英雄の鎧

あれから、レオンは放課後になると特別カウンセリング室へ顔を出すようになった。


最初は「近くを通っただけだ」とか「お前の報告義務を監視してやる」などと憎まれ口を叩いていたが、三日も経つと、黙っていつものソファに座り、私が入れたお茶を待つようになった。


「……この部屋は、静かだな」


今日のレオンは、カップの縁を指でなぞりながらそう呟いた。


外からは微かに、生徒たちの訓練の掛け声が聞こえてくる。けれど、ここは別世界のように時間がゆっくりと流れている。


「学園の端っこだからね。それに、誰も寄り付かないから」


私はカルテを書きながら微笑んだ。


レオンの心の色は、以前のような濁った灰色ではない。今は、少し不安定だが透明感のある青色をしている。


ただ、その中心にはまだ、硬く冷たい『芯』のようなものが残っていた。


「ねえ、レオン君。質問してもいい?」


「……なんだ、藪医者」


「藪医者じゃないわよ。……どうして、そんなに重たい鎧を着ているの?」


レオンが怪訝な顔をする。今の彼は制服姿で、鎧など身につけていない。


「着ていないぞ」


「ううん、心の鎧の話。あなたはいつも、『完璧なレオン・ブレイブ』であろうとしている。弱みを見せたら崩れてしまうと信じている。それが、あなたを窒息させているのよ」


レオンは少しの間、沈黙した。そして、自嘲気味に笑った。


「英雄とはそういうものだ。誰も、泣き言を言う勇者なんて見たくない」


「そうかしら? 先日、ここで泣いて眠ってしまったあなたは、とても人間らしくて素敵だったわよ」


「なっ……! その話は忘れてくれと言っただろう!」


レオンが顔を真っ赤にして立ち上がる。私はくすくすと笑った。


「ごめんなさい。でもね、レオン君。弱さを見せることは、負けることじゃないの。鎧を脱いでも、あなたはあなた。誰も幻滅したりしないわ」


「……お前はそう言うだろうな。お前は戦わないからだ」


レオンは背を向けた。


「戦場で隙を見せれば死ぬ。仲間も死ぬ。だから、僕は強くあらねばならない。誰よりも」


彼の背中に漂う悲痛な決意。それは正しい。けれど、あまりに脆い正しさだ。


私は言葉を重ねるのをやめた。これ以上は、彼自身が気づかなければ意味がない。


「そうね。じゃあ、今日のセッションはこれまで。……これ、持っていって」


私は小さな巾着袋を手渡した。中には、乾燥させたカモミールとラベンダーが入っている。


「お守りよ。辛くなったら、この香りを嗅いで。ここはいつでも開いているから」


レオンは少し迷ったようだが、無言でそれを受け取り、足早に部屋を出て行った。


   *


翌日、演習場で大規模な模擬戦が行われた。


3人一組のチーム対抗戦。レオン率いるAチームの相手は、高学年の先輩たちだ。


観客席の隅で、私は固唾を飲んで見守っていた。


レオンの動きは鋭い。剣に魔力を纏わせ、目にも止まらぬ速さで敵を翻弄する。


だが、彼のチームメイトである二人の生徒は、明らかに萎縮していた。レオンの速度についていけず、連携が取れていないのだ。


「おい! 何をしている、もっと前に出ろ!」


レオンが叫ぶ。その隙を、敵チームの魔導士が見逃さなかった。


火球魔法が、孤立したレオンではなく、後方で怯える支援術式の生徒へ放たれたのだ。


「しまっ……!」


レオンの体勢からは遠すぎる。誰もが、支援術師の生徒が被弾し、脱落すると思った瞬間だった。


レオンは踵を返し、自らの攻撃を中断して全力で後方へ走った。


間に合わない――そう思われた瞬間、彼は剣を捨て、体ごと仲間の前へ滑り込んだ。


ドオォォン!


爆炎が二人を包む。観客席から悲鳴が上がった。


煙が晴れた時、そこに立っていたのは、ボロボロになった制服姿のレオンだった。


彼は背中で火球を受け止め、腕の中の仲間を完璧に守り切っていた。


「レ、レオン君……?」


守られた生徒が、信じられないものを見る目で彼を見上げる。


レオンは痛みに顔を歪めながらも、ニッと笑ってみせた。


「……怪我はないか? すまない、僕が突っ走りすぎた」


静まり返っていた演習場が、ざわめきに変わる。


あの「完璧で冷徹な剣聖」が、自分の身を盾にして、しかも謝ったのだ。


「立てるか? ……今度は合わせる。お前の強化魔法が必要だ」


レオンが手を差し伸べる。その手は泥だらけで、震えていた。


仲間がその手を掴む。そして、もう一人の前衛も駆け寄ってくる。


「いけるか?」


「ああ、やってやろうぜ!」


空気が変わった。


レオンを中心とした3人の魔力が、以前とは比べ物にならないほど有機的に繋がり始めたのだ。


『完璧な個』ではなく『有機的な群』としての強さ。


再開された試合の展開は一方的だった。


レオンは剣を持たずとも、的確な指示と仲間の援護で敵を圧倒した。そして最後は、支援魔法で強化されたレオンの徒手空拳の一撃が、敵の大将を沈めた。


「勝者、レオンチーム!」


審判の声と共に、歓声が爆発した。


レオンは仲間に肩を叩かれ、初めて見るような屈託のない笑顔を見せていた。


   *


放課後。


包帯だらけのレオンが、照れくさそうにカウンセリング室のドアを開けた。


「……勝ったぞ」


「見てたわ。素晴らしい試合だった」


私は新しい茶葉を用意しながら迎えた。


「剣を捨てて仲間を守るなんて、教官には怒られたけどな。『勇者らしくない』って」


レオンはソファに座り込み、天井を見上げた。


「でも、不思議と体は軽いんだ。……あの時、ポケットのお守りが香った気がした」


「それは良かった。魔法が効いたのね」


「魔法? ただのハーブだろ?」


「いいえ、あれは『勇気を出す魔法』よ。自分一人で背負い込まず、誰かを信じる勇気をね」


レオンはふっと笑い、私を見た。その瞳から、あの刺すような険しさは消えていた。


「……ありがとう、エルナ。少しだけ、鎧が軽くなった気がする」


私はカルテの2ページ目を開いた。


彼の心の色は、澄み切った青空のようなブルーに変わっている。


『患者番号1:レオン・ブレイブ。経過報告:認知の修正に成功。「個の強さ」への固執から脱却し、他者への信頼を獲得。治療進捗:良好』


鎧を脱ぎ捨てた英雄は、以前よりもずっと強く見えた。

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