第5話 四面楚歌

「おい」


 どうやらアシュによって拉致されてきたと云うのに、この少女は一体。馬鹿なのかと首を更に傾げながらも、ゲンジは突っ込んでしまう。


「お前、今の自分の状況理解出来てる?」


 自分に向けられている哀れみのような視線には気がつかず、涙花はゲンジに倣うよう首を傾げ身を起こした。少々縺れているとはいえ、綺麗な漆黒の髪がさらりと揺れる。


 オルカは無意識のうちに懐に忍ばせてある道具へと手を遣る。


「あら」


 最初に口を開いたのはリディアだった。氷の棺に一瞬目を遣って少女を見つめる。


「へぇ、そっくりだね」


 言いながら氷の棺を覗き込んだのはリオン。


「どういう事だ?」


 仲間の反応に一人ついていけないゲンジは、目の前の少女が、果敢にも彼等のリーダーを睨みつけているのに気がつき、たちどころにその疑問を頭から払拭させた。今彼の頭の中にあるのは、この無垢そうな少女が何故アシュを睨みつけるのかと云う純粋な興味だけだった。


「双子だそうだ」


 アシュの言葉に、きょとんとゲンジを見ていた涙花は一気に現実へと引き戻される。


「彼女の名もまた、ルイカ。姓はカナデだとか」

「母方と父方で使い分けてたとか?」

「双子で名前が一緒だなんて、ややこしそうだわ」

「けど、考えようによっては、良い使い方かもしれない」

「ツインズとカナデについて、もう少し調べた方がいいかも。案外我々に匹敵するくらいの闇に塗れた一族だったりして」


 交わされる会話は、恐らく自分の事についてなのだろう。ちらちらと時折寄越される視線に涙花は表情を曇らせる。ツインズだとか闇だとか。さっぱり縁が無い単語だ。また、先程の不毛な問答が繰り返されるのかと思い、涙花は憂鬱になる。恐怖の時間だった。自分の命が脅かされるなど、初めての経験だった。


「だから違うのに」


 ぽつりと呟いて頬を膨らませる。


「違うのか?」


 仲間の会話には何故か加わっていなかった男が涙花に話しかける。


「うん。あの人達の言ってること全然判らない」


 その声が思いのほか親しげだった為、涙花は思わずすがるように男を見上げた。ゲンジはゲンジで、頼られると云う滅多に無い経験を前に、思わず涙花の頭に手を伸ばす。


「そうかそうか。お前、名前は?」

「奏涙花」

「そりゃ随分和風な名前だな。俺はタチバナ・ゲンジだ」

「え、ここ日本?」

「ニホン? いや、ヤーパン。俺の出生地」

「やーぱん」

「極東の島国。んな所から、お嬢ちゃん一人で出てきたわけ?」


 心の中でゲンジの言葉を涙花は繰り返した。

 タチバナ・ゲンジと云う名前は確かに日本風の名前だ。もしかしたら単に訛っているだけかもしれないと、疑問に折り合いを付けて、涙花はこくんと頷く。


「不可抗力で。此処はヤーパンから遠いのですか?」

「おお、遠いぞー。なんといっても大大陸の端っこだからな。飛行船で五日はかかるだろうなあ」

「ひこうせん」


 そんなの今時珍しい。

 ゲンジの言葉を反芻しながら、再び浮かんだ疑問に折り合いをつけようと涙花は考え込む。


「で、家出か? その途中でアシュに盗まれたってわけか」

「ああ! そうなんです! 酷い事されて! 家出では無いんですけど!」


 唐突に掌をぽんと打ち、涙花は続けた。


「あの、家に帰りたいんで、お金貸してください!」


「本人は否定し続けてるが」

「あんなに似ているんだもの、とても他人だなんて思えないわ」

「他にも面白い事を言ってたよね。魔族とかなんとか」

「単に逃げるための虚言だとは思うが」

「ちょっと。ゲンジと和みすぎてるよ。あれ良くないよ」


 ああ、そりゃお前。

 ゲンジはぽりっと頬を掻いた。


「――無理だろ」


 返って来た言葉は無情なものだった。ゲンジは肩を竦め、涙花の頭を撫でる。


「なんで?」


 思いがけぬ所で同郷の人間と出会って、その、のほほんとした雰囲気に涙花はすっかり失念していた。


「だって、嬢ちゃんは此処に来ちゃった訳だし。アシュが連れてきたんだから、何かの価値があるんだろ?」


 轍鮒の急。四面楚歌。

 中国の故事成語が頭に浮かんだ。


「子守り、ご苦労だったな。ゲンジ」


 アシュが薄く笑う。涙花はその声に一瞬だけびくりと体を震わせた。


「あんまりその人に逆らうなよー」


 能天気そうにひらひらと振られる掌が、今はもう遠い。自分の頭を撫でていた男は、味方なのだと錯覚してしまっていた自分が、余りにも愚かすぎて悔しい。


「ルイカ。まだ、殺しはしない」


 残酷な言葉を、なんでも無い事の様にアシュは口にする。まだ、と云う事は、これから。と云う可能性を示唆している。


「あんたの中身を覗いてからだ。妹の事、ツインズの事。仕事の事。ありとあらゆるあんたの過去を」


 その言葉を受けて、鑑定士のリディアが涙花の肩に手を伸ばす。

 唐突に肩を掴まれ、涙花は全身に緊張を走らせながらも、自分を掴む腕が、女性のほっそりとしたモノである事に安堵し「言ってること、全然判らないけど、どうぞ」と、口を尖らせながら鑑定士を見上げる。


 それから諦めたような顔つきで廃墟の中にぐるりと視線を巡らせ、最終的に自分を荷物の様に連れてきた張本人と目が合い、不快そうに眉を顰めると膝を抱える。


「もしも、服脱がなきゃいけないなら、男の人はどっか行って下さい」

「こいつ態度悪いな」


 オルカが素早い身のこなしで涙花の背後に身を寄せ、懐から奇妙な形の刃物を取り出すも、今、またもや刃物に刺されそうになっている少女はと云うと、膝の上にことんと顎を乗せたまま微動だにしない。


 肝が据わっているのか、いないのか。当然後者なのだが、余りにも精神的に疲れ切ってしまった少女は、ただ、大きな溜息を吐く事しか出来なかった。


 しかし、この時の彼女の態度は彼等に、少女に対する大いなる興味を抱かせた。

 

 ゆえに、極悪非道冷酷無比。人殺しも厭わない悪党集団。世界中にその名を轟かせている絲ノ會を前に不遜な態度を取ったにも関わらず、涙花は俗に云う命拾いをしたのだ。


 彼女が彼等との生活に馴染んでいけば馴染んで行くほど、絲ノ會を渾名す熟語の数々に首を捻らざるをえないのだけれども。


 それはさておき、弟の雪弥とはまるで正反対の環境下に置かれた涙花の異界生活は、これから始まる。


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