第2話『守る』
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### エピソード「石ころ一つ分の正義」
富樫の口の端が、ほんのわずかに上がった。
「お前が投げた石ころ一つが、結果的に、奴を救った。…まあ、褒められたやり方じゃねえがな」
富樫はペン先を書類に向けたまま、まっすぐ少年を見据えた。
「よし。話はわかった。名前と歳を言え」
少年は一瞬戸惑いの色を見せたが、少し照れたように、しかしはっきりと自分の名前を告げた。取調室の冷たい空気が、人の体温を取り戻したように感じられた。
富樫は、ペンを走らせながら、ふと顔を上げた。その目から、先程までの穏やかさが消え、刑事の鋭さが戻っている。
「…ところで、お前に言っておかにゃならんことが、もう一つある」
「なんすか?」
少年の声に、警戒の色が混じる。
「お前が今日、ここに来なかったら…どうなっていたと思う」
「さあ…どうせカメラか何かで、おれたちがパクられてただけだろ」
少年は、ぶっきらぼうに吐き捨てる。だが富樫は、静かに首を横に振った。
「違うな。…お前たちが走り去った後、現場近くをうろついていた男が一人、署に引っ張られていた」
少年の眉が、かすかに動く。
「あの家の親父がな、『若い男が石を投げた』と喚き散らしたもんでな。近くにいたそいつに疑いがかかった。カメラの映像も不鮮明で、決め手に欠ける。だが…状況証拠だけで、真っ黒だ。本人も気が動転して、うまく話せなかったらしい」
富樫は、ペンを置いた。カタン、と小さな音が部屋に響く。
「**お前が黙っていたら、そいつが逮捕されていた。まったくの無関係なのにな**」
少年の顔から、すうっと血の気が引いていくのがわかった。
自分の行動がもたらした、予期せぬ波紋。仲間を庇うためでも、自分の罪を軽くするためでもない。ただ、自分の知らないところで、誰かの人生がねじ曲げられようとしていた。
「そんな…おれは、ただ…」
声が、か細く漏れる。
「わかってる。お前はただ、泣いている女を見て、腹を立てた。それだけだ」
富樫の声は、責めてはいなかった。淡々と、事実を告げるだけだ。
「だがな、一つの行動ってのは、自分が思ってもみない方向に水紋を広げる。今回は、お前の石が女を救うきっかけになった。だが同時に、誰かを犯罪者に仕立て上げる一歩手前だった。…わかるか?」
少年は、唇を固く結び、こく、と小さく頷いた。
正義感。そう信じていたものが、誰かを奈落の底に突き落とす凶器になり得た。その事実に、喉が渇き、言葉を失う。
富樫は、そんな少年を見て、ふっと息をついた。
「お前がここに来たのは、正解だった。誰かを救ったなんて自惚れるな。だが、誰かを陥れずに済んだことは、胸を張れ。…罪は償え。だが、今日の判断は、間違いじゃなかった」
富樫は椅子を鳴らして立ち上がり、取調室の扉へ向かう。
「よし、今日は終わりだ。詳しい話はまた明日聞く」
扉に手をかけ、振り返らずに言った。
「…お前が投げた石ころは、二人を救ったのかもしれねえな」
バタン、と重い扉が閉まる。
一人残された少年は、机に突っ伏した。
ヒーロー気取りだったわけじゃない。ただ、ムカついただけだ。
それなのに、自分の腕から放たれた一つの石が、誰かを救い、誰かを追い詰めていた。
その重さと意味を、少年は冷たい取調室で、一人噛みしめていた。
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