第一章 出会いと再会 ③

 村の大工関係の仕事の大部分を請け負っているブルーノ・ホーファーは祭壇の設置の関係で世界樹の巫女の関係者との関わりが予想されたので、まもなく船で到着する一行の迎えの人員の一人として眠い目をこすりながら湖畔に向かっていた。

 温和な顔にやや肥満気味の身体を持ち村一番の職人を自負しながらも、村人からは村一番の恐妻家としての印象の方が強いこの中年男が他の出迎えの人間達よりもやや遅れて村の出口である、ブルーノ自身もかつて設置に関わった木製の大門に到着しようとした時、隣接する見張り台に誰か若者らしき人間がいるのが見えた。


「おーい、こんな時間に何やってんだあ」

 確かに勝手に見張り台にあがる事は禁止されてはいるが、単に疑問に思っただけで、決して叱責しようとしたつもりはないし、自分にいまいち大人の威厳が足りない事も自覚している。

「いえ、なんでもありません。すぐに降ります」

 だが上から即座に帰ってきた返事は気弱で真面目な生徒が教師に悪事を見つかった時のような、こちらの方が面食らってしまうかしこまったものだった。

「すいません、ホーファーさん。すぐに帰ります」

 するすると梯子を降りてきたのは顔なじみの白髪の少年だった。

「なんだ、ハルト君か。いやいや別に咎めているつもりはないんだよ、ただこんな朝早くに何しているのかなと思っただけで」

 なんだかこっちが弁解しているみたいだ。

 

 かつては隣人であり、ブルーノの娘であるレオナと同年代であることもあって、ハルト・ヴェルナーの事は幼い頃からよく知っているつもりだったが、最近はまともに話した記憶がないな、と胸の奥にすこし苦いものがこみ上げる。この俯いている少年との間には他の村の大人たちと同様にブルーノにも距離があった。本人にはまったく非がないにもかかわらず。

 最近めっきり会話が減ってしまった娘とは相変わらず仲良くやっているのか、そのこともあまり知らない自分に少し後ろめたさを感じながら、思わず足早に帰ろうとするハルトに声をかけていた。

「ちょっと待った、ハルト君。今少し時間あるかな」

「はい、別に大丈夫ですけど」

 怪訝な顔をしながらも特に感情を見せず返事が返ってくる。

 距離はあっても嫌われてはいないようだ。

「聞いているとは思うけど、世界樹の巫女さんの一行がやってくるのが実は今日なんだ。それで、何人か村の代表で湖の桟橋に迎えに行くのだけど、よかったら君も一緒にどうかな」

 それは深く考えた申し出ではない。ただこの孤独な少年にとっていい刺激になるのではないかと、ほんの軽い気持ちからだった。

「世界樹の巫女……なぜ僕を?」

「一応若いお嬢さんを迎えるのだからこんなオッサンばかりじゃなくて、村の若者代表がいてもいいじゃないかなと何となく思ってね」

 努めて軽い調子で合わせると、ハルト考えるというよりも何かを思い出すように、しばし逡巡したのち、意外にも素直にうなずいた。

「そうか、よかった。実はちょっと遅刻気味でね。それじゃあ行こうか」

 

 二人は連れだって村の玄関にあたる大門に向かうと、門そのものではなく、その隣の塀に備え付けられた非常用の小さな扉を開き、湖の香りが漂う外界へと足を踏み出す。ハルトにとっては久しぶりの外出であったが、かつての記憶と何ら変わらない風景が広がっていた。

 春の高い空に、高くそびえる針葉樹の森、広く大きくおだやかな湖。

 ただ少しだけ村の中よりも、空気がざわめいているような気がした。自然の中でなにか大きなことが起ころうとする気配に期待と不安を掻き立てられている様な。もしかしたらそれはハルト個人のなかで感じているのだけなのかもしれないが。


 ハルトとホーファーは湖を囲む大きな道と分かれた、桟橋へと向かう小さな坂道を降りてゆくと、やがて他の迎えの人間たちの気配と雑談する声が聞こえてくる。

「やあやあ、遅くなって申し訳ない。まだ御一行は到着してないみたいだね」

 ホーファーはいつもと変わらぬ明るくのんびりとした声で桟橋に立つ数人の大人達に声をかける。挨拶を返そうと振り返った者達は、ホーファーの大きな身体の背後にいるハルトの姿を目にとめると、一瞬怪訝な表情をするも何も口を出すものはいなかったが、ただ一人、ハルトの身元引受人でもある村長のエドガー・ノールは遠慮のない厳しい口調で問いただす。

「なんじゃ、ハルト。朝早くどこかに出かけたと思ったらこんなところに。村をでる許可はだしてないはずだが」

 六十代後半にしては姿勢正しくつかつかと詰め寄る痩身のその姿に、あわててホーファーが二人の間に割ってはいる。

「いやいや、ハルト君はさっき偶然会って私が誘ったんですよ。どうせなら村の若い衆もいた方がいいだろうと」

 少しうつむき加減で静かなハルトに一瞥をくれると

「彼のためにもその方がいいのではないかとも思って」

眉間に皺をよせ、それでも何かを言いかけたが、ふわりと宙を舞う一粒の光がノール村長の口をつぐませた。風に漂いながらもそれ自身に何らかの意思があるように舞い踊る光の粒子。やがてそれは数を増し、明暗を繰り返しながら桟橋の人間達を囲む様に辺りを煌めかせる。

「マナだ…」

 誰ともなしに呟くなか、広い湖から小型の船が姿を現す。


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