの「供給」を止めてしまったそうだ。
お袋の嫉妬もあっただろうし、親父自身も男として色々と思うところがあったのだろう。
「では、どうやって今まで動いていたんだ?」
「先々代様――旦那様の祖父様のおかげです」
サクラは遠い目をした。
祖父さんは、とてつもない精力……もとい、魔力をお持ちだったらしい。
親父が大人になるまで、それこそ毎日のようにサクラに魔素を注ぎ込み、タンクを限界突破させていた。
その遺産(貯蓄魔素)と、親父の筆下ろし時に回収した分で、サクラはどうにか今まで稼働していたのだという。
まさに自転車操業ならぬ、遺産食いつぶし操業だ。
「ですが、最近は限界が来ていました。そこへ、あの魔導砲です」
「ああ……あの一撃か」
「はい。あれは私が拾ってきた『武器』でしたが、燃費が最悪でした。一発撃てば、私の全エネルギーを持っていかれる欠陥兵器です」
それで、昨日の緊急事態になったわけだ。
サクラは俺の足元に跪き、上目遣いで謝罪した。
「許可も取らず、半ば無理やりに旦那様の初めてを奪ってしまい、申し訳ありませんでした。あの時は、本能が理性を上回ってしまい……」
「い、いいよ。助かったし……」
「はい。ですが、一度では足りず、二回目は懇切丁寧に搾り取ってしまったことも、重ねてお詫び申し上げます♡」
そう。
一回目は野獣のような捕食だったが、二回目は……すごかった。
完全にエネルギー切れを起こしていたサクラが、俺から効率よく魔素を吸い上げるために、手取り足取り「大人の階段」を教えてくれたのだ。
筆下ろしなんて生易しいものではない。あれは「魔力譲渡技術講習会(実技)」だった。
おかげで俺は、一夜にしてカッパー級の商人から、ベッドの上ではミスリル級の男へと成長(強制進化)させられた気分だ。
「つまり、これからは定期的に……その、補充が必要ってことか?」
「はい。特に魔導砲を使う場合は、必須になります。魔導船を動かすだけでも消費しますので、これからは毎晩……いえ、一週間に数回は、濃厚な接触をお願いいたします」
サクラが妖艶に微笑む。
俺の背筋に、ゾクゾクするような快感と、寿命が縮むような予感が同時に走った。
オネスティー家の男たちは、こうして短命……いや、精力を削られていく運命なのか。
しかし、話はこれで終わらなかった。
サクラは最後に、とんでもない爆弾発言を投下したのだ。
「それにしても、さすがはオネスティー家の血筋です。曽祖父様を思い出しました」
「ひいじいちゃん、そんなに凄かったのか?」
「はい。私はこの世界で言う『超古代文明の遺物』です。発見された当時は、エネルギーが枯渇しており、指一本動かせない状態でした」
「うん、そうだろうな」
「そんな私を発見した曽祖父様は、確かにヘタレで戦闘能力はありませんでしたが……その、性欲がお強かったのでしょうね」
サクラは頬を染めて、とんでもないことを口走った。
「全く動かない、死体のような私に対して、たっぷりと魔素を注いでくれましたので……」
「……あ!」
俺は声を上げた。
想像してしまった。
暗い海底洞窟かどこかで、微動だにしない美女の人形(サクラ)を見つけた曽祖父。
普通なら持ち帰って研究するとか、修理するとか考えるだろう。
だが、あのご先祖様は、そこで「行為」に及んだのだ。
「もし他人に見られていたら、完全に死姦と間違われるような光景だったでしょうね。ですが、その執念深い愛(性欲)のおかげで、私は再起動できたのです」
「うわぁぁぁぁ……」
俺は両手で顔を覆った。
偉大なる創業者の曽祖父さん。
魔導船を持ち帰り、家を興した英雄。
その真実が、まさか「動かない美女人形を見つけて興奮した変態」だったとは。
オネスティー(誠実)という家名が泣いている。いや、ある意味、自分の欲望に誠実すぎたのか。
「旦那様も、その素晴らしい血を受け継いでいますよ♡」
「褒め言葉に聞こえないから!」
俺は絶叫した。
だが、サクラのこの元気な姿と、船を守るための魔導砲。そして何より、俺自身の命。
それらがすべて、ご先祖様の変態的な行いの上に成り立っていると思うと、感謝すべきなのか軽蔑すべきなのか、複雑な心境だった。
こうして、俺とサクラの関係は、新たなステージへと進んだ。
主従関係? ビジネスパートナー?
いや、これからは「魔力供給源(バッテリー)」と「高性能消費端末」という、切っても切れない運命共同体になったのだ。
俺は海に向かって誓った。
いつか立派な商人になって、精のつく高い薬をたくさん買おう、と。
そうでなければ、この魔導船の旅は、俺が干からびるのが先か、目的地に着くのが先かのチキンレースになってしまうからだ。
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