第3話 嚙み合わない歯車
夜明け前の宿屋の一室は、砂漠の冷えを溜め込み、ひっそりと静まり返っていた。
レオンは壁に立てかけた二枚の盾を、一つずつ手に取る。
左腕用の大型盾。その表面に走る新しい擦り傷は、昨日、砂蠍の硬い甲殻を正面から受け止めた痕だ。
右手の小盾は、念入りに布で拭き上げる。縁に刻まれた魔術刻印を、親指でなぞった。
魔法防御用。
――仲間がいてこそ、意味を持つ装備。
「……問題ねえな」
独り言のように呟き、振り返る。
ベッドの端に腰掛けたリリアーナは、フードを外したまま、両手を膝の上で重ねていた。
白い包帯に覆われた手首。その右の隙間から、鈍色の手枷が覗いている。
「おう、聖女様。準備できたか?」
いつもの軽い口調。
彼女は一瞬だけ視線を揺らし、小さく頷いた。
「……ええ」
声は小さく、どこか硬い。
無理もない。封印の枷は漸くひとつ解除できた。しかしどこまで魔法が使えるようになったのか、呪いにどのような影響があるのか、まだ手探りの状態なのだ。
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朝の《砂蠍の巣窟》は、まだ昨夜の酒の匂いが残り、冒険者たちのざわめきも鈍かった。
二人は簡素な朝食を前に、地図を広げて向かい合う。
「正直に言うぞ、聖女様」
レオンはパンを割りながら言った。
「今度のダンジョン、二人じゃキツい。俺の盾は数を止めるためのもんだ。殲滅する火力がねえ」
リリアーナは視線を落としたまま、黙って頷く。
「……わたしが、もっと魔法を使えれば」
「無理すんな」
即座に遮る。
「それやると、あんたが壊れる。そういう匂いがする」
彼女は驚いたように顔を上げたが、何も言い返さなかった。
「魔法を使えるアタッカーが必要だ。女で、できれば経験者」
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昼前。
酒場の掲示板は、冒険者たちの欲望と焦りで埋め尽くされていた。
貼られては剥がされ、剥がされては貼られる紙切れの山。
一夜にして、砂漠の中央に“それ”は現れた。
前触れも、兆候もなく――巨大なダンジョンが。
迷宮そのものは珍しくない。
だが「突如現れる」という記録は、この世界に存在しない。
さらに悪いことに、ダンジョンからは異界の魔物が溢れ出した。
本来なら現世に長く留まることのできない存在だ。
砂漠国家サンドリアはこの緊急事態に、国王自らが冒険者の動員を宣言した。
――国籍、身分、過去を問わず。
――取得物への課税は一切なし。
結果、「異界ダンジョン」と呼ばれるこの場所に世界中から冒険者が殺到し、今や「世界で一番、命が安い場所」と呼ばれるようになった。
――剣士募集。
――回復役歓迎。
――深層挑戦パーティ。
だが。
レオンたちの張り紙だけが、残っていた。
『アタッカー募集(女性限定)』
「認識番号が無え、地雷だな」
「やめとけ、関わるな」
「女限定だってさ、舐めてんの?」
ひそひそとした声。
笑い混じりの視線。
リリアーナは身を小さくし、フードの奥に顔を隠した。
レオンは軽く笑い、ひらひらと手を振って応える。
「うっわ、最悪」
去っていく背中をヘラヘラと見送りながら――
その目だけは、鋭く周囲を窺っていた。
「仕方ねえ、行くか。ま、増強はおいおい考えようぜ」
世界各地を傭兵として転戦してきた。
集団戦では前線を張り、仲間を生かす盾役。
そして、ソロで動いていた時代もある。
異界ダンジョンと言えども、低層の相手如きに遅れを取るとは思っていなかった。
リリアーナは俯いたまま、後に続く。
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「おらぁ!」
砂蠍の尻尾を、左の盾で下から受け止める。
反動を殺し、右の盾でカウンター。砂蠍は吹き飛び、岩場で潰れた。
巨大な砂岩の隙間から入った第一階層は、砂漠の様相を色濃く残した迷路構造だった。
今日は第二階層あたりまで潜って、癖を掴むぞ」
「ええ……」
リリアーナは【導きの灯】を唱え直す。
第二位階までなら、影響は出ない――確認済みだ。
しかし――
立ち塞がるサンドゴーレムの一撃を受け止め、シールドバッシュを叩き込む。
だが、倒れない。
視界の端。
砂が盛り上がる。
――三体。
しかも、動きが揃っている
砂蠍が、レオンを迂回してリリアーナへ向かった。
リリーナの放つ【光撃】が一体を吹き飛ばす。
だが、残り二体が止まらない。
レオンは前線を捨て、身体をねじ込む。
間髪入れず【聖護】の光が身体を覆った。直後2体の鋏(はさみ)が背中を抉る。
さらに後方。
ドラゴンフライが、音もなく浮上する。
「……マジかよ」
「後退しましょう!」
判断は早かった。
原因は、はっきりしていた。
殲滅速度が、足りない。
傭兵時代は、後ろにアタッカーがいた。
ソロの時代は、自分の身だけ守ればよかった。
だが今は違う。
――守らなければならない相手がいる。
受け止めるだけでは、駄目だ。
確実に、屠らなければ。
このダンジョンは、「盾一枚でどうにかなる場所」じゃない。
二人は第一階層の攻略もそこそこに、迷宮を後にした。
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夕刻。
再び《砂蠍の巣窟》の扉をくぐる。
相変わらず、張り紙は残ったままだった。
店内は昨日と同じ喧騒。
同じように、男たちの視線が絡みつく。
リリアーナは耐えきれず、レオンの袖を引いた。
「……部屋に戻りましょう」
「ああ」
立ち上がりかけた、その瞬間。
レオンは気づいた。
ひとつだけ、違う視線。
欲でも好奇でもない。
値踏みするような、冷たい観察。
振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。
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翌朝。
酒場で装備を整えていると、今度はリリアーナも気づいた。
「レオン……」
「ああ」
片眼を瞑ってみせる。
「用があるなら、そのうち向こうから来るさ」
ほどなく。
「貴様か。若い女しか要らん、と吹いている男は」
鋭い声。
「年齢は指定してねえがな。ま、あんたみたいな美人なら大歓迎だぜ」
振り返ると、流れるような銀髪と尖った耳。
完璧に整った美貌のエルフが、冷ややかに見下ろしていた。
「私の名前は人間族には難しいだろう。……ノクティリアで構わない」
「エルフだ」
「何だってこんなトコに?」
店内のざわつきを無視して続ける。
「月影の御方の働きかけで、評議会より派遣された。貴様がレオンだな?」
「月影の……ミリアンか!」
「そうだ」
だが、視線は冷えたままだ。
ノクティリアはレオンを上から下まで眺め、興味を失ったように言った。
「ふん、盾使いの人間か。」
続いて、リリアーナを見る。
「ふむ、マナは潤沢。だが、濁っているな。蛇口も壊れているのか……」
淡々と告げる。
「爆弾を後衛に置いて、盾一枚で突っ込むつもりか?」
「最初に言っておく。私は助けに来たわけではない。放置できない案件として処理しに来ただけだ」
レオンはゆっくり息を吐き、肩をすくめて手を差し出した。
「まあ、何にせよよろしく頼むぜ」
ノクティリアは一拍置き、その手を掴んだ。
「勘違いするな。私は仲間ではない。――監視役だ」
やれやれ、楽しいことになりそうだ。レオンはパンの残りをワインで流し込み、盾を引き寄せて立ち上がった。
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