第三章 演劇集団クワガタは演出家が演技をつける


 二月に入ると、稽古場の空気は俄然熱を帯び始めた。御所ランニングで、息の上がり方が、軽くなっている。紗奈も、苦しそうに走ることはなくなり、細い腕をしっかり振って前を見ていた。


 照明のセットが安定してきたら、僕らも舞台の全体が見え始める。

 演出の大崎さんは、相変わらず穏やかだったが、稽古が進むにつれ、彼独自の宇宙的解釈が強くなっていった。  


 紗奈の長い独白シーンで、彼は台本レパを閉じて言った。

「紗奈ちゃん、このシーンはな、地球やなくて、もっと遠いとこから呼ばれてる感じでいこうか」

 

 紗奈は戸惑ったように目を瞬かせた。

「え……遠いとこ、ですか」

「そう。宇宙の端っこみたいな。とおーくのほうから届く感じにできる?」

 聞いていた千秋が横から茶々を入れる。

「大崎センパーイ、それ分かるようで分からんから、もうちょい詳しくー」  

 大崎さんは笑って肩をすくめた。

「ほな僕がやってみるわ、見といてくださいねー」

 彼は、演出をするときに必ずやって見せて、なぞらせる。どのように身体を動かすと、空間をアクティブに見せられるかまだわからない新人には、とてもありがたいやり方だった。


 紗奈は不安そうに台本と鉛筆を握りしめ、見ながら身体を動かしていたが、大崎さんの動きや表情、声音を見様見真似で何度も繰り返すうちに、声に芯が通り、空気を震わせるような響きになった。  


 僕は練習場に入るたび、その変化を見て、台本メモを加えた。


 紗奈:独白→スチールブルー+白弱+スポット


 強い光ではなく、輪郭を浮かび上がらせるような色が似合うと思った。


       ••✼••  


 そんなある日の稽古終わり、千秋が僕のところへやってきて、腕を組み偉そうな態度で言った。

 僕はアルミホイルを少しずつ木の板に巻きつけていた。


「なあ克久、紗奈、最近ちょっと変わったやんな?」

「変わった、って? お。アルミホイル巻くの手伝って」

 アルミホイルと、両面テープを間に置いた。

「なんか……強なったいうか、腹くくったいうか。最近は泣きそうでも踏ん張っとるやろ」と、千秋もアルミホイルを巻いていく。


 僕は少し考えてから答えた。

「確かに。声の出し方もちゃうな」

 千秋は頷きながら、少しだけ声をひそめた。

「生理の件、まだ気にしとるんやろけどな。あの子、あれで結構根性あるわ」

「なんで人前で大きい声で言うかな、千秋は」

「は? 女優ゆうんは見せて魅せて見られてなんぼやんかー」

「はいはい、人はみんなちゃう言うんを、君は知りなさいね」

「みんな違ってみんないい??」

「せや」

「ほな私のやり方だってええはずやん!」

「もちろんや! 千秋はかわいいし、勢いもあって、めっちゃええ。でもゆっくり進む人もおるんやで……」

「おう……」


 その日、UFOセットを確認していると、日高が横に立った。彼は工具セットを持ったまま、円盤の縁を見上げていた。


「……これ、飛ぶんかな」

「飛ぶように見せるんが仕事や」と僕が言うと、日高は小さく笑った。


「せや。ほんまに飛んでもおかしない気がするわ」

「いやいや、飛んでってもうたら困る」

「飛ぶやろ。今回演るんは美しい星やで」

「セット相手に未知との遭遇は起こらんて」

「上にあるもんは下にも同じく、言うてな」

「それで飛んでいく? まじかー」

 熱っぽく言うのを、軽く聞き流した。


「人間の肉体でそこに到達できなくとも、どうしてそこへ到達できないはずがあろうか!」

 そう叫ぶ日高は、どこへ到達しようと言うのだ。

 舞台に立つ者は、演劇の神様が降りてくるのか、しばしば神がかって見える。


 UFOセットの縁の蓄光テープが、いつもより光って見えた。だが、気のせいだ。  


 この結末がどこへ向かうのか、まだ誰も知らなかった。

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