第14話 「図書室の密会。メイドは焦燥する」

【放課後:王立学園・大図書室】

王立学園が誇る大図書室は、知識の迷宮だ。  


天井まで届く書架が迷路のように立ち並び、静寂と古書の匂いが支配している。


アリアは、その迷宮を彷徨っていた。  


普段なら「文字を見ると眠くなる」と言って近づかない場所だ。


だが、今日は違った。


「(ローズマリーさん、どこに行っちゃったんだろう……)」


先日の闇オークションから、ローズマリーの様子がおかしかった。  


いつものような罵倒もなければ、お仕置きもない。


奪取した「顧客リスト」を自室に持ち込み、一睡もせずに解析を続けていた。

 

そして今日の放課後、彼女は「調べ物がある」と言い残して姿を消したのだ。


「お昼ご飯も食べてなかった。……倒れてないといいけど」


アリアが心配しながら奥の閲覧スペース――滅多に生徒が来ない「経済・産業史」のコーナーへ足を踏み入れた時。


ドサッ、ドササッ。


本の山が崩れる音がした。  


アリアが音のした方へ駆け寄ると、机の上に積み上げられた書物の塔の向こうに、一人の人影があった。


学園の備品である、地味なメイド服を着た少女。  


大きな眼鏡をかけ、髪を三つ編みにしたその姿は、どこにでもいる図書委員のように見える。  


だが、アリアはその正体を間違えるはずがなかった。


「……ローズマリーさん?」


少女――変装したローズマリーが、ビクリと肩を震わせて顔を上げた。  


その顔を見て、アリアは息を呑んだ。


酷い顔色だった。  


目の下にはクマができ、唇は乾燥してひび割れている。


完璧に整えられていた爪先はインクで汚れ、いつもの冷徹な覇気が消え失せている。  


そこには、「メイド長」も「冷酷な主人」もおらず、ただ何かに追いつめられた一人の少女がいた。


「……アリア。なぜここに?」


ローズマリーの声は掠れていた。


「匂いです。ローズマリーさんの、いい匂いがしたから」


「……騎士団の犬並みですね。呆れます」


ローズマリーは自嘲気味に笑うと、再び手元の分厚い本に視線を落とした。  


アリアが机の上を覗き込むと、そこには難解な図表や数値が書かれた本が散乱していた。


『帝国の産業年史』

『国家破産論』

『魔導資源の枯渇と代替エネルギー』……。


「こんなに難しい本を読んで、どうしたんですか? 期末テストの勉強?」


「……そんな平和なものであれば、どれほど良かったか」


ローズマリーは眼鏡を外し、疲れたように目をこすった。


「アリア。先日手に入れた『顧客リスト』……あれに何が書かれていたと思います?」


「えっと、悪い貴族の名前?」


「それだけではありません。彼らが帝国へ流した『王国の資金』の総額が記されていました」


ローズマリーは震える手で、ノートの一ページを開いて見せた。  


アリアには桁が多すぎて読めない数字が並んでいる。


「この国は、既に死んでいるのです」


ローズマリーの言葉は、図書室の冷たい空気に溶けて、重く響いた。


「保守派の貴族たちは、私腹を肥やすために国の資産を切り売りし、その金は全て隣国や帝国へ流れています。一方、帝国はその金で『産業の構造改革』を成功させ、圧倒的な軍事力と経済力を手に入れた」


彼女は積み上げられた本を指差した。


「公爵家が進めようとしている改革も、鉄道も、工場も……全てが遅すぎたのです。今の王国の国庫は空っぽ。借金まみれの泥舟です。……あと半年もすれば、戦争にならなくても経済破綻で国が滅びます」


ローズマリーは机に突っ伏した。


「計算が合いません。どう計算しても、間に合わないのです……」


背中が震えていた。  


アリアは知った。


この人が、たった一人で何と戦っていたのかを。  


彼女は、目に見える敵だけでなく、「時代」や「数字」という勝てるはずのない怪物と戦っていたのだ。


「ローズマリーさん」


アリアはそっと近づき、彼女の隣に立った。

 

難しいことは分からない。数字も読めない。  


でも、お腹が空いている人と、泣いている人の見分けはつく。


「私、難しいことは分かりません。でも、計算が合わないなら、計算式をぶっ壊せばいいんじゃないですか?」


「……は?」


ローズマリーが顔を上げる。


「お金がないなら、悪い奴らから奪い返せばいいです。時間が足りないなら、私が走って稼ぎます。……ローズマリーさんは頭がいいから、『正解』を探しすぎなんですよ」


アリアは、ローズマリーが握りしめていたペンを優しく取り上げ、その冷え切った手を自分の両手で包み込んだ。  


アリアの手は温かかった。


日々の労働と、鍛錬で培われた、生命力の熱。


「ローズマリーさんは、一人じゃありません。私っていう、最強の『ペット』がいるじゃないですか」


アリアがニカッと笑う。


「計算できないなら、腕力で解決しましょう。……ね? ご主人様」


その笑顔は、あまりに無邪気で、そして頼もしかった。  


ローズマリーは呆気にとられ、やがてふっと息を吐き出した。  


ルージュの瞳に、わずかに光が戻る。


「……計算式を、壊す。……貴女らしい、野蛮で愚かな提案です」


ローズマリーはアリアの手を握り返した。

 

その力は弱々しかったが、確かに熱が伝わってくる。


「ですが……そうですね。正攻法で勝てないなら、盤面ごとひっくり返すしかありません。……ふふ、馬鹿な飼い犬のおかげで、目が覚めました」


ローズマリーは立ち上がり、眼鏡をかけ直した。  


その表情からは、先ほどの悲壮感は消え、いつもの不敵な「メイド長」の笑みが戻っていた。


「アリア。お腹が空きました。屋敷に戻って、作戦会議の続きをしますよ」


「はい! 今日の夕飯は何ですか?」


「貴女の脳みそに糖分を補給するための、特大のケーキです」


「やったぁ!」


二人は並んで図書室を後にする。  


その背中には、まだ重い運命がのしかかっている。


だが、一人で背負っていた時よりも、その足取りは軽かった。


――しかし。  


二人は気づいていなかった。  


書架の陰から、その様子をじっと見つめる視線があったことに。


「……見つけた。あれが、帝国の障害となる『特異点』か」


瓶底眼鏡をかけた、地味な女子生徒。  


彼女の懐には、帝国の紋章が入った手帳が隠されていた。  


留学生たちの影が、学園に忍び寄っていた。

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次回予告: アシュトン家の完璧な従者カミーラは、最近のローズマリー様の変化に気づいていた。 「ローズマリー様、その玩具に入れ込みすぎではありませんか?」 夜な夜なアリアの寝顔を見に行くローズマリーと、それに気づかず涎を垂らして寝るアリア。 冷徹なカミーラだけが知る、二人の微笑ましくも歪んだ関係性。

次回、「【閑話】カミーラは見ている 〜ローズマリー様、その玩具に入れ込みすぎです〜」。

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