第一章

第1話 サザンドラの休憩所

 とある日の旧愛知県の昼頃、朽ちた旧豊橋市の入り口には、かつての繁栄を象徴するかのような看板が立っていた。


 文字の殆どは剥げ落ち、読み取れるのは一部の、アルファベットのみ。

 周囲には、ひび割れた混凝土コンクリートと、錆びた鉄骨が無造作に転がる。


 遠くから吹き抜ける風が、廃材を微かに揺らして、不気味な音色を奏でていた。

 その街の中心に位置する酒場は辛うじて、その機能を保つ数少ない建物の一つである。


 外壁は黒ずみ、所々で剥がれ落ちた塗装ペンキが、無惨な姿を晒していた。

 ネオンの看板には”サザンドラの休息所”という名前が、掠れた文字で書かれているが灯りは既に消えたままである。


 それでも、店の中から漏れる微かな明かりと喧騒が、この場所がまだ生きている事を物語っていた。

 大介は重い足取りで、その酒場の扉を押し開ける。


 木製の扉が軋む音が耳に響き、場内の会話が一瞬だけ途切れた。

 その視線を感じながらも彼は、無造作にカウンター席へと向かう。


 しかし皆の視線が大介の元へ、一カ所に集中的に注がれるのも、その姿を見ればこそ無理はない。

 何故なら大介の肌は、焼けただれている影響で、所々で中身が露出している。

 

 腐敗の進んだその姿は、誰が見ても『グール』だと分かる異形の存在。

 鼻は崩れ、口元は剥き出しの歯が覗いている。


 その歯は笑みを浮かべているのか、あるいはただの無機質な表情なのか。

 目は濁りにまみれているが、内側には狂気じみた光が宿る。


 その身に纏うのは、薄汚れた茶色のレザーコート。

 その衣類には無数の弾痕や刃物ナイフの切り傷が刻まれており、その歴戦の姿が大介のこれまでの人生を物語る。


 肩から斜めに掛けた弾薬帯革ベルトには、ショットガンの弾薬が幾つも並び、彼が動く度に揺れていた。

 

 太腿に固定されたホルスターには、刃が鋭く輝くダガーナイフが装備されている。

 腰にはマグナムピストルと呼ばれる、極悪な銃も収められていた。


 さらに背中には見る者を威圧するように、ダブルバレルショットガンが固定されている。

 この武器達こそが、大介が生き残る為の道具であり、死の象徴でもあるのだ。


 そして彼が履いている洋袴ズボンは、太腿部分にポーチが付いたカーゴパンツ。

 膝の部分が破れており、そこから覗く包帯が、大介の無骨な一面を強調している。


 足元は錆びた金属製のトゥキャップが付いた重厚な深靴ブーツ

 歩く度に軋む音が聞えて、彼の存在を周囲に知らせるかのようだ。


 片方の手には、指先が破れた革製の手袋グローブを着けているが、その手は骨ばっていて力強さを感じさせる。


 首には小さな骨や弾丸で作られた装飾品首飾りが揺れており、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。

 

 つまり彼が普通の旅人ではない事を大きく示しているからこそ、酒場で飲食を嗜む者たちの視線が必然的に集まる。

 そして酒場内の空気は重く、室内は古びた木材と油の臭いが混じり合う。


 天井には吊るされた裸電球が、ぼんやりとした光を放ち、その下には粗末なテーブルと椅子が並んでいた。


 周囲には数人の老若男女の客が腰を落ち着かせており、彼ら彼女らの多くは廃品で作られた粗野の装備を身に付けている。


 カウンター越しには中年の女性店主が立っており、その頬には生活の苦労が刻まれているようだが、彼女の目には依然と鋭さが残されていた。

 大介は無言のままカウンター席に腰を下ろし、その冷たい木の感触に僅かに身を沈める。

 

「ベル・サイダーを頼む」


 目線が店主と交差した瞬間、大介は乾いた声で言い放つ。

 ベル・サイダーとは、最終戦争前に存在した日本最大級の、飲料会社が誇る看板商品だった。


 果汁感溢れる爽やかな味わいと微炭酸の心地よい刺激、それに加えて当時の消費者を魅了したのは、他の飲料にはない絶妙な甘さである。


 一本で一日分のビタミンと推奨摂取量を超える砂糖が含まれているという、ある意味で過剰な贅沢さが社会に刺激を求める人々の心を捉えて離さなかった。


 さらにベル・サイダーは、その人気を背景に自社のテーマパークまで所有していたのである。

 巨大な遊園地、その名も『ベル・ワールド』は、子供から大人まで多くの人々を引き付け、休日には家族連れや若者たちで賑わっていた。


 しかし最終戦争と、その後の破壊の中で、その栄光も一夜にして失われたのである。

 だが、廃墟と化した今でもベル・サイダーは奇跡的に、その製法と名声を保ち続け、かつての味を求める多くの人々に愛されているのだ。


 そしてカウンターの奥に立つ店主は、透明な洋盃グラスを小汚い布で拭きながら、大介の姿を確認すると軽く眉を上げる。


 しかし彼女は何も言わずに注文を受け入れると、洋盃と布を机上に置いてから徐に一本の硝子瓶を、水と凍りで満たされたバケツから取り出すと、蓋を外して極限に冷えた飲み物を彼の前に差し出した。


 すると大介は何の躊躇もなく、目の前に置かれた硝子瓶を手に取ると、喉越しを楽しむでもなく淡々と口に運ぶ。


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