飽和

白絹

第1話


俺は、昨日人を殺した。

産みの親である母を自ら手に掛けた。後悔は不思議としてはいないが、幾分か気分が晴れたかどうかといえばなんとも言えないような感情だった。






くだらない事で揉めたんだ。本当にくだらない事で、テストの点数がどうとか評価がどうとか。丸めた教科書で頭を殴られながら勉強机と向きあっていた。「お前はなんなら出来るんだ。」「いつかお前の事を絶対に殺してやるからな。」「これだけ金をかけてやってるのになんだその目は。」「言うこと聞けないなら出ていけば?」「将来の事もろくに考えない、親の言うことすら聞きいれない、何も無いお前は生きている価値がない」そんな事を後頭部を殴りながら言われ続けていた。「こいつは学歴もなく父親にも逃げられて行き場のないストレスを俺で発散しているんだな。可哀想に」と思っていた。物心つく頃から母は俺の事を殴ったり蹴ったり暴言を吐いたり好き放題していた。きっと我慢の限界だったんだろう。耳鳴りがする。キーンと鳴り響く世界の遠く遠くの先でまだ母親は喚き続けていた。家を飛び出した。真冬の11時半に雪がしとしとと降り積もり走りにくいのにも関わらず駆け出した。どこに行くかなんて全く目処もないがとにかくここに居たくなくて急く気持ちを押さえ込んでローファーに足を入れて玄関を飛び出して走ろうとした。すぐに腕を引っ張られて止められる。

気づいた時には雪の上で母親は息絶えていた。玄関の隣にある植木鉢で何度も何度も何度も母親の顔を殴って最終的には喚き散らかす声が耳障りで絞め殺した。良かった、顔は原型を留めていないお陰で苦しんでいる死に顔を拝まなくて済んだ。真っ赤に染まった雪は何だか白いキャンバスに油絵の具を殴り描いた時のような美しさを感じた。

「もうここには居られないな。」ボソリと呟いてしとしととまだ振り続けている雪に掻き消される。考え無しに殺してしまったおかげで明日から学校はいけないし、なんなら追われる身となった。高校3年生にして俺の人生終わった〜と笑いが込み上げてくる。親ガチャを失敗して挙句の果てには肉親を殺して刑務所行きか。神というものは平等では無いし居ないことが伺える人生だったな。





とぼとぼと5センチほどは降り積もった雪に新しい足跡を1つ1つ大事に残していく。まるで俺はここに居たんだぞとマーキングする犬みたいだなと思いくすくすと笑えてしまった。普通は人を殺したあとは証拠隠滅をするのが相場なのに。近所の公園まで辿り着いた。街灯の下で止まりひらひらと街灯からこぼれ落ちる雪を眺めながら白い息を吐く。ふと公園の方に目を向けると屋根付きのベンチに座り缶のココアで暖を取る少女が目に入った。

「井上お前こんな時間に何してんの?」ふわりと顔を上げてこちらを見る少女は同じクラスの女だった。





井上椿、俺と同じクラスの隣の席の女で濡羽色のロング髪に前髪を目の上に切りそろえていて、長いまつ毛がいつも眠たげに下がっている目をした女という印象が強い。「こちらこそ、北野くんは血塗れでお散歩なんて素敵な趣味をお持ちなのね。」「俺にも色々事情があるんだよ。汲み取れ。」「そう、じゃあか弱い乙女がこんな時間にこんな所で震えながら公園でココアを握って暖をとってるのも事情があるようには見えないかしら?」「悪かったよ、聞き方が悪かったな。」「というか人に質問するならまずは自分からお話するべきじゃないかしら。」「見ての通りあまり話したくない状態なんだ。」「察して欲しい精神の男の子はモテなさそうね。」「お前はもしかして俺の事嫌いなの?」「いいえ、そんなことは無いわよ。ちょっと自意識過剰なんじゃないの?」「言葉に棘があり過ぎないか井上。」「寒くて今の私は心に余裕が無いの。」はァと溜息なのか疲れから来る吐き出しなのか分からない息を吐きながら井上の隣に薄ら積もる雪を払い落として座る。「で、何があったのよ。あんまり平和な事じゃなさそうだけども。」「母親を殺した。今は家にとりあえず引き摺り入れて玄関に置いてる。」「殺人犯が呑気に散歩なんてこの地区も治安が悪くなったものね。不用心なご老人が鍵を開けっ放しにするくらい平和な場所だと思ってた。」「俺が居なければきっとその平和は守られるんじゃないか?あ、嘘をついた。当面の間は殺人事件でこの当たりのおばさんの井戸端会議は忙しくなるだろうな。」「何しょうもないこと言ってるのよ貴方。どうするつもり?自首するつもり?」「いいや全く。兎に角遠くに逃げようと思ってる。」「どうせ捕まってしまうのに。」「井上お前はなんで外に居るんだよ。」「家を追い出された。」「お前のとこの親も中々だな。ちなみになんで?」「理由なんてないわよ。ムカついたらうちのお母さんは私の事引っぱたいて引き摺り回して外に追い出すんだから。」「心中お察ししますって感じだな。俺もそんな感じの生活でプチンって何かが切れて植木鉢で殴った後気づいたら殺してた。」「思い切りがあるのはとっても素敵ね。」くぴっと1口ココアを飲んで上を見上げてはぁ、と息を吐いた。頬と鼻先がほんのりとピンクに色付いている横顔はどこが幼く儚げな雰囲気を纏っていて雪も相まってかなんだか絵に描いたような美しさだなと思った。「心中お察ししますって感じね、多少はスッキリしたかしら。」「なんとも思ってないんだよな。現実味が無いのかもう少し時間が経ったら実感湧いてなにか思うのかな。」「人を殺して呑気に血だらけで散歩してる人間が罪悪感や達成感を感じてるとは到底思えないもんね。」



そう言うと井上はふぅと一息付き何口かココアを口に運ぶ。頬や鼻先が朱色に染まっていて結構な時間外でこうしていた事が伺えてしまい多少心が痛む。自分の親を殺しても何も思わない癖にクラスの女が虐待されている事実の方がよっぽど感情移入が出来て心を痛めてるのもまァおかしな話だよなと思う。まあ自分の境遇と重ねているんだろうけどそれにしても少し人の心が無さすぎるんじゃないかとは思う。

「あなた本当にこれからどうするの?どうせ明日の朝にはあなたのお母様は見つかるなり会社に来ないとかの理由ですぐに不審がられるに決まっているわ。」「そうだな、もうここには居られないと思うしどこか遠くで死ぬつもりだ。どこまで行けるか分からないけど行ける所まで行ってみようと思ってる。」少しだけ沈黙が流れる。そろそろ家に帰って遠くに逃げる準備をしないと、もしも俺と井上が一緒に居るところを見つかりでもすればきっとこいつも共犯として名前があげられる事になるだろう。「俺、1回家に戻るよ。井上も戻る勇気が出たら家に戻ることだな。最悪この気温は風邪で済まされないほど体調を崩しかねないと思うから。」何も言わずに俯いたままの井上を尻目に俺は立ち上がる。「待って、1つ提案があるの。」

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