8 魔力を手中に

目を閉じると、世界が遠ざかる。




音が薄れ、匂いが溶け、代わりに自分の内側だけが、やけに鮮明になる。




(……あった)




胸の奥。


心臓の音よりも、呼吸よりも、もっと奥。




昨日まで、何度探しても見つからなかったものが、今日は確かにそこにあった。




しかし、


つかもうとすると、逃げる。


気を抜くとすぐに見失う。




(これが……魔力)




師匠の声が、すぐ近くから聞こえる。




「まずは“掴めればいい”。操れなくていい」




俺は小さくうなずく。


額から、じっとりと汗が滲んでいた。




朝からずっと、これを繰り返している。




呼吸を整え、意識を沈め、内側を探る。


見つけて、触れて、逃げられて。


それだけなのに、やたらと集中力を使う。




(思ってたより……地味だな)




正直な感想だった。




もっと、こう――


光ったり、風が吹いたり、何か派手な変化があると思っていた。




でも、現実は違う。




魔力は静かで、目立たなくて、放っておくとすぐに輪郭が曖昧になる。




「魔力は道具じゃない」




師匠は、俺の様子を見ながら言った。




「手足や血液のように体の一部。その意識が大事だ。」




再び、意識を内側へ。




 ――いた。




さっきより、少しだけ近い。




触れる。


今度は、逃げなかった。




(……掴めた)




感触は、曖昧だった。


硬くもなく、柔らかくもない。


水のようで、霧のようで、それでいて確かに“そこにある”。




強く意識すれば崩れそうで、


気を抜けば消えてしまいそうな、繊細な存在感。




それでも、今は離れない。




胸の奥で、静かに留まっているそれは、


師匠の言った通り最初から自分の一部だったことを、思い出したかのようだった。




「……それだ」




師匠が、静かに言った。




「今の感覚を忘れるなよ。」




俺は、ゆっくりとうなずく。




視界が少し揺れる。


集中していたせいか、頭がじんわりと温かい。




(疲れるわけだ)




これは力仕事じゃない。


感覚と集中を積み重ねる作業だ。




昼を過ぎる頃には、何度か同じ感覚を再現できるようになっていた。


長くは保てないが、「見失わない」くらいにはなっている。




師匠は、それ以上口出しをしなかった。


ただ、時々こちらを見て、軽くうなずくだけだ。




夕方、窓から差し込む光が床を赤く染める。




「今日はここまでにしよう」




そう言われて、初めて時間の流れに気づく。




「……もう夕方なんですね」




「集中していた証拠だ」




責めるでも、急かすでもない声音だった。




魔力は、まだ胸の奥にある。


触れようとすれば、微かに応える。




(消えてない)




それが、妙に嬉しかった。




「明日からは自衛のための魔法の練習だな」




 俺は顔を上げる。




「逃げること、隠れること、探すこと」




 淡々と並べられた言葉。




「森で生きるなら、まずそれだな」




(表現魔法は……)




 喉まで出かけた言葉を、飲み込む。




 焦るな、と自分に言い聞かせる。




「その先で」




 師匠は、こちらを見た。




「本当に描きたいなら、描けばいい」




 止めるでも、煽るでもない。


 ただ、道を示す言葉だった。




 俺は、深くうなずく。




(大丈夫だ)




(ちゃんと、進んでる)




 この世界で、初めて。




 俺は「力に触れた」という実感を、確かに胸に残したまま、一日を終えた。

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