第六章 演劇集団クワガタは影に言葉を奪われる
本番の日、朝から晴れ、空気が澄んでいた。
いつも通り、御所を走る。僕と亮は、もも上げで京都御所七周、無駄に溢れたエネルギーを詰め込み、餃子ふた皿をもぎ取った。
••✼••
劇場に入ると、舞台の影に置かれたUFOセットが、大きく見える。
昨日まで何度も動かしてきた円盤は、今日は呼吸をひそめているようだった。
これは最後の最後に舞台上に出て魅せる。
照明卓の前に座り、フェーダーをひとつずつ確認する。
客席がざわめき、開演五分前のブザーが鳴る。
客席照明の落ちた舞台。音響と照明の調整室は、熱狂に包まれている。始まるまえの音楽を亮が流し始めた。この瞬間、首筋がざわりとする。演劇を支える皆の気持ちは瞬間、同調して、それぞれの統制された動きを展開していく。
きっかけの音楽が流れ、それを合図として僕は灯りを落とし、劇場全体が闇に沈む。蓄光テープがかすかに光り、役者たちの影がゆっくりと動き、立つ。
ピンスポットの中に静かに佇む、大杉一家。
──幕が上がった。
前半は、驚くほど順調だった。紗奈の声はハリがあり、言葉はしっかり前に出ていた。千秋は安定した芝居で支え、日高は淡々と役をこなし、奇妙な動きで笑いをとった。僕は照明卓のまえで、流れを追う。
そして、問題の独白シーンが来た。 紗奈が舞台中央に立ち、スチールブルーと白の境界に包まれる。
••✼••
光が彼女の輪郭を拾い、細い体が浮かび上がる。客席は静まり返り、紗奈の声だけが劇場に響いた。
その瞬間だった。 日高が、台本にはないタイミングで一歩前に出た。
その影は、光を吸い込むように濃かった。
「……暁子」 低い声が、舞台の空気を震わせた。
紗奈は一瞬、返すべき台詞を見失ったように固まる。
「呼ばれてるんやろ。ずっと前からや」 その言葉は、台本にはない。
「僕ら宇宙人は、本当にこのまま地球を存続して良いものか、悩ましく思っている。この地球人の社会は小さな問題を大きく書き換えて占いに載せて、予言だのなんだのを繰り返しているんだ。こんなところにいるなんておかしいと、おまえも思うだろう?」
稽古でも一度も言っていない。
舞台袖の千秋が「えっ」とかすかに声を漏らした気配。黒川舞監がヘッドセット越しに「日高、アドリブいうてる場合ちゃうぞ」 と唸る。
大崎さんも、客席後方の席で身を乗り出した。
──全員、気づいていた。 けれど、本番中の舞台は止められない。
紗奈は震える足で踏ん張り、胸の奥から声を絞り出した。
「でもお父さん。我々が行ってしまったら、あとに残る人間たちはどうなるんでしょう」
今回の舞台のセリフに戻ってきた。
父親役に戻った、日高は必要なセリフをなぞった。
「なんとかやってくさ、人間は」
そして、音楽、締めの大きな音で流す。
「……お父さん、来てる……きてるよ!」
その瞬間、舞台裏で待機していたUFOセットが、舞台半分を覆う勢いで一気に押し出された。
円盤の縁にまぶした小さなライトが光を放ち、僕は全方向から白を落とし、客席では後輩たちが一斉にカメラのフラッシュを焚いた。 劇場全体が白く弾ける。
スモークが焚かれ、轟音、光が渦を巻くように舞台を包む。
──暗転。
背後に映像でエンドロールが流れる。
原作 三島由紀夫
『美しい星🌏』
山下 紗奈(大杉家娘・金星人・一回生)
広崎 千秋(大杉家母・二回生)
日高 アレクセイ 仁(大杉家父・二回生)
大崎 透(三回生・演出)
田中 克久(二回生・照明・語り手)
黒川 直哉(三回生 舞監)
佐伯 亮(二回生・音響)
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舞台ごと地鳴りのするような音楽が流れ、音を小さくし、役者挨拶へ移行した。
終演後、楽屋に戻ると、千秋が真っ先に日高の胸ぐらを掴んだ。
「仁、あんた今日、何やったん? 暁子のとこ、完全にセリフとんどったやろ」
黒川舞監も腕を組んで言う。
「明日も同じことしたら怒るぞ。本番中のアドリブは危険や」
大崎さんは、静かに言った。
「……仁、何が見えた?」
日高はしばらく答えなかった。
「すみません……」
どこか遠くを見るような目をしていた。
「まあ、ええよ。セリフ、飛ぶときあるやんな。紗奈が最高にええ仕事してくれた」
「ほんとに良かったわー。紗奈まで飛んだらヤバかった」
「あの軌道修正に、幸福受容体が全力で働いて最高に気持ちよかったけどな」
「明日の千秋楽は、頼むでほんま」
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