ゲームルールと悪の定義

「ではご挨拶はこのあたりで。早速ですが、ゲーム内容の説明をさせてください」


 そう言って御堂が掲げたのは、細いチェーンに通された金属製のプレートだった。戦場で兵士が身につける、あるいは死体を識別するための銀色のプレート。――ドッグタグだ。


「皆さんには二週間をかけて、このドッグタグを奪い合っていただきます」


 500名以上の参加者たちは、彼女の言葉を聞き漏らさないように皆揃って息を潜めた。

 御堂の後ろに巨大なモニターが降りてくる。ホールの壁に配置されていたモニターにも電源が入った。


「タグにはトランプと同じ、クラブ、ダイヤ、スペード、ハートの4種の絵柄と、1から13の数字が刻まれています」


 御堂はマイクを片手に、事務的な口調で淡々と語る。 


「このうち、各絵柄のエース、ジャック、クイーン、キングの数字が描かれたタグを『キータグ』と言います。


 クリア条件は、いずれかのキータグで4種類の絵柄を揃え、決められた時間にフォーカードとしてゲームマスターに提出すること。


 基本的にはそれだけです」


 周囲が息を呑む声を無視し、御堂は続ける。


「クリア報酬は15億円。


 使用できる武器は刃物類、ボウガンのような飛び道具、薬物、毒。

 銃は拳銃、および連射のできない構造のライフル類を許可します。爆発物の持ち込みはできません。

 入場前に装備は全てチェックさせていただきますのでそのつもりで。


 ……そして」


 パチン、と御堂の指が鳴らされる。その瞬間、会場のモニター表示が切り替わった。


「ゲームルールは遵守の上、行動してください。主なルールはこれら十の項目です」


 その言葉に、玲は静かにモニターを見上げた。隣では火狩が不思議そうに軽く首を傾げている。


「特定のタグを4枚揃えて、ゲームマスターに提出すればクリア……か。なんか子供の遊びみたいだね」


 のんきなことを言っている彼を無視して、玲は表示された内容を頭の中で整理していく。


 ルールとして示された十箇条。

 まずはこの項目を頭に入れるのが先決だろう。



【基本ルール】


1. プレイヤーは、自身の【悪の定義】をゲームマスターに申告する義務を有する。


2. プレイヤーは、相手プレイヤーを倒すことで、相手からタグを一枚奪う権利を得る。敗れたプレイヤーはタグを要求された際、これを拒否してはならない。


3. プレイヤーは、自身の【悪の定義】に抵触しないプレイヤーに攻撃してはならない。


4. 夜間(19:00-翌日6:00)は戦闘を行ってはならない。ただし、戦闘を行うプレイヤーの他に一人以上の立ち会い人を設けた場合は例外とする。


5. 複数人による乱戦時、対象が敗北する5分以内に攻撃したプレイヤー全員がタグを奪う権利を得る。


6. 相手を殺害した場合、プレイヤーは対象のタグを全て奪う権利を得る。


7. 死体を発見した場合、プレイヤーは対象のタグを全て奪う権利を得る。


8. プレイヤー間でのタグの譲渡を認める。


9. タグの所持数が0となったプレイヤーはゲームオーバーとなる。


10. ゲームルールに違反した場合、ゲームオーバーとなる。



 その他細々としたルールはあるようだが、この十箇条が最重要かつ基本の内容。細かい規定はまた後で確認する機会を得られるらしい。


――しかし【悪の定義】とは。


 玲は胸の内で毒づいた。

 内容からして、攻撃対象を明確化するために設けられたルールだろう。要は自分で自分を縛る条件をつけろということ。


 憎たらしいのはそのネーミングだ。

 今さら個人の道徳を問うとでもいうのか。このクソみたいな世の中で一体どれだけの意味がある。


 それに、肝心なのはここからだ。


「なお、ここでのゲームオーバーは死を意味します」


 御堂の静かな宣告がホールを駆ける。

 会場がざわめくのを聞き、玲は静かに息を吐いた。

 やはり、命を賭けるという噂は決して嘘ではなかったわけだ。

 そう思うと、不思議と拳に力がこもる。胃の奥が冷たく焼けるような感覚を味わいながら、玲はじっと前を見据えた。


「ゲーム期間は14日間。

 期日まで生き残るか、クリア者が出るまでゲームオーバーにならなければ、命を落とすことはありません」


 要はタグを1枚でも手元に残しつつ、ルール違反をしないこと。

 これさえ守れば、賞金は得られなくても生きて出られる。


「また、ゲーム内での殺人に関しては、外部の法の処罰対象とはなりません」


 しかし同時に存在するのは、ゲーム内ではある種合法的に殺人可能というかなりとんでもないルールだ。どう考えても狂っている。


 だが、気にするべきポイントはそれだけではない。

 玲は無言で顔を顰めた。


 現状、この国の政府や警察はほとんどの機能を失っている。実質的な治安維持を仕切っているのは『軍』という組織だ。

 表向きはかなり厳格な組織として知られており、殺人御法度を明確に定めて取り締まっている。誰かを殺せばほぼ極刑と言っていい。

 

 その軍が、こんなルールを簡単に許すとは思えない。


――何か裏があるはずだ。


 ステージ上の女が率いる御堂グループは、軍事、医薬、兵器の開発までかなり手広く手がけている。そう考えると、軍に対して一定の影響力を持っていてもおかしくはない。もしくは多額の寄付金で押し切ったか。


 だとしても、これだけの費用をかけてただの娯楽で済むなどとは、正直考えにくかった。

 賞金の額だけじゃない。このホテルにしても、これから向かうフィールドや備品にしても、舞台が整いすぎている。

 まるで巨大な実験場だ。

 どうしても、きな臭さが拭えない。


「怪しいと思う?」


 横から聞こえてきた声に、玲は視線を火狩に向けた。その瞳にどこか冷ややかな光が滲ませ、火狩はじっと御堂を見ていた。


「知り合いから聞いたんだけど、このゲームの噂、遠く北の半島やら南の火山島の方では、一年以上前から流れてたらしいよ」


 火狩はいたずらっぽく口にした。


 北の半島に、南の火山島。おおよそこの国の果て、最も辺境の地域のことだ。

 

 廃れたといえど一応首都であるこの地域は、あらゆる情報の発信地となる。巨大企業や軍、そして機能不全に陥った政治の残骸が蠢く中心地。


 本来なら、そんな場所から真っ先に広まるはずの噂が、なぜわざわざ僻地から流れ出したのか。

 首都で噂が広まり始めたのはつい二、三ヵ月前だったと考えれば、情報の流れは奇妙に思える。


「不自然だな……」


 玲が低く呟き続きを促すと、火狩は「食いついたね」とニヤリと口角を上げた。その挑発的な態度には苛立ちを覚えるが、今は感情よりも情報が先だ。

 じっと視線を向けていれば、火狩はどこか愉しげに、含みのある表情で話を続ける。


「話によると、国の中でもかなり辺境の地域から紹介状は流れてきてる。

 でもって、それを持った奴は、嫌でもゲーム開催地に向かって移動を始めるだろ? それも、可能な限りひっそり移動しようとするはずだ。

 ただなぜか、紹介状を誰が持ってるって情報は、移動する先々で勝手に流れだしていく」 


 紹介状は、このゲームに参加するために必須とされている。

 ばら撒かれたのは全国でおよそ千枚。

 ここに集まった人数よりは幾分多い枚数だ。


 ある場所で誰かが紹介状を手に入れると、そいつはゲームに参加するためにひっそりと国内を移動し始める。

 その過程で、紹介状の奪い合いは各地で起こることになるだろう。時には何者かが意図的に、紹介状のありかを周囲に漏らした可能性もある。

 持っている人間が強ければそのまま死守して次の街を渡り、弱ければ奪われて、今度はまた奪った人間が紹介状を手に動き出す。


 それが延々と繰り返されてきた末、篩にかけられて集まったのが、ここにいるプレイヤー候補たちということだ。


「噂の通りなら、最終的にはこの国の中でも一定に力のある奴がここまでくるように仕組まれてたんじゃないかと、オレは思ってる。だからここにいるやつは大概、何かしらの意味で強い人間だと考えておいた方がいい」


 そう言われて、玲は改めて周りを見た。見るからに強靭な筋肉を持つ者もいれば、一見すると戦闘など力比べには向いてなさそうな者もいる。肉体的には弱そうでも、明らかに眼光が鋭く殺気を放つ者もいた。


 火狩が言いたいのは、なにも強いの意味は喧嘩が強いだけではない、ということだろう。


 知力、人脈。狡猾さも冷酷さも。

 様々な面で文字通り"強い"人間が、おそらくここに集まっている。


――そうであれば、こいつも。


 例外ではないだろう。

 玲は火狩を観察するように視線を素早く巡らせた。


 身体の線は細いほうだ。明るい色のTシャツにひざ下のラフなパンツ。見えている足の筋肉は、あまり大したことがないように感じる。少なくとも身体面で脅威になることはなさそうだが、そうであれば頭の方か。

 

 火狩は玲の視線に気づくと、慌ててブンブンと首を振った。


「オレはたまたまだよ。二、三日前に運良くチケットを手に入れただけ。喧嘩も好きじゃないし、本当にただの現地民」

「……どうだかな」


 肩を竦める火狩に対し、玲は平坦な声で応じた。そっけない口調に火狩は困ったように眉を下げた。


「信じてよ。元々力比べなんて柄じゃないんだ。俺は運で生きてるようなもんだからね」


 火狩は茶化したような口調で言い、鼻頭を指で掻いた。

 その表情に裏表は見えない。はたから見れば善良な青年にしか映らないだろう。

 だが、こういう得体の知れないタイプこそ信頼できない。苦手意識が拭えなかった。


「でも、あんたは違うよね。 "シロ"」


 口にされた嫌な呼び名に、やはり苦手だと玲は深く眉を顰める。

 

 あの街ではともかく、ここにまで知っている人間がいるなんて思わなかった。

 笑顔のまま放たれた台詞に玲は一瞬で目を細め、目の前の男を鋭凝視する。


「……知ってたんだな。俺のこと」


 低く沈んだ玲の問いかけに、火狩は頬を強張らせた。しかしすぐに観念したように肩の力を抜くと、ひるむことなく言葉を続ける。


「白髪に赤い目。あとレイって名前でピンときた。

 西地区でやってるストリートファイト大会の王様。全戦全勝、いつも無傷で勝つ鬼みたいに強いナイフ使い。


 オレのいた街でも名前はよく聞こえてたよ。『人間にあんな動きができるはずがない、まるで化け物だ』って――」


「黙れよ」


 遮る言葉は、氷のように冷たく、鋭利だった。


 玲の射抜くような視線を受け、火狩は言葉を飲み込み、びくりと肩を震わせる。


「……ごめん」


 こわいなぁ……と呟いた彼は大方、失敗した、とでも思っているんだろう。

 苛々とした感情が腹の底から湧き上がる。その蔑称を耳にすると嫌悪感が抑えられない。


 玲は拳を握り、感情を押し殺しながらステージへと目線を戻す。

 火狩はそれからなにも言おうとしなかった。

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